5月の出来事だ。
わたしは頻繁に父母の夢を見た。父母が亡くなってからもう10年以上経つ。その一つが次のような夢だ。

わたしは東南アジアのジャングルの中にある寺院の前にいる。
その前に立っているのは、先日同窓会であった男。この男の笑顔はいつだって私に溶解しない感情のゆがみを与える。彼は日本人のために道案内をする役目を請け負っているようだ。父母は彼の言うとおりに狭い山道を降りていく。何しに行くのだと私が尋ねると、バスを借りに行くと母が言う。バスを借りて一度故郷に帰り、そこで何人かの人を乗せてまたここに帰ってくるのだと。そのバスの運転を私に頼みたいと。バスを運転した記憶はないが、気がつくと、わたしは自分が生まれ育った家にいる。父母はすでに何人かの人を借りてきたバスに乗せているらしい。わたしは、これは、黄泉の国行きのバスだと思った。そしてそのバスを運転することも同乗することも、強く断った。父母はそんなわたしを気にとめるでもなく家を出た。

わたしには約束があった。5月の末に同窓生の女性と会うことになっていた。まだ黄泉の国に行くわけにはいかない。すると5月23日午前4時にインターホンが鳴った。私の家はインターホンの前に誰かが立つと照明が点くのだが、モニターを見ても照明は点いていない。これは兄の仕業だった。兄は昨年の3月に亡くなっている。亡くなった次の日、まさに4時頃にインターホンが鳴ったのだ。そのときは、もう直感的に兄が鳴らしたものだと分かった。そして再び兄がインターホンを鳴らした。

うるさい。俺を呼びに来るな。
わたしは、彼を叱責した。

そして、わたしは約束していた彼女と会うことができたのだが、今になって思い出したことがある。兄がまだ元気だった頃、わたしに、何かうまいものを食べたくないか、と電話を架けてきたことがある。その時、わたしはウナギを食べたい、と言った。そしたら、兄はウナギを買って私の家まで届けてくれた。天然のウナギはとても美味しかった。しかし、兄はそんなにうまいとは思わないと言った。そして、兄の一周忌。兄嫁からメールが来た。一周忌にみんなでウナギを食べに行かないかとの打診だったが、わたしは退院したばかりでその話には乗ることができなかった。今思えば不思議なことだった。

この世は見えているものだけでできているものではない。
もしかしたら見えないものの方が、総量的には、見えているものより遙かに大きいのかも知れない。

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