先日わたしは、人間は電磁体であると書いた。https://bottomx.shibugaki.jp/?p=4338

ただの日記である。エビデンスはない。
今日もただの日記だ。

心臓はその拍動によって動脈血を全身に送る。心臓のこの拍動は脳から電気的な指令が出て動いているわけではない。しかし、心臓はポンプのように吸い上げる力は持っていない。もしも、心臓にその力があるのなら、静脈で脈が採れることにならないか?

極性を持つ静脈血は磁場や体内電気の影響を受けて心臓へと帰っている。だから脈は採れない。植物が水を吸い上げるのと似ている。でも毛細管現象だけでは説明できない。やはりポイントは地球の磁場と極性を持つ水の関係にある。

赤血球をはじめ人体は地球の磁場の影響を受けてこそ、その命をつないでいる。千島博士は腸で作られた赤血球がすべての細胞になると言われた。さらに細胞が赤血球に戻るとも言われた。女性の生理はその典型である。子宮内膜が血液に変化している。赤血球には核があるのではないか。

医師は骨髄で血液が作られると言うが、作られた血液はどのルートで全身に送られるのか?わたしは、両手両足がない女性を見たことがあるが、彼女はどうやって血液を作っているのか?こうしたことに対して現代医学は説明をしない。

赤血球のイラストはよく見かける。

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なぜ球体ではないのか?

赤血球は磁場の影響を受けて回転しているからだ。水は極性を持っている。ならば血液も極性を持っている。赤血球が血管内の異物などと癒着して血栓を作らないために回転しているのではないか、それとも回転が熱を産み出しているのかと、夢想する。そして、赤血球の核は回転によって円周部分に存在する。

何度も言うが、人体は地球の磁場の影響を受けて営みを続けている。
他の動物も同様だろうと思う。蜂は上空10,000mを飛ばない。そして、航空機に長時間乗った人間はエコノミー症候群を起こす。地磁気の影響がほとんど及ばないからだ。



話は支離滅裂になっていくが、わたしは子どもの頃に幽体離脱したことがある。寝ている自分がどんどん浮き上がっていく。怖くなったわたしは、「浮いていく、浮いていく」と両親に訴えたが、既にわたしの幽体は天井数センチ手前だった。下を見ると、寝ているわたしの体を両親が押さえつけて、「浮いてない、浮いてない」と声をかけている。

わたしが幽体離脱した時、幽体は生きていた、肉体も生きていた。そして、意識は幽体が持っていた。「わたし」は肉体ではない。

Bill Evans Undercurrent


では、死とはなんだろう。心臓が停止して、呼吸がなく、瞳孔反射が消失した時を死とするのだろう。肉体の死である。しかし、幽体の死は無いのではないだろうか。肉体はいろいろな理由でその働きに不全を起こし、機能を果たさなくなる時が来るのだろうが、幽体は存在し続ける。


では幽体とはなんだろう。わたしは幽体こそ真の電磁体だと思っている。電気も発生するし、磁場もあるし、発光さえする。エネルギー体である。この幽体が仙骨の中に入った時に人体は意思を持った生体として活動を始める。永久電池の役割さえ果たすのではないか。血液が循環しミトコンドリアがエネルギーを産生し、細胞が入れ替わり、あるいは血液に戻り、という体内の摩訶不思議な循環を生み出す根本の電磁体、それが幽体だと思う。

今の古家に引っ越してきた時、ラップ現象が度々起きた。何もない空間で、バチッ、バチッと電気がショートするような音がしていた。わたしは電磁体である幽体がショートを起こしているのだと思って、少しの間、放おっておいたが、ある日あまりにうるさい音をたてるので一喝した。「うるさい。出て行け」と。その日以来ラップ音がしたことはない。この家はそれなりの期間空き家だったので、色々な幽体が住んでいたのかも知れない。複数の電磁体はショートする可能性もあるだろう。それがラップ音なのではないか。

昔、亭主が家を出る時、女房が火打ち石を打って火花を飛ばす習慣があった。あれは亭主に接触しようとする他の霊体を電気で追い払う行為ではなかったのか。邪な霊体は頚椎と胸椎の境目から入ってこようとするのだ。

もう100年以上前のことだが、ダンカン・マクドゥーガル博士が魂の重さを計測したことがある。死後に失われるガスや体液の重さも考慮に入れた上で、魂の重さは21グラムだと彼は結論づけた。真偽は明らかではない。けれども、こんなに重いはずがないと私は感じている。少し調べてみると、1990年末に魂の重さを2.5〜6.5グラムと発表した学者がいるようだ。こちらのほうが私の感覚に近い。幽体の重さはちょうど蝶の重さに似ているだろうと、わたしは感じている。

もしも、重さがあれば、そのエネルギーは決して消失しない。姿形を変えることはあっても、エネルギーは消えないのだ。エネルギー不変の法則が事実ならば。

全ては夢想である。しかし、この先、わたしはこの考えをもとにいろいろな現象を観察することになるだろうと思う。


ニコラ・テスラは言った。
「”死は存在しない “この知識があれば、死への恐怖も消えてしまいます 。そして、覚えておいてください。これまでに存在した人で、死んだ人はいません。彼らは光に変化して、今も存在しているのだから。」



わたしが思うに、わたしたちの悲劇は、自分が躰だと思っているところから始まっている。
さらに、自我が己であると勘違いしているのだ。

わたしの日記は、書いているうちにいつも混沌としてくる。

そして書いている端から色褪せていく。
けれども、わたしのターフェル・アナトミアは、今後も編纂され続けていく。