事の始まりは、黒い影だった。

数ヶ月前から、部屋の隅で小さな黒い影が動き回るようになった。
視界の中に入った途端に振り向いても、影は消えている。

人は言うだろう。
それは目の異常だろうと。

人は自分の潜在意識の恒常性を壊したくないので、未知の事例を自分の知識に当てはめようとする。
知らなかったことを簡単に受け入れたくないのだ。
しかし、知らなかった事象と出会うことこそ生きていて楽しいことなのだ。

そしてこの黒い影はわたし以外にも見た人がいる。

別に悪さもしない黒い影なので、放置していたが、寒くなってから何故か頻繁に姿を見せるようになった。
その影は何体いるのかわからない。だけど、私の部屋にいる。影もきっと電磁体である。




祓うことにした。

一週間ほど前、まず部屋の中で火打ち石を打った。そして、741HZの音叉を自分の頭頂部に当てた。
その夜、夢を見た。

これまでも、わたしは時々、夢の中で黒い影を両手のひらで消滅させたことがある。
しかし、今回の夢は実体を伴っていた。

江戸時代の旅籠のようなところにわたしは宿泊していた。そこで、殺人が起きる。番頭に相談を受けたわたしは旅籠の襖をすべて開け放つよう頼んだ。十人を少し超える宿泊客がいた。邪(よこしま)な生命は見ればわかる。


昔のことだが、兄が支店長を務めていた会社に行ったことがある。退社前で五十人ほどの社員が一つの部屋にいた。わたしは、その中で邪(よこしま)な生命を持つ者をピックアップして兄に告げて、先に部屋を出たが、あとで聞くと、わたしがピックアップした社員は、全員がある宗教団体の信者だった。生命は色を発しているのである。だから見ればわかる。


さて、夢の中に戻るが、わたしは旅籠の客の中に三人の邪気を見つけた。ひとりは、明らかに河童だった。しかし、彼はとても引っ込み思案で、川で泳いだことがない痩せて怯えた河童だった。犯人は彼ではない。あとの二人は襖の影に少し隠れるようにして、わたしを見ない。見た目は人間なのだが、明らかに異物だった。邪な電磁体だった。

わたしは番頭に、警察を呼ぶよう指示してから、その二人を襖の影から引きずり出した。わたしの前に立った二人は少しずつ黒い影になっていく。わたしは両手のひらで二人を挟み込むようにして、氣を放出した。今まで消してきた黒い影とは比べ物にならないほどの氣力が必要だったが、二人は影となり黒体化を続け、遂には炭化して形を失った。ふと振り返ると、柱の横に立っていた河童は、砂になって、柱の元でとても小さな山となっていた。

目を覚ました私は異常に疲れていた。すると、私の部屋で寝てもらっている女性が、「やめて、やめて」とうなされている。私は彼女に訪ねた。「河童がいたか?」彼女は「うん」と答えた。「もう心配いらないよ、やっつけたからね」とわたしが告げると、彼女は静かな眠りの中に溶け込んでいった。

彼女も同じ夢を見ていたようだ。人間の発する周波数は伝染る。
掛け時計を見ると、午前五時ちょうどだったが、私は疲れていて三十分ほどは眠ることができなかった。

わたしは数年前に手術をして以来、深夜に体調がおかしくなることが多く、夜は彼女に私の部屋で寝てもらっている。そして実際に何回か救急車を呼んでもらったことがある。



これが、一週間ほど前に起きたことである。
以来、部屋の中で黒い影は見ない。