コロナ騒ぎ以来、いろいろと小さなことまで勉強させていただいた。
千島学説やトーマス・コーワン博士、アンドリュー・カウフマン氏らの動画、そして食べ物からサプリ、塩、重曹、クエン酸、水素水、発酵食品等々知識は得た。経験もした。しかしながら、当たりは引かない。あくまでも、わたしの体調を改善する当たりクジは引かない。

思考というのは、微に入り細に嵌まりすぎる傾向がある。
気づかなければならない。
思考が先鋭化していくと、背後から黒い影が覗き込んでいることがあることを。
このことは、数日前、わたしがキーボードを叩いて文章を綴っているときに、明確に感じた。
わたしの後ろに影がいるのである。少し重さのある邪な魂がいたのである。
「こんな奴には負けない」
わたしは振り返らずに、文章を綴り続けた。
すると、影は、わたしの両肩からわたしを抱え込もうとする。
「うるさい!」
わたしは一喝した。
影は一瞬で消え去った。

そう、體や食事のことだが、もう、昔の食事に戻ることにした。
幼い頃、食卓に鶏以外の動物の肉はなかった。おかずは、野菜の煮物と味噌汁に漬物。時々鰺の開きが現れる。あぁ、ぶりこはご馳走だったな。おかずがないときは、「のり玉」をご飯にかけた。昔の食事をして死ぬならそれでいいんじゃないか?おやつは、大抵ふかし芋だったな。いつも腹を空かしていたあの時代。善きかな善きかな。

先日、ラジオで、剣道の達人の話を聞いたのだが、彼が教えてくれたのが、「守・破・離」ということだった。剣道を学ぶときには、まず教えて貰ったことを守る、次に教えられたことの一部を打ち破る。最後に学んだことから距離を置いて、剣道を俯瞰する。

そうなのだ、自らを俯瞰するまなざしを忘れてはならない。
正義とか、思いやりとか、そういうものに魂の重さをかけ過ぎると、知らぬ間に魂はバランスを失い、自らにストレスをかけてしまう。

我は八面六臂。自我を断ち切り、絡みつこうとする邪蛇の首を叩き切る。
誰に何と言われようと、自らの自由の剣のみを磨くのだ。
そのことを肝に据えよう。

ところで、コロナ以来色々なことを学び、実践し、考え続けたわたしは、少し浮空術を使うことにする。(大抵の人には、ここで、わたしは狂っていると思われる)

いつもの通り、話は千々に流れるが、
先日の夜、近くの家の脇に車を停めた時に、ヘッドライトが照らす灯りの中に妖精が浮かんでいた。初めは大きな蛾でもいるのかと思ったが、體は垂直に立ち、こちらに羽の内側を見せたまま、浮いているのである。”眩しいかな”と思って、一度ヘッドライトを消し、しばらくして、再度点けると、まだ、彼女はそこに浮いている。妖精とはやはり女性なのか?どうみても男には見えない。彼女は暫くわたしを見ていたが、歩行者が近くに現れた途端、生け垣の下から隣家の庭に入っていった。その隣家は、大きくて素敵なお家で、高齢の女性がお一人で住んでいたのだが、ここ数ヶ月、女性の姿は見えず、空き家状態になっている。

常識はすべて間違っている。
自由思考はここから始めるべきかも知れない。

わたしの日記は支離滅裂・・。

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