破裂したくなる冬のにきに億千万の嘘を書ききれない

世の中は億千万の嘘で成り立っている。
それらは全て、わたし達自身がこの世を産み出していることを忘却させるためにある。


地球は球ではない。
わたし達の意識が及ぶ果ての果てまでが宇宙であり、地球はその一区画である。

重力はない。
質量の差があるだけである。

歴史は捏造されている。
わたし達の起源はひどく近いところにある。

宇宙の始まりは、あなたがこの世にやってきた時である。

神を外に求めるなかれ。
偶像神とは、わたし達がある意味での創造主であることを隠すための道具でしかない。

ウイルスは存在しない。
ウイルスとはメッセンジャーRNAであるエクソソームのことである。
エクソソームは躰の中にメッセージを配達し、時に隣人にも届ける。
動物も植物もこれを使って情報交換をしている可能性がある。

わたしは體ではない。
わたしは意識であり、観ている者であり、創造する者である。

わたしは小学生の頃までは自分を俯瞰して見ていた。
わたしは二人いたのだ。

パソコンの前にいるときは、ほとんどYoutubeの音楽を聞いているが、ここ2日ほどはこれという音に出会わない。多分わたしが変化している。仕方なく1950年代のJazzを聞く。

Twitterに呟かれる言葉が遠い。とてつもなく遠い。やはりわたしは変化している。




少し興味を惹かれる動画がある。まだ一度しか見ていないが・・。
https://www.youtube.com/watch?v=v3IzDG1aPQY&list=PL8ucZibtiQ_I0t8IN_lxRt9yvdKfZOC6v&index=32&t=622s


訳が分かるようでいて分からない。
まぁ、世の中とはそうしたものかと合点のいくふりをして鼻をかむ。

もう冬なのである。
相変わらず支離滅裂の冬である。
健全な精神など持ちたくもない。

破裂したくなる。
埒を破壊し尽くせ。

・添付資料

ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 – 1925年3月30日(64歳没))は、バルカン半島のクラリェヴェクで生まれ、オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者である。

ゲーテの自然科学論や学芸雑誌の編集に携わりながら、前衛的な団体やアナキズムの傾向をもつ人々と関係するようになり、ニーチェ主義的な自由思想の立場に至るが、神秘思想の講演者に転身し、人智学(アントロポゾフィー)と称する精神運動を創唱した。人智学運動は神智学協会の神智学運動から派生したものであるが、インド思想に傾倒した神智学協会よりもキリスト教神智学に近い性格をもっており、ロマン派の自然哲学、グノーシス、薔薇十字思想の流れも汲んでいる。

シュタイナーの思想はカール・グスタフ・ユング、パウル・クレー、アルベルト・シュヴァイツァーにも何らかの影響を与えた。ドイツ哲学研究者の三島憲一は、1970年代以降のドイツで緑の党に集まった知識人たちのなかに人智学に学んだ人々が多いと述べているが、その一方で、1920年代にヴァルター・ベンヤミンはシュタイナーについて「前近代への願望でしかないと見て深く軽蔑していた」(三島 2002 : 596)とも指摘している。(wikipedia)

突然床下から現れた仔猫はもういない

床下で泣き続ける仔猫を救出したのが8月31日。
9月朔日に両目が開いた。


毎日、ミルクを与える日々が始まった。
わたしは猫など飼ったことがない。


仔猫は日々育っていく。
だが、わたしの疲労は溜まっていく。
里親を探した。
だが、仔猫への情が心の中で芽生えていく。


そして、里親が見つかった。
ネットで募集したのだが、会ってみると、私の母校の後輩であり、わたしが2度の手術を受けた病院の医師夫婦だった。縁は異なものである。

わたしが仔猫を譲る条件は、
仔猫が寝ていたダンボールごと引き取ってくれ、ということだった。
仔猫のいないダンボールなどとても見られない。

わたしが仔猫の世話をしたのは16日間。
しかし、その間に情は膨れ上がっていた。


口に少しミルクをつけた彼女の姿である。
また、どこかで、会おうな。

人にとって自尊心ほど厄介なものはない

「山月記」にて虎と化した李徴は言う。

何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようにれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、おれは努めて人とのまじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それがほとん羞恥心しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとはわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間にすることもいさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。おのれたまあらざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦してみがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとしてかわらに伍することも出来なかった。おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもん慙恚ざんいとによって益々ますますおのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

倨傲
おごりたかぶること。
郷党
自分の出身地。郷里。
碌々
自主性のないさま。
慙恚
恥じて恨み怒ること。
に伍する
凡人の仲間に入る。


少し要約すると、

自分の臆病な自尊心を守るために、詩人になって名を上げようと思いながら、努力もしなかった。かといって、凡人の仲間に入ることも潔しとしなかった。共に、自分の臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のなせる技だった。

自分に才がないということが露見することを恐れ、あえて努力して才を磨こうともせず、また、自分の才をなかば信じるがゆえに、凡人の仲間になることも出来なかった。李徴は次第に世を離れ、人と遠ざかり、ますます内なる自尊心を飼い太らせた。



人は、自分を肯定するために、そして自尊心を守るために、色々なことをする。その一つがセルフハンディキャッピングというものだ。

自分をハンディのある状態にしておくことで、プライドを守り続けるのである。

これは無意識の世界で行われることが多い。運動会で最下位になるのが嫌だから、それを親たちに見られるのが嫌だから、前の日に足に怪我をしてしまう。本人にしてみれば故意に作った怪我ではない。偶然なのだ。しかし、必然なのだ。

人にとって自尊心ほど厄介なものはない。

李徴は、才ある若者だった。潔くないことを恥とした。しかし、心に猛獣を飼っていた。臆病な自尊心と、尊大な羞恥心

そして李徴は自ら虎と化した。
虎と化すことを潔しとしたのか、それしか道はなかったのか・・。

わたしは虎と化した李徴と会ってみたい。
そう思うのだ。

今こそ 別れめ いざさらば

「仰げば尊し」

仰げば 尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば


互に睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば


朝夕 馴れにし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば


なんと美しい歌であろうか。
これを誰が作曲して作詞したのかはもはや問題ではない。

一部では、「身を立て 名をあげ」の部分が民主主義にそぐわないという意見もあったようだが、似非文化人の戯言に過ぎない。

また、もともとこの一節は儒学の経典「孝経」の「身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕かにするは孝の終わりなり」に基づいているらしい。という説もある。

Youtubeにこんなコメントがあった。
「身を立て 名をあげ」というのは、必ずしも有名人や著名人になることではなく、自立した人間になって社会に貢献しなさい、という意味ととらえることもできると私は思います。

私はこの意見に深く同意する。


さて、映画「二十四の瞳」では、この歌がオープニング・エンディングで使われた。

松竹大船撮影所製作
木下惠介監督・脚本
高峰秀子主演
壺井栄の小説『二十四の瞳』が原作。

1928年(昭和3年)、大石先生は新任の女教師として小豆島の岬の分教場に赴任する。一年生12人の子供たちの受け持ちとなり、田舎の古い慣習に苦労しながらも、良い先生になろうとする大石先生。

ある日、大石先生は子供のいたずらによる落とし穴に落ちてアキレス腱を断裂、長期間学校を休んでしまうが、先生に会いたい一心の子供たちは遠い道のりを泣きながら見舞いに来てくれる。


しばらくして、大石先生は本校に転勤する。その頃から、軍国主義の色濃くなり、不況も厳しくなって、登校を続けられない子供も出てくる。やがて、結婚した先生は軍国教育はいやだと退職してしまう。

戦争が始まり、男の子の半数は戦死し、大石先生の夫も戦死してしまう。また、母親と末娘も相次いで世を去る。

長かった苦しい戦争も終わり、大石先生はまた分教場に戻り教鞭を取ることになる。教え子の中にはかつての教え子の子供もいた。その名前を読み上げるだけで泣いてしまう先生に、子供たちは「泣きミソ先生」とあだ名をつけた。

そんな時、かつての教え子たちの同窓会が開かれる。その席で、戦争で失明した磯吉は一年生のときの記念写真を指差しながら(オリジナル版では指差す位置がずれ、涙を誘う)全員の位置を示す。真新しい自転車を贈られ、大石先生は胸が一杯になり、涙が溢れてきた。その自転車に乗って大石先生は分教場に向かう。
(Wiki)

この映画について、絶望名言の頭木弘樹さんはこう言う。

木下惠介監督の『二十四の瞳』という映画があります。その中で先生が、悲惨な境遇の貧しい子どもたちに泣きながら語りかけるんです。「先生にも、どうしていいか分からないけど」「その代わり、泣きたいときは、いつでも先生のところにいらっしゃい。先生も一緒に泣いたげる」。

戦後、この映画を見たアメリカ人は笑ったらしいです。一緒に泣くだけで何になるんだ。なんて無力なんだ。問題を解決しようとしないでどうするんだ、と。

今の日本人にもそう思う人は多いかもしれません。でも、泣くしかどうしようもないときってあるんです。泣くしかどうしようもないときに一緒に泣いてくれる人がいるかどうかは、とてつもなく大きいです。

一緒に泣いても問題は何も解決しませんが、自分の絶望のために心から泣いてくれる人がいたらどれほど心が救われるかしれません。そういう人がいるかいないかは、天と地の差と言ってもいいほどだと思います。

-「読むらじる」より –https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/CHRY4g0z_M.html

(予告編から音声を消しました。)




わたしは「仰げば尊し」が大好きである。
そしてJade Yinの歌声には心が震えてしまう。
これほど喜怒哀楽を超えて心に染み込む「仰げば尊し」があっただろうか。

Jade Yin公式サイト http://www.jadeyin.com/

緊縛というものが成立されるためには、わたしと他者が波動を重なり合わせていなくてはならない。

三島由紀夫がサルトルの「存在と無」を引用したことがある。

「一番猥褻なものはなにか。それは縛られた女の体だ」

そして三島はこう続ける。
「他者とは意思を持った主体であり、相手が意思を封鎖されている、相手が主体的な動作を起こせない、そういう状況が最もエロチシズムに訴える。」

この三島の言葉は浅い。
浅すぎる。
ただの理屈にしか過ぎない。

三島は理論武装する。
三島は肉体武装する。
実は、三島の本質、三島の種は、ただ「母親に褒められたい」というところに帰結する。これはわたしの感じるところでしか無いが・・。


緊縛とはエロチシズムに留まらず、無私の愛情であり、ある種の恋情でもある。その恋情は、他者にも注がれ、なおかつ自分自身にも流れ込むことがある。洗脳から開放されたい欲求が己にも存在するからだ。
 



雪村春樹氏は言う。
「風呂上りの女、生乾きの髪の毛の感触や匂いをかきながら、後ろから縛る。細いうなじ、白い襟足や背中を眺めながら…若いのに昭和の色香をただよわせる情の深さ…こんな女とは毎日、一緒に風呂に入りたいもんやなぁ。」

女性の美はその所作に宿っている。


「雪村春樹氏の愛情」
http://bottomx.shibugaki.jp/?p=93

今更、緊縛という行為について説明する気にはなれないが、緊縛というものが成立するためには、心よりももっと深いところで、わたしと他者が波動を重なり合わせていなくてはならない。

そのためには言葉は無い方がいい。波動を感じるためには、他者の履歴を知ることなど却って邪魔になりかねない。

そして、それは、洗脳や社会的仮面を破壊する一種の共同行為であるとも言えるかも知れない。