数年前、心臓の手術をすることになった。
ある夜、不意に、なんだか妙な違和感を感じて、自分の車を運転して、日赤の救急外来に行った。
そこで診察を受けていると気が遠くなり、医師たちはビニールの袋のようなものを私の顔に被せ、そこに酸素を送り込み、ストレッチャーに乗せられた私はICUのベッドで横たわった。
狭心症のようなものだった。
精査を受けた結果、日赤では手がつけられず、他の病院で手術をすることになったのだが、転院先の担当の医師から自分の心臓の動画を見せられると、「もうこれは死んでいるな」としか思えなかった。
死んでいる自分を意識のある自分が見ているような不思議な気持ちだった。
手術室に入るとすぐに麻酔がかけられる。いまの麻酔は効く。私はあっという間に深い眠りに入った。
どれくらい時間が経ったのか。眠っているわたしは異変を感じ、意識体が目覚めた。強烈に苦しいのだ。
「先生、これには耐えられないよ」
私の意識体は言っていた。
しかしその苦しさは、再びやってきた。
「なにか私の体に変調が起きて手術は失敗しているのかな」
わたしの意識体はそう思っていた。そして「死とはこういうものか」と諦めた。
その苦しさは、合計4回やってきた。そして意識体は気を失った。
次に意識体が目覚めたときには、医師たちの声が聞こえてきた。
医師たちは、きれいに流れる血流のことを話していた。どうやら私の手術は成功したらしい。
そして再び意識体は眠りに落ちた。
私の手術は心臓を止めずに行う予定だったが、あとで聞くと、手術途中で人工心肺を使ったという。
私の心臓は一度止められたということだ。それで合点がいった。
あの4回の苦しさは2つの心房と2つの心室が動きを止めるときの苦しさだったのだ。
心臓は一度には止まらない。4回の苦しみの末に止まるのだ。
それにしても、あの夜、よくぞ自分で日赤まで行ったものだと思う。複数の医師の前で狭心症発作を起こす、これは奇跡だ。
あの夜、自宅で同じ発作を起こしていたら、私は今こうしてキーボードを打つことはできなかっただろう。