ヒンドゥーの女神が手のひらで踊った夢

2020年9月18日
海岸脇の洞窟に宇宙船を着陸させて、洞窟を出ると、海の向こうの空が紫からピンクになり、そしてとても美しい青色に変化していった。

2020年11月15日
昨夜を見た。 登場する人も、風景も、部屋も、全てがアニメだった。
新月の夜に、そんなを見た。

2021年1月23日
妊娠するを見た・・。

2021年1月30日
そういえば、今朝方、自分の葬式のを見た。

2021年4月24日
わたしに宇宙人の妹がいたという夢を見た。 父親が、宇宙人に産ませた子どもで、彼女はデスラー総統のような顔色にコンプレックスを持っていた。初めて会ったわたしは彼女の肩を黙って抱いてあげた。

そして先日。

手のひらから1cm程浮いたところで、女神が見事な舞いを見せた。


姿を鮮明に覚えていたので検索してみたら、彼女の姿がすぐに出てきた。
ヒンドゥーの女神のようである。
わたしの手のひらで踊ったのは間違いなく彼女である。



容疑者Xの献身/最愛を聴くがんじがらめの春

作曲︰福山雅治
作詞︰福山雅治

「最愛」

夢のような人だから
夢のように消えるのです

その定めを知りながら
捲られてきた季節のページ

落ちては溶ける粉雪みたい
止まらない想い

愛さなくていいから
遠くで見守ってて
強がってるんだよ
でも繋がってたいんだよ
あなたが まだ好きだから

もっと泣けばよかった
もっと笑えばよかった
バカだなって言ってよ
気にするなって言ってよ
あなたに ただ逢いたくて

初めてでした これまでの日々
間違ってないと思えたこと

陽だまりみたいな その笑顔
生きる道を照らしてくれました

心の雨に傘をくれたのは
あなたひとりだった…

愛せなくていいから
ここから見守ってる
強がってるんだよ
でも繋がってたいんだよ
あなたが まだ好きだから

おなじ月の下で
おなじ涙流した
ダメなんだよって
離れたくないって
ただひとこと ただ言えなくて

いつか生命の旅
終わるその時も
祈るでしょう

あなたが憧れた
「あなた」であることを
その笑顔を 幸せを

愛さなくていいから
遠くで見守ってて
強がってるんだよ
でも繋がってたいんだよ
あなたが まだ好きだから

もっと泣けばよかった
もっと笑えばよかったのかな
バカだなって言ってよ
気にするなって言ってよ
あなたに ただ逢いたくて

https://www.youtube.com/watch?v=Jv_J1Feb8c8&list=PL8ucZibtiQ_J7CB9spylBqZjvBUt5Vy3B&index=123



わたしは「容疑者Xの献身」は素晴らしい映画だと思う。
「他人の幸せを見ることは己の幸せである」
この絶対的真理を映画に仕上げたのはすごいことだと思っている。

PVを作ってくださった中国の方もいる。谢谢。

https://www.youtube.com/watch?v=oteE6yl9yhY&list=PL8ucZibtiQ_J7CB9spylBqZjvBUt5Vy3B&index=128



柴崎コウさんの「桜坂」も素敵である。

帰ろうよ。
帰ろうよ。

誰かがわたしに言う。

がんじがらめの春。

自分の心を子細に調べてみたい

わたしは観察者であり、観察者のわたしが現実を創っている。
同時に、あなたは観察者であり、観察者のあなたが現実を創っている。このことだけでも、多重世界は存在することの証明にはならないか?

もしも、わたしを映し出したものがこの世界であるのならば、
わたしの目に映る全ての事象が、わたしに内在されているということになる。

これを是認した上で、この世界を掃除したいのなら、わたしを掃除しなければならないということになる。政治や環境に文句を言っていても何も始まらない。何も変化しない。その可能性はあるのではないか。また、その逆に、わたしが最も強く創り出している自分の部屋。その部屋の掃除をすることで、わたしも掃除される可能性もある。

わたしは地デジを見ない。だから、街に出て、すれ違う人々がマスクをしているのを見ると、異世界に来たかのような錯覚に陥る。わたしの周りでは、そしてわたしの収集する情報では、コロナウイルスは存在しない。

では、ネットで囁かれる様々な考え方はどうなのだろう。ここがわからない。

わたしはレプもドラコもアヌンナキもエンキも存在すると考えている。エンキは世界中の動物を作り出したと思っている。しかし、200年以上前の歴史は一切信じていない。なにしろ、時間そのものを信じていない。時間軸で物事を考えると、思考は無限の迷宮に入る。今もエンキがどこか別の時間軸で遺伝子組み換えを行っていても不思議ではないと思う。

ある日、地球を洪水が襲う。陸上の生き物は全て死に絶える。数日後、多くの生物が現れて、あるは残った家屋に住み、あるいは、新しい建設物を作り、「昔からわたしたちはここに住んでいる」と言い、史跡まで紹介する。

そんなことが今まで何回もあったのかも知れない。否定出来ない。

信じられるものは、わたしが今感じている世界のみだ。雲はわたしだし、風はわたしだし、野に咲く花もわたし。

わたしは観察者であり、観察者のわたしが現実を創っている。
同時に、あなたは観察者であり、観察者のあなたが現実を創っている。
このことだけでも、多重世界は存在することの証明にはならないか?

しかし、こうした量子力学的な考え方にも答えは出ていない。

「二重スリット実験のよくある誤解とその実験の真の意味を解説」https://newphilosophy.net/quantum/double.html

こうなるとわたしにはまだ理解出来ない。

自分の中を子細に眺めてみる。
子どもを誘拐する心はない。
子どもの血を飲む心もない。
しかし、情報では、そのようなことが行われているという。

そして古代から、何者かが人間を食べていたという遺跡のようなものもある・・。
それらは、わたしの世界で起きたことなのか?
情報とはノイズなのか?

もしも、イルミナティが存在するのなら、その儀式を一度見てみたい。
本当にそんなものがあるのなら。
見た時のわたしの心を調べてみたい気がするのだ。
この世をわたしが創っているのかどうかがはっきりするかも知れない。

また支離滅裂な日記になりにけり・・。



雨、春に降る、音もなく降る

小雨が降る春の日。
スノーフレークも濡れている。



心が動かない。またまた飽いている。
最近何を呟いたかな、と自分のツイートを眺める。


「10秒で判断と行動を済ませることが出来る課題があるとする。 そんな課題には20秒、いや、1分以上時間をかける方がいい。半日かけてもいい。 そうすれば、自神が介在することも出来るし、もしかしたら、妖精まで舞い降りてくるかも知れない。 あらゆることに、適切な「間」は必要なのだ。」

「深夜何時かは判らない。 ベッドで眠っていて、ふと気付くと、わたしの右手の中に誰かの手がある。わたしより小さな手なので女性だろう。とても優しく、どこか懐かしい手。わたしは目を開かなかった。5分ほど考えた。これは誰の手だったかを。思い当たる女性がいる。わたしは、そのまま彼女の手の感触を感じたまま、いつか深い藍色の眠りに堕ちていった。」


毎日、色々なことを考える。
存在しない宇宙のこと、歴史の嘘、異次元の世界、人体のこと、時間のこと・・。
そう言えば最近時間が止まる。
いや、止まっていると感じることがある。
この世がマトリックスでないことを証明出来る人間は存在しないだろう。


飽いている。
本音を言えば、あの頃に戻りたい。

過ぎ去った柔らかな思い出に耽ることなく、
過去の全てに責任を持たず、
今の自分を肯定し続けていた
あの頃に。

嘆にして支離滅裂になり忘却してしまう日記

この世はわたしが作り出している。
わたしに内在するものが、色々な姿と現象として、わたしの五感を震わせる。

交通事故に遭ったとする。
それは、わたしが自分を否定する心の証であるかも知れないし、
わたしの中に他人を攻撃する心が存在することの証かもしれない。

いずれにせよ、原因はわたしの中にある。
原因というより、物事が起きる要因といった方がいいのかな。

わたしが飛行機というものを全く知らなかったとすると、
仮に上空を飛行機が飛んでも、わたしには飛行機が見えないだろう。

誰かを憎んでいれば、それは色々な形でわたしの世界をつくり出す。
誰かに刺されるかも知れないし、健康に害を為すかも知れない。

事は簡単ではない。
私の持つ知識や感情や経験などが複雑に絡み合って、私の世界がつくられている。
しかし、その世界に私は納得していない。


目に留まるツイートがあったので、了解を得て転載する。

「自己愛がなければ隣人愛を育めない。
自己愛が強すぎると反発して自分を嫌いな人をとことん叩く。
自己愛があまりにもないと自分を愛してくれる人を突き放してしまう。 」
<NewType架純>

これは目から鱗だった。
鱗の詳細はカタラナイ。


わたしは自分を愛してなどいない。
そもそも愛とは何であるかも分からない。
分からなくていいと思うし、愛などという言葉が無くなっても困らない。
しかし、弱者が困っているのは見過ごせない。

愛情をタテにして行動するのも嫌いだ。
それを見るのも嫌だ。
ガキの言う「愛してる」は「やらせてくれ」と同義語だ。

こう言うと、カウンセラーは
「あなたは十分な愛情の元で幼少期を過ごしていない」
と言うだろう。

私は答える。
「それがどうした?」




支離滅裂になってきた。

わたしは、忘却する方法を知りたい。
忘却力が欲しい。
忘却は何物にも勝る力であると感じる。




悟浄歎異に曰く、

変化へんげの術が人間にできずして狐狸こりにできるのは、つまり、人間には関心すべき種々の事柄があまりに多いがゆえに精神統一が至難であるに反し、野獣は心を労すべき多くの瑣事さじたず、したがってこの統一が容易だからである、云々うんぬん

また、

我々にはなんの奇異もなく見える事柄も、悟空の眼から見ると、ことごとくすばらしい冒険の端緒だったり、彼の壮烈な活動をうながす機縁だったりする。もともと意味をったそとの世界が彼の注意をくというよりは、むしろ、彼のほうで外の世界に一つ一つ意味を与えていくように思われる。彼の内なる火が、外の世界にむなしく冷えたまま眠っている火薬に、いちいち点火していくのである。探偵の眼をもってそれらを探し出すのではなく、詩人の心をもって(恐ろしく荒っぽい詩人だが)彼に触れるすべてをあたため、(ときにがすおそれもないではない。)そこから種々な思いがけない芽を出させ、実を結ばせるのだ。だから、かれ悟空ごくうの眼にとって平凡陳腐ちんぷなものは何一つない。毎日早朝に起きると決まって彼は日の出を拝み、そして、はじめてそれを見る者のような驚嘆をもってその美に感じ入っている。心の底から、溜息ためいきをついて、讃嘆さんたんするのである。これがほとんど毎朝のことだ。松の種子から松の芽の出かかっているのを見て、なんたる不思議さよと眼をみはるのも、この男である。

さらに、

悟空ごくうの今一つの特色は、けっして過去を語らぬことである。というより、彼は、過去すぎさったことは一切忘れてしまうらしい。少なくとも個々の出来事は忘れてしまうのだ。その代わり、一つ一つの経験の与えた教訓はその都度つど、彼の血液の中に吸収され、ただちに彼の精神および肉体の一部と化してしまう。いまさら、個々の出来事を一つ一つ記憶している必要はなくなるのである。彼が戦略上の同じ誤りをけっして二度と繰返さないのを見ても、これはわかる。しかも彼はその教訓を、いつ、どんな苦い経験によって得たのかは、すっかり忘れ果てている。無意識のうちに体験を完全に吸収する不思議な力をこのさるっているのだ。



これが忘却力だと感じる。
若かりし頃、私はこの力を持っていた。
これは私の得意技だった。
わたしは確かに忘却力を持っていた。

しかし、今、それを取り戻す術を日々考えている有り様なのだ。
ひとつだけ、気付いたことがある。
それは、過去に一切責任を持たないということだ。


*** 悟浄歎異は青空文庫から抜粋させていただきました。