月曜日に気づいた背中のひっかき傷

わたしは、見ている。
それ以上でもそれ以下でもない。
見ているというのは一種の体験だろうと思う。
何もしないという意味ではない。
知らないことは何でも試してみる。
言いたいことがあれば、何処であろうが、相手が誰であろうが、言う。
そんな「氣」は伝わるのだろう。
わたしに男友達はいない。
でも、わたしは見ている存在だ。

国語辞典

国語辞典は文化を引き継ぎ続けていく使命を持っている

近来、外国語、あるいは外国の文化に接する人々の層が広がるにつれて、わが民族の歴史、民族のことばを振り返って考えようとする気運が高まりつつつある。一方、国際社会に活躍する日本を、また日本民族を知ろうとする外国人も急速に増大した。今や、本格的な国語辞典の出現は、時代の要請するころである。

少女

愛なんていう得体の知れない言葉は理解できない。

戀は孤悲である。 「人、土地、植物、季節などを思い慕うこと。めでいつくしむこと。」 目の前にない対象を求め慕う心情をいうが、その気持の裏側には、求める対象と共にいないことの悲しさや一人でいることの寂しさがある。その点、「万葉」で多用された「孤悲」という表記は漢籍の影響も指摘されてはいるが、当時の解釈をよく表わしている。

黴雨に書く鬱々としたにきにサプリを並べる

とにかくミトコンドリアとからだをできるだけ酸化させないことに気を使っている。 というか、もう習慣かな。 通院を辞めたくて仕方ないが、輸入できない薬もあるので、月に1回は通院する羽目になる。飽きた。 サプリも体に色々な影響を与えることは知っている。 しかし、知識にはもう飽きているのだ。

雨、春に降る、音もなく降る

「10秒で判断と行動を済ませることが出来る課題があるとする。 そんな課題には20秒、いや、1分以上時間をかける方がいい。半日かけてもいい。 そうすれば、自神が介在することも出来るし、もしかしたら、妖精まで舞い降りてくるかも知れない。 あらゆることに、適切な「間」は必要なのだ。」

宮沢賢治とトシ

宮沢賢治とトシとG線上のアリア

昭和8年9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていた。政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」と語った。