どうにも心が動かない。
トランプが騒がしいが、その道を歩こうとは思わないし、もともとわたしが見ているものは影絵のようなもので、tweetさえも大きく心を動かすものは少ない。毎日50通近くの詐欺メールをゴミ箱に入れるのが面倒な世の中だ。人を騙して金をくすねたいのかね。
米の値段が異常に高騰して、政府は備蓄米を放出するというが、なんと入札制度で販売するという。頭がジャムになっているのだ。入札など、さらなる米価の高騰を生みかねない。放出するなら、全国の小さなスーパーに無償で卸す位のことができないのか。去年だったか、退院するときにお茶碗に残っていたご飯を家へ持ち帰り、雀のために庭に蒔いたが、雀は一粒も食べなかった。やられた、と思った。プラスチック米だったのだろう。入院患者に高額な薬はどんどん処方するが、プラスチックを食べさせるのかね。そこまで医療は歪んだか。救急車で救急病院に行くと、必ずPCR検査をされる。「PCR検査の陽性を以てコロナ患者と判断しない」というのは厚労省が国会で答弁したことだが、ならば救急病院は何のために発熱もしていない患者にPCR検査をするのか?邪推だが、コロナ対策をしている病院には国から助成金でも出るのだろうと推し量る。「面会禁止」もそのコロナ対策の一つだろう。入院すると家族に会えない、これは憲法違反ではないのかと思う。病院の職員は毎日家庭と病院の往復をしている。公共の交通機関も使うしスーパーに買い物にも行く。しかし、彼らは患者と自由に面会ができる。おかしくないのかこれは。
死ぬなら家で死にたいものだ。その方法を考えてしまう毎日だ。
米が高いからだけでもないが、わたしは1日に150g程度の米しか食べなくなった。パンも殆ど食べない。何かを考えて行動しているわけではない。自然とそうなってきた。
チョコを食べたいけれど、チョコがない。
この国をよくしたいが、この国には日本人のための政府は存在しない。明治以来、この国は深いところで破壊され続けている。鎖国したらいい、と切に願う。食料も日常生活に必要なものも日本で作り日本人で共生する。無理なことではない。戦後は喰うものがなかった。飢えに耐えられなくなると犬を食べたという。赤犬が美味しかったと、学校の先生が言っていた。私の時代でも、おやつはサツマイモをふかしたものだった。それもおやつがあればの話だが。夕食におかずのない日もあった。大抵は母親が漬けてある漬物をおかずにしたが、それもないときは、ご飯に醤油をかけて食べた。当たり前だった。
米が高いと話をしながら、喫茶店でパフェを食う二人連れ。松果体がサクランボになっているのか?