早く抱いてという詩を読んで聞いて思うこと

さて、冒頭の詩。「早く抱いて」は自我が語る言葉だと感じる。自我が真我に囁くなめらかで繊細な誘惑であり、自我の消え去るときの静寂で終わる一篇の詩であろう。ただし、これは、わたしの感じ方であって、作詞された下田逸郎さんがそういう意図で紡がれたものではないかも知れない。しかし、芸術とはそうしたものである。作者の意図しない見方を大勢の人がしてしまう。そこに一つの普遍性が生まれ、時代を超えて、人々の心に何億種もの振動を与えるのだろうと思う。

月曜日に気づいた背中のひっかき傷

わたしは、見ている。
それ以上でもそれ以下でもない。
見ているというのは一種の体験だろうと思う。
何もしないという意味ではない。
知らないことは何でも試してみる。
言いたいことがあれば、何処であろうが、相手が誰であろうが、言う。
そんな「氣」は伝わるのだろう。
わたしに男友達はいない。
でも、わたしは見ている存在だ。

現実は本当に現実であるのか、考えてみたことがありますか?

現実とはなんですか?
それは確固とした形で存在するものですか?
あなたが自我を開放して真我に至ったとき、現実は大きく変化するのではないでしょうか?
現実はあなたが作っているのですから。

伝染るということは、周波数の共振である可能性はないのか?

こうした環境の変化や、周波数の影響を受けないようにするには、「霊性を高める」のが、とても重要なことだとトーマスコーワン医師が言っていた。霊性を高めるとは、自分の周波数の振幅を大きくすることであろうか。その事によって、周囲の周波数の影響を最小限に留めることではないのか。

わたしたちは、顕在意識を捨て去り、潜在意識に紛れ込んだ欠片を上書きし、真我を圧迫している電圧を解放しなければならない。

世界を知りたければ真我を観察すればいい。真我を知りたければ世界を観察すればいい。ただし、真我とは電磁体である。

数万羽の鳥の死骸が空から降ってくるイスラエル。

パスツールに毒された科学では解明できないのです。唯一、有益な情報としては、「H5N1が発生した時期は、イスラエルで発生したオミクロンの第4波と重なり」という点。これが5Gによるものだと私には断定できないが、電磁波の影響であることは推察できる。

道

いま来た道を帰ると、誰も歩いていない小道があった。

過去 150 年に起きた大きなパンデミックの時は毎回地球の帯電による量子飛躍(クォンタムリープ)があったのです 1918 年、1917 年の晩秋には、電波が世界中に導入されました。生体系が新たな電磁場にさらされる時はいつでも被毒が起こり、一部は破壊され、残りはいわば仮死状態になるのです。