https://smart-flash.jp/sociopolitics/230005/1


2022年、閣僚がドミノ辞任したときも、森さんは岸田首相と会食をして『総理大臣は孤独な仕事で、周囲に相談できないこともあると思うが、思い切って頑張ってほしい』と激励しています。

 今回も『長期政権を目指してほしい。みんなでしっかり支える』と声をかけたそうです」(自民党議員秘書)

 首相は心を強くしたのか、上気した顔で「ありがとうございます」と答えたという。

(以上上記URLより引用)



岸田くんと森くんのツーショット。これは、強烈な画像である。
あのとき、こんな日が来るとは思わなかった。

あの時とは・・・。
(以下WIkipediaを引用しながら記す)

2000年(平成12年)11月20日の衆議院本会議に向けて、野党が森内閣不信任決議案を提出する動きを見せると、加藤紘一(宏池会会長)とその同志の国会議員が、賛成もしくは欠席すると宣言した。これに加藤の盟友である山崎拓(近未来政治研究会会長)が山崎派として同調する構えを見せた。

当時、衆議院の議席は与党が480人中272人を占め、過半数より31人上回っていたが、衆議院の加藤派45人と山崎派19人の計64人が造反をすれば内閣不信任案が可決され、森内閣は内閣総辞職か衆議院解散を余儀なくされる。この発言は、加藤派の自民党からの独立、政界再編など様々な憶測を呼んだ。

これを「加藤の乱」と言う。

加藤紘一
加藤紘一氏
没年月日 2016年9月9日(77歳没)



加藤派の一員であった岸田文雄は血判状をしたためて参加の覚悟を示し、決行前には石原伸晃、塩崎恭久、根本匠らの4人で出陣式を行った。しかし乱が鎮圧され、仲間が四散したことで岸田は「政治家として勝負をかけたときは、絶対に負け戦をしてはダメだ」という考えを持つようになり、戦いに慎重な性格へと変わっていった。


しかし、岸田くんは、このときの屈辱の思いを忘れていなかった。
もちろん、森くんも忘れていなかっただろう。

それが上記のツーショット写真に見事に現れている。


「加藤の乱」から今日まで、何が起きたのかを考えて欲しいものである。

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