ある方のツイートをメモする

Shinya 19❂86さんのTweetをランダムに転載させていただく。
以下、わたしは、一切言葉を書き足しませんのでご了承を。


転載開始。

ややこしい説明になる為簡潔に。 人体のマクロファージ ・ミトコンドリア・ソマチッドや血液内成分など、これら全て 「地磁気パルス」との共振でその機能運動や正常な働きを行うものと考える。 陽電化によりこれらの組織物質の電子運動にアンバランスが生じる。 安定を求める電子は他者へとうつる

プールなどに使われる塩素系物質はこのワクチンによる陽電化促進効果の為、地磁気パルスと連携して正常に働く各組織や細胞内の「人体生命維持システム構成」に支障をきたすこととなる。 安定性を失った上記の構成物質の電気的バランスは 陽電化(プラス側の電荷)へと移行。pHバランスも崩れる。

ミトコンドリアやソマチッド マクロファージ 等の 不活性化。 従来の磁気バランスにて機能していたものが、 陽電化により 地からのパルスを正常に受け取れなくなる。

こうした予備知識は大切だと思います。 「エクソソーム」 ウイルスとは何なのか? と言う疑問のヒントになると思います。 #エクソソーム #マクロファージ #RNA

炭酸水素ナトリウム 別名重炭酸ナトリウム (重炭酸ソーダ、略して重曹) 化学式 NaHCO3 ナトリウムの炭酸水素塩。 常温で白色の粉末状。 水溶液のpHはアルカリ性を示すものの、フェノールフタレインを加えても変色しない程度の弱い塩基性である。

ケイ素(けいそ、珪素、硅素、英: silicon、羅: silicium) 原子番号14の元素である。 元素記号はSi。 原子量は28.1。

生体細胞内のマイナス電荷と 地磁気やその他外部からの電荷。 この辺りが人体の免疫力システムとの関係となんらかの関係があるのでは? 体内でのプラス、マイナスの電荷の偏りが人体の免疫力と関係。

人体の細胞・体内形成組織等、これら全て電気的バランス環境下にあります。 地磁気(大地)からの生命線が身体機能の持続に左右するわけで、ここがとても重要なポイントです。 この 人体と地磁気とのバランス不均衡が現在の結果です。 「陽電化」はうつります。基本を忘れずに。 #陽電化はうつる

人工削減を掲げて計画を進める者達は過剰な「優生学思想」です。 つまり簡単に騙される者よりも、汚れていない血(遺伝子)を欲します これが彼らの「選別」 だからそれらの存在達は早くから遺伝子貯蔵を実行中。 一方で「大いなる意思」は その事への氣付きを待っているのかもしれません。

わたし達の体内。 外側、つまり外部からの地磁気の動きや電磁波など 電気的影響を受けている事は否定出来ないと思います。 そして、気になるのが 「なぜわたし達は生きていられるのか?」です。 細胞内の電荷を中和する仕組みが 免疫力と言うシステムとつながっているとしたら…

体内の赤血球の総数はおよそ20兆個。 膨大な量の赤血球は体内の細胞にくまなく酸素を供給する。 骨髄では毎日2000億個程度の赤血球が作られている。 体を循環して酸素を供給し、古くなると脾臓や肝臓などのマクロファージに捕捉され分解される。

赤血球は血球の中で最も多い細胞。全身へ酸素を運ぶ重要な役割を担っています。 形状は 核がなく、真ん中がわずかにくぼんだ円盤状である。 この赤血球の寿命は 約120日。 赤血球は、細胞の中に「ヘモグロビン」というタンパク質を持っています。

#マクロファージ(Macrophage) マクロファージは白血球の1種。 体内でアメーバ状の運動する遊走性の食細胞と言われています。 体内に生じた変性物質や侵入した細菌などの異物を捕らえ無力化する清掃屋の役割を果たしています。 免疫系の一部を担い、免疫機能の中心的役割を担っています。

わたし達は 何故 今 生きていられるか? 過去 日本で あれだけの放射能被曝の可能性がある事象を何度も重ねたわけです。 広島、長崎、 そして フクイチ。 更に 地下… 環境の激変と人 そのものの変化? こうゆう視点も 考察する対象にして行かなければ。 そんなふうに思います。

少し 参考になるかなぁ・・ と言う感じです。 内容はどちらにせよ みんなわからない、 しかし この ケイ素 と言うのは どうやら 重要な部分ではないのか? そう思うわけです。

ナチュラルキラー細胞 natural killer cell 自然免疫の主要因子として働く細胞傷害性リンパ球の1種。 特に腫瘍細胞やウイルス感染細胞の拒絶に重要。 形態的特徴から大形顆粒リンパ球と呼ばれる。 NK細胞はマクロファージなどの細胞種と同様の働きを持つと推測される

つまりは「ソマチッド」とは 何なのか? と言うところですね。
ソマチッド→マクロファージ      
↓  
体内免疫力・生命力      
↓  
血液・DNA
血液と地球の海(塩水)
儀式=血=長寿=古代から      
↓  
継承者をめぐる歴史の事象

2011年3月11日(平成23年)
東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故の引き金となった出来事。 この後、大量の放射性物質の飛散は致命的なリスクを日本と全世界に招く事になる。 後にそれは起きる。

3.11直後、大量の放射性物質の飛散は日本はおろか、世界中に。 その量は人類を失わせてしまうほどの危機に。 慌てた ある存在達は ある事を実行します。 そのうちのひとつが Si です。 日本で、政府が放射線量の安全基準を本来の100倍近い数値にまで緩和したのも、これと関係します。

何故政府は3.11の後、放射線量の基準値を大幅に変更したのか? つまり、知っていたのではないかと考えます。

大地と人や生物との間には 見えない大きな繋がりがあるのは確か。 「物」が「空間」に存在すると言う事は、同時に電気的な「場」を作ること。 小さな体内の腸内細菌はもちろん、細胞や遺伝子を構成するDNAやRNAに至るまで、大きく関わっているわけではないかと考えます。

わたし達の体内。 外側、つまり外部からの地磁気の動きや電磁波など 電気的影響を受けている事は否定出来ないと思います。 そして、気になるのが 「なぜわたし達は生きていられるのか?」です。 細胞内の電荷を中和する仕組みが 免疫力と言うシステムとつながっているとしたら…

#アンペールの法則 電流を流すと電流の方向に対し右ネジの回る向きに磁場が生じる。 右手の親指を立てて手を握ると、電流の方向を親指の向きとした時、残りの指の向きが磁界の向きと一致するため右手の法則と呼ばれる。

人工削減を掲げて計画を進める者達は過剰な「優生学思想」です。 つまり簡単に騙される者よりも、汚れていない血(遺伝子)を欲します これが彼らの「選別」 だからそれらの存在達は早くから遺伝子貯蔵を実行中。 一方で「大いなる意思」は その事への氣付きを待っているのかもしれません。

国語辞典は文化を引き継ぎ続けていく使命を持っている

近年、わたしたちの言葉が失われようとしている。言葉は文化を象徴するものである。言葉を失うことは、国を、さらには、民族を失うことである。ら抜き言葉云々が指摘され始めた頃以降、その誤った主張を訂正する国語学者が現れないことは慚愧に堪えない。

さらば。

[1] 〘接続〙① 先行の事柄を受けて、後続の事柄が起こることを示す(順態の仮定条件)。それならば。それでは。しからば。※竹取(9C末‐10C初)「さらばいかがはせん。難き物なり共仰せごとに従ひて求めにまからん」② (後に打消の語句を伴って) 先行の事柄に対し、後続の事柄が反対・対立の関係にあることを示す(逆態の確定条件)。しかし。だからといって。そのくせ。※平家(13C前)八「白衣なる法師どもに具しておはしけるが、さらばいそぎもあゆみ給はで」

[2] 〘感動〙 別れの挨拶(あいさつ)に用いる語。さようなら。※後撰(951‐953頃)離別・一三四一「さらばよと別れし時にいはませば我も涙におぼほれなまし〈伊勢〉」※御伽草子・蛤の草紙(室町末)「『さらば』といひて、しじらが宿を立ち出でて」[語誌](1)中古では(一)①の用法が中心で、中世以降(一)②の用法や(二)の感動詞的用法が多くなる。
(2)中世後期では「さらばさらば」と重ねた言い方が多く見え、さらに近世中期には「さらばの鳥」のような名詞的用法が生じ、打ち解けた間柄で用いる町人言葉「おさらば」もあらわれた。近世後期になると「さようならば」から生じた「さようなら」が一般化したが、近代以降は文語的な表現として「さらば」が用いられている。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 



わたしは、
「さらば」は根本的に「さ・あらば」の意であると思う。「さようなら」の意が含まれるようになったのは後のこと。例えば、「さ・あらば」と言い、席を立つ行動は、離別を示すが、「この場を辞す」と言わないところが、日本語の特性であると思うのだ。

みなまで言わずとも、意は通ずる。それが日本人の言葉だ。



先日、わたしは、昭和47年の小学館日本国語大辞典を買った。
全10巻。1巻の重さは2.5kgを超える。

その発刊の辞として以下のように書かれている。

 国語辞典は一国の文化を象徴する。真の国語辞典の有無、あるいはその辞典の性格に、その国の文化の水準が反映するといってよい。文化とことばとの深いかかわりを考えるとき、一国の文化を継承しこれを将来に伝達するために果たす国語辞典の役割は、きわめて大きい。

 近来、外国語、あるいは外国の文化に接する人々の層が広がるにつれて、わが民族の歴史、民族のことばを振り返って考えようとする気運が高まりつつつある。一方、国際社会に活躍する日本を、また日本民族を知ろうとする外国人も急速に増大した。今や、本格的な国語辞典の出現は、時代の要請するところである。

 ゆれ動く表記の規範を求め、あるいは国語教育の必要に対応せんがための辞書の企ては多いが、膨大な資料に立ち返って、日本語をくまなく記録しようとする試みは見られなかった。日本文化の歴史をとらえ、日本民族のこころを伝える国語辞典の編纂は、限られた分野で進められるものでもなく、短い期間で成しうるものでもない。そして、その成果を盛り込むには、とうてい一巻や二巻で足りるものでもない。まさに十巻二十巻に及ぶ国語大辞典でなければならない。

 国語大辞典の生命は、まずその引例文にある。上代から現代に至る実際の用例を集め、その上に立って意義用法を記述すべきである。そのために、国語大辞典の編纂は、さまざまな分野の資料を渉猟して、その中からことばの生きた使用例を集めることから出発する。電子計算機の発達した今日にあっても、日本語の複雑な表記を、とりわけ、文献に見られるおびただしい漢字を機械的に処理するまでには至っていない。そこで、文献からことばを拾いあげ、用例を記録し、執筆のための資料を作るという作業には、まさに膨大な頭脳と労力とが結集されなければならない。

 また、国語大辞典は、今日の日本を正しく反映するものでなければならない。従来の国語辞典にとらわれてきた語彙の範囲を広げ、固有名詞・専門用語、あるいは、方言・俗語などをも収め、広く日本語をとらえる必要がある。そして、そのためには、ひとり国語文学界のみならず、さまざまな学問分野からの幅広い協力を仰がなければならない。

 『日本国語大辞典』は、右のような判断と構想の上に立って、日本語の歴史を振り返り、一語一語の経歴を明らかにし、さらに未開拓であった現代日本についても、その背景を明確に把握しようとするものである。

 幸い、この企ての趣旨は大方の賛同を得、編集顧問・編集委員をはじめ多くの方々の参画を仰ぐとこができた。小学館の堅い決意のもとに、語彙用法の収集等基礎的作業に着手した時から、それを継承して日本大辞典刊行会が編集の任に当たって今日まで十数年、『日本国語大辞典』は、あまたの協力者の熱意と努力によって創造されたものである。また、万余の文献の恩恵に浴しつつ、直接的には、「大日本国語辞典」をはじめ先行する辞典類に教えられるところの多かったことを銘記したい。そして、これら協力者や先人の労に報いる道はただ一つ、この企てを確実に全うすることであると信ずる。

 この一大事業の意義を考えるとき、その責任の大きさと遂行の困難とを痛感するとともに、この事業に携わる誇りと喜びとを禁じえない。『日本国語大辞典』が読者諸賢によって十分活用され、かつ日本における国語辞典の礎石となることを期するものである。

昭和四十七年十一月
 
小学館
日本大辞典刊行会



わたしは、小説を読まなくなって久しい。
今後は、この国語辞典を読むことにする。


いざ。

愛なんていう得体の知れない言葉は理解できない。

わたしは自分を愛してなどいない。
だから他人を愛せない。

こう書くと誤解を招くだろうな。
実は、わたしには愛という言葉がわからない、ということだ。

どうしても感覚的に理解できない。その言葉が放つ違和感はわたしの心を収縮させてしまう。愛という言葉はわたしたちを欺くために作られたものではないのかとさえ思う。

しかし、恋という言葉はこの違和感をわたしに投げかけない。正式には、戀か。

こい【恋】コヒ
①一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。万葉集20「常陸さし行かむ雁もが吾が―を記して付けて妹に知らせむ」。「―に身を焼く」
②植物や土地などに寄せる思慕の情。万葉集10「桜花時は過ぎねど見る人の―の盛りと今し散るらむ」
広辞苑無料検索

広辞苑ではだめなようである。

戀は孤悲である。
「人、土地、植物、季節などを思い慕うこと。めでいつくしむこと。」
「目の前にない対象を求め慕う心情をいうが、その気持の裏側には、求める対象と共にいないことの悲しさや一人でいることの寂しさがある。その点、「万葉」で多用された「孤悲」という表記は漢籍の影響も指摘されてはいるが、当時の解釈をよく表わしている。」
-日本国語大辞典-

わたしは自神がこの世界を作っていると思っている。あなたもあなたの世界を作っている。しかし、完全に洗脳された人は、inputされた情報のみで歪な世界を作ってしまっている。脳は世界を可視化する役割をしている。洗脳された人がその脳で作る世界は内なるものが完全にシャットアウトされている。わたしたちが見る世界は百人百様であると言っても言い過ぎにはならないだろう。もしかすると、この世にはわたししかいないのかもしれないのだ。

だから、常に孤悲の情を心に抱えているわたしは、戀を癒やすために、花に水をやり、鳥を呼び、時には美しい少女を街角に創り出す。

https://www.flickr.com/photos/kienk2s/

樋口一葉の「にごりえ」にはこういう一文もある。
「おのづと肩身せばまりて朝夕の挨拶も人の目色を見るやうなる情なき思ひもするを、其れをば思はで我が情婦(コヒ)の上ばかりを思ひつゞけ、無情(ツレナ)き人の心の底が夫れほどまでに戀しいか」

やはり、孤悲には、遠く離れているという情感が秘められているようだ。

先日、ラジオを聞いていて、ある言葉を知った。
それは、

“decency”
品位、礼儀、 礼儀正しさ、 良識、親切

(用例)
Everyone deserves to be treated with respect and decency.
だれもが敬意と礼儀を持った対応をされて当たり前である.

戀(孤悲)を知っている人間は、愛などという言葉を使わなくても、”decency”でいいのではないかと思う。

品位、礼儀、良識、親切。

これらの言葉を心深く知っていればいい。

わたしは自神を信じているし、機を見ては他人を深く思い遣る。
礼儀には礼儀で応えるし、品位ある所作に美を覚える。
愛などという言葉を使うから、話はややこしくなるのだ。

黴雨に書く鬱々としたにきにサプリを並べる

朝起きて気分が良かった試しがない。
もう何十年も。

野菜とベーコンを少しつまんで、サプリを飲む。

ビタミンB-1
ビタミンD3
DMG(ジクロロ酢酸)
タウリン
αリポ酸

こんなものかな・・。
そして薬も飲む。

午後は、


EPA
ビタミンB50
タウリン
Zn

あと、不定期に飲むのは

CoQ10
カリウム
卵醤
MSM

くらいかな。
とにかくミトコンドリアとからだをできるだけ酸化させないことに気を使っている。
というか、もう習慣かな。

Mgがないことにお気づきだろうか。
Mgサプリは持っている。しかし、Mgの取り過ぎは體に負担を掛けるのではないかと疑っている。

通院を辞めたくて仕方ないが、輸入できない薬もあるので、月に1回は通院する羽目になる。飽きた。

サプリも体に色々な影響を与えることは知っている。
しかし、知識にはもう飽きているのだ。
ただし、サプリを飲む目標はサプリをやめることだ。

貯め込んである薬はいろいろある。
基本は5G対策。そして不整脈。


抗生物質
アスピリン
エチゾラム
βブロッカー

・・思い出せなくなった。



最近こんなツイをした。
「深遠な日本語を以てしても、すべてを伝えることはできない。
行間を読むことができないと、会話はただの言葉のぶつけ合いになってしまう。
虫の音を聞いてみたらいい。
虫の音が止んだときに、何かが伝わってくる。」

それがどうした、という話だ。

いつものごとく支離滅裂になってきた。
別に言いたいことはないんだ・・。


鬱々と黴雨。
雨粒を眺めている。

宮沢賢治とトシとG線上のアリア

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそらからおちた雪のさいごのひとわんを……

G線上のアリア」(ゲーせんじょうのアリア、ジーせんじょうのアリア。独: Air auf der G-Saite,英: Air on the G String)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』の第2曲「アリア(エール)」を、ヴァイオリニストのアウグスト・ウィルヘルミがピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏のために編曲したものの通称。
この通称は、ニ長調からハ長調に移調されているため、ヴァイオリンの4本ある弦のうち最低音の弦、G線のみで演奏できることに由来する。
(Wiki)

宮沢賢治はこのG線上のアリアを好んでいたという。そして、彼の代表作とも言える「永訣の朝」は、このG線上のアリアにあわせて書いた詩であるという説もある。

それも、チェロの神様ともいわれるパブロ・カザルスのチェロがメロディーを奏でるアリアにあわせて。

パブロ・カザルス




「妹トシの死」
1922年(大正11年)11月27日、結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号泣、亡骸の乱れた髪を火箸で梳いた。『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を書く。29日の葬儀は真宗大谷派の寺で行われたため賢治は出席せず、出棺の時に現れて棺を担ぎ、持参した丸い缶にトシの遺骨半分を入れた。この遺骨は後に国柱会本部に納めた。それから半年間、賢治は詩作をしなかった。(Wiki)



「永訣の朝」朗読。

2020 11 23 絶望名言【 宮沢 賢治 】/頭木 弘樹・文学紹介者 NHK ラジオ深夜便より抜粋させていただきました。

「永訣の朝」

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨いんざんな雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜じゆんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀たうわん
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮沢賢治とトシ




「賢治の死」
昭和8年9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていた。政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語った。政次郎が「おまえもなかなかえらい」と答えて階下に降りると、賢治は清六に「おれもとうとうおとうさんにほめられたものな」と言った。病室に残ったイチが賢治に水を飲ませ、体を拭いてやると「ああいい気持ちだ」と繰り返し、午後1時半、呼吸が変わり潮がひくように息を引き取った。没時年齢は満37歳。(Wiki)



「雨ニモマケズ」

朗読 宮沢りえ https://www.youtube.com/watch?v=WZ0vSyS_AI4より




雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ




南無妙法蓮華経。合掌。