2024年8月13日記。
3ヶ月ほど前から、心臓の異常を感じていた。昼間に負荷のかかる運動をすると、次の日の早朝に胸痛が起きる。SPO2は少しだけ下がる。心臓血管バイパス手術をしてから7年。静脈で作ったバイパスは5年ほどしか持たないという情報は知っていた。
胸痛が起きるようになってから色々な薬やサプリを止め、色々な実験をした。
「やってみなければ分からない」
時には朝の4時に胸痛が起きたときに煙草を吸い、血圧やSPO2を計測したりもした。
何度か救急病院に運ばれて、わたしが決断したのは、心臓血管の造影検査をすることだった。血管の造影剤は腎臓に負担をかけるのでなるべく使いたくなかったが、事ここにいたりては仕方ない。そして案の定2本の静脈で作ったバイパスが狭窄していることを確認し、ステントを留置する決断をした。
救急病院の処置室で、コロナウイルスを分離した科学者はいない、などと話すと、気が触れている患者のような対応をされた。
まだリハビリ中なので長文は書けない。
2024年8月14日記
入院して、まず心不全の治療が始まる。
抗凝固剤、利尿剤、抗コレステロール剤・・気に入らない薬もあったが、実験だ。
ただし、スタチンは拒否した。
毎日、心臓に負担をかけない程度のリハビリが行われる。
しかし、何度か狭心症と激しい不整脈を起こした。
病室のエアコンは効きすぎて寒い。
通常は心不全の治療をして、一度退院し、再度ステントを留置するために入院するらしい。
そうした方が病院に支払われる治療費が高くなるらしい。
しかし、わたしの場合は、退院できるような状態ではなかった。
リハビリをしている時間以外はベッドの上でラジオを聞いて暮らした。
そう、若い看護婦に「キスして」と言われた。
まっすぐな瞳は嫌いではない。
8月16日記。
ステント留置術を終え、無事に退院できるかと思っていたが、病院スタッフの一人がわたしに心ない言葉をかけた。
国家資格を持った暗記ロボットはサイコパスに似ている。
心臓の状態を鑑み、怒りを抑えたわたしは、次の日の早朝、体験したことのない異様な不整脈を感じてナースコールを押した。原因は分かっている。「怒り」の感情は自らを傷つける。不整脈が治まってから、朝食まで、わたしは当直の看護婦に「押し込めた怒り」を吐き出させて貰った。わたしはベッドに座り、看護婦はその横でしゃがんでいた。薄暗い病室の中、そんな格好で看護婦は1時間以上にわたり、話を聞いてくれた。本当に有り難かった。
23日間にわたる入院が終わった。ナースステーションの看護婦はみんな声をかけてくれた。
こんなに温かいスタッフがたくさんいるのは病院にとっての宝だと、経営者は思い知らねばならない。
そう、思う。
まだブログを書くのに力が足りない。
気持ちだけ綴らせていただいた。