この世のこと, 心理, 日記, 言葉 キダタロー、テレビ、上岡龍太郎、供託金、岡部まり、憲法、憲法違反、探偵ナイトスクープ、日米合同委員会、洗脳装置 雨が降り出した月曜日の妄想日記 2024年5月27日 SNSを眺めてみると、どうも違和感がある。先に言っておこうか。 日本政府とは、日本人から労働と金銭を提供させ、それをDSに分配する組織である。基本的な国の方針は日米合同委員会によって、米軍から官僚に伝えられる。これは指示である。この指示に従わない政治家は干される、スキャンダルを暴かれる、或いは殺される。日本政府は日本人のための政治をすることはない。絶対にない。
心理, 批評, 日々のこと, 言葉 下田逸郎、唄、早く抱いて、歌、火口の二人、真我、自我、電磁体 早く抱いてという詩を読んで聞いて思うこと 2024年3月14日 さて、冒頭の詩。「早く抱いて」は自我が語る言葉だと感じる。自我が真我に囁くなめらかで繊細な誘惑であり、自我の消え去るときの静寂で終わる一篇の詩であろう。ただし、これは、わたしの感じ方であって、作詞された下田逸郎さんがそういう意図で紡がれたものではないかも知れない。しかし、芸術とはそうしたものである。作者の意図しない見方を大勢の人がしてしまう。そこに一つの普遍性が生まれ、時代を超えて、人々の心に何億種もの振動を与えるのだろうと思う。
この世のこと, 心理, 批評 ゴリラ、仲間、共存、共感、共生、対等、山極壽一、平等、戦争、自己主張 共感の上に成立するゴリラの共存社会 後編 2023年3月14日 お互いが、お互いの尊厳というものをきちんと理解し合う事が重要であって、「子どもだから」あるいは「ご老人だから」身体的な脳力がそこに反映されるんじゃなくて、お互いが、平等で対等で、分かり合える存在であるという事を常に意識しながら、関係作りをしていかなくちゃいけない、ということですね。それは、ゴリラに学べる点だと思いますね、
この世のこと, 心理, 批評 ゴリラ、ドラミング、仲間、共存、共感、共生、自己主張 共感の上に成立するゴリラの共存社会 前編 2023年3月14日 ゴリラの社会っていうのは、双方がメンツを保つことが非常に重要なのね。勝ち負けを決めない。それを、人間は誤解しているわけだ。我々、人間ていうのはね、やっぱり、トラブルがあって、両方が力をぶつかり合わせると、勝ち負けを決めようとするでしょ。ゴリラって、そうでなくて、勝ち負けをあえて決めずに、お互いがメンツを大事にして引き分ける。
心理, 日々のこと, 日記 お星様、借金、博打、友川カズキ、夢、競輪 永い夢を見続けてきたけれど 2023年1月22日 思えば、永い夢を見続けてきた。 知らないことは何でも体験してみよう、それが幼い頃に決めた思いだったが、その道は思った以上に苦しいものだった。承認欲求など持ち合わせていないが、わたしが必要でない世界ができあがるのならば、わたしは夢をとじるつもりだ。
この世のこと, 心理, 日々のこと, 日記 同棲時代、夢、明晰夢、現実 夢でも現実でもいい。なんとでも名前を付けるがいい。ただし、それらはすべてわたしなのです。 2022年6月29日 現実など存在しないのではないか。すべてはわたしの世界であり、わたしの体験であり、わたしの魂なのだ。 いろいろな女性と巡り合ってきたが、今思う。「また会おうね」と。
心理, 日々のこと, 日記, 言葉 夢、現、現実、電磁体 月曜日に気づいた背中のひっかき傷 2022年6月20日 わたしは、見ている。 それ以上でもそれ以下でもない。 見ているというのは一種の体験だろうと思う。 何もしないという意味ではない。 知らないことは何でも試してみる。 言いたいことがあれば、何処であろうが、相手が誰であろうが、言う。 そんな「氣」は伝わるのだろう。 わたしに男友達はいない。 でも、わたしは見ている存在だ。
心理, 日々のこと, 日記 ナルシシズム、自己肯定 ナルシシズムは世界を変えてしまうという思いで、五月雨を眺める 2022年5月12日 女性は自己肯定感を作るのが上手だ。私などは、自分の写真を誰にも撮らせなかったほど、自分を見るのが嫌いな人間だが、女性は、毎日のように鏡を見るらしい。わたしには、信じられないことだ。振り返れば、私はどこかで自己否定をし続けている。もしくは、この世界を容認できないでいる。その現れが、写真を撮らせない、鏡を見ない、という行動になっているわけだ。
この世のこと, 心理, 日々のこと, 日記 ルドルフ・シュタイナー、嘘、意識、神 破裂したくなる冬のにきに億千万の嘘を書ききれない 2021年10月20日 世の中は億千万の嘘で成り立っている。それらは全て、わたし達自身がこの世を産み出していることを忘却させるためにある。神を外に求めるなかれ。偶像神とは、わたし達がある意味での創造主であることを隠すための道具でしかない。わたしは體ではない。わたしは意識であり、観ている者であり、創造する者である。