黴雨に書く鬱々としたにきにサプリを並べる

朝起きて気分が良かった試しがない。
もう何十年も。

野菜とベーコンを少しつまんで、サプリを飲む。

ビタミンB-1
ビタミンD3
DMG(ジクロロ酢酸)
タウリン
αリポ酸

こんなものかな・・。
そして薬も飲む。

午後は、


EPA
ビタミンB50
タウリン
Zn

あと、不定期に飲むのは

CoQ10
カリウム
卵醤
MSM

くらいかな。
とにかくミトコンドリアとからだをできるだけ酸化させないことに気を使っている。
というか、もう習慣かな。

Mgがないことにお気づきだろうか。
Mgサプリは持っている。しかし、Mgの取り過ぎは體に負担を掛けるのではないかと疑っている。

通院を辞めたくて仕方ないが、輸入できない薬もあるので、月に1回は通院する羽目になる。飽きた。

サプリも体に色々な影響を与えることは知っている。
しかし、知識にはもう飽きているのだ。
ただし、サプリを飲む目標はサプリをやめることだ。

貯め込んである薬はいろいろある。
基本は5G対策。そして不整脈。


抗生物質
アスピリン
エチゾラム
βブロッカー

・・思い出せなくなった。



最近こんなツイをした。
「深遠な日本語を以てしても、すべてを伝えることはできない。
行間を読むことができないと、会話はただの言葉のぶつけ合いになってしまう。
虫の音を聞いてみたらいい。
虫の音が止んだときに、何かが伝わってくる。」

それがどうした、という話だ。

いつものごとく支離滅裂になってきた。
別に言いたいことはないんだ・・。


鬱々と黴雨。
雨粒を眺めている。

宮沢賢治とトシとG線上のアリア

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそらからおちた雪のさいごのひとわんを……

G線上のアリア」(ゲーせんじょうのアリア、ジーせんじょうのアリア。独: Air auf der G-Saite,英: Air on the G String)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』の第2曲「アリア(エール)」を、ヴァイオリニストのアウグスト・ウィルヘルミがピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏のために編曲したものの通称。
この通称は、ニ長調からハ長調に移調されているため、ヴァイオリンの4本ある弦のうち最低音の弦、G線のみで演奏できることに由来する。
(Wiki)

宮沢賢治はこのG線上のアリアを好んでいたという。そして、彼の代表作とも言える「永訣の朝」は、このG線上のアリアにあわせて書いた詩であるという説もある。

それも、チェロの神様ともいわれるパブロ・カザルスのチェロがメロディーを奏でるアリアにあわせて。

パブロ・カザルス




「妹トシの死」
1922年(大正11年)11月27日、結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号泣、亡骸の乱れた髪を火箸で梳いた。『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を書く。29日の葬儀は真宗大谷派の寺で行われたため賢治は出席せず、出棺の時に現れて棺を担ぎ、持参した丸い缶にトシの遺骨半分を入れた。この遺骨は後に国柱会本部に納めた。それから半年間、賢治は詩作をしなかった。(Wiki)



「永訣の朝」朗読。

2020 11 23 絶望名言【 宮沢 賢治 】/頭木 弘樹・文学紹介者 NHK ラジオ深夜便より抜粋させていただきました。

「永訣の朝」

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨いんざんな雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜じゆんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀たうわん
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮沢賢治とトシ




「賢治の死」
昭和8年9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていた。政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語った。政次郎が「おまえもなかなかえらい」と答えて階下に降りると、賢治は清六に「おれもとうとうおとうさんにほめられたものな」と言った。病室に残ったイチが賢治に水を飲ませ、体を拭いてやると「ああいい気持ちだ」と繰り返し、午後1時半、呼吸が変わり潮がひくように息を引き取った。没時年齢は満37歳。(Wiki)



「雨ニモマケズ」

朗読 宮沢りえ https://www.youtube.com/watch?v=WZ0vSyS_AI4より




雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ




南無妙法蓮華経。合掌。

確かなことはあまりに少ない

この一週間くらいで、突然五七五を吐き出した。

風鈴の音色のような女(ひと)ありき
これが人生で初めて作った五七五。

膝の上いとしき烏の濡れ羽色

立ちのぼる紫煙の中の我が命

白湯を飲み目を閉じてみる夜半なり

芋虫の食べ残したるほうれん草雑煮に入れてしばし眺めん

土の中蝶の夢見る雨蛙

掘るほどにみみず溢れる豚小屋で吾子の笑いが止まらなくなる

海鳴りに立ち尽くしている父母の墓合わせた手をもて寒風を斬る



俳句にもなっていないだろうし、短歌にもなっていないだろう。



思い起こせばこの1年で何が変わった?
街で見かける人たちが、みんなマスクをしていることだけだ。
情報は山ほどあるけれど、確かなことはそれだけだ。
わたしは、こういう隠れたことを好まない。


体調を崩し浅い夢ばかり見ている。
倦んでいる。
冬。



過去を忘れる薬がほしい。

十月の雨

雨が降る

冷たい雨が

青いトタン屋根に降る

金木犀に降る

そして、あ・な・た・に降る

わたしは誰なんだろう

ノートに名前を百回書いて眺めても

それがわたしだとは思えない

鏡に映るわたしの右目

ときどき知らない人の瞳になる

雨が降っている

わたしの奥深くに

夕べ洗った黒いストッキングが軒下でだらしない

この世界には

わたしだけ

わたしだけしかいない

こころが言っている

いのちが言っている

抱えたひざ小僧を手のひらでこすってみる

だれもいない

少し首が右に傾くわたしの癖

ふしぎ

ふしぎ

雨が降っている

わたしを溶かすように

静かに

さらに静かに

我が恋は千代にましませ ざれ石の岩音鳴りて苔のむすまで

わたしは、君が代という歌を好まなかった。
しかし、今は少し認識が変わった。

君が代の元歌は下記であるという話がある。

我が君は
千代に八千代に
さゞれ石の巌となりて
苔のむすまで

-古今和歌集 読み人知らず-
歌人は藤原朝臣石位左衛門というのは、とってつけた嘘だと思う。


そして、これは恋文であるという説がある。
さもありなんと思う。覚悟のこもった恋歌である。

しかし、わたしはわたしの訳をつけたい。

考察。
我が君・・これは気にかかる。改ざんではないか。
「君」は「恋」ではないのか。

さざれ石とは小さな石。細石。しかし、この時代に、字余りの短歌を詠むとは思えない。これは多分「ざれ石」であろう。
千代に八千代に、これも伝本では、千代にましませ、となっている。

巌は大きな岩、大きな岩の塊。これも恋の歌としては無粋であると思う。
「巌となりて」は「岩音鳴りて」であろう。

すると、この歌はこうなる。

「我が恋は
千代にましませ
ざれ石の
岩音鳴りて苔のむすまで」


この恋歌を
わたしなりに解釈する。

「わたしの恋は、永遠に続きます。
川の小さな石がかすかな音を立て続け、
そこに苔が生えるまで。」

これなら
森の奥の小川は静かに流れ続け、時折小石が音を立て、時が流れていく。
そういう風景が浮かび上がってくる。
森の奥であれば、片思いであるということも想起される。
清い歌だと思う。





これが恋歌でなかった場合。

古代語では、「き」は男性「み」は女性を示す。
君とは、相手を親しみ敬う言葉でもある。

「我が君は
千代に八千代にざれ石の
巌となりて苔のむすまで」


「わたしたち同胞(はらから)は、男性も女性も、
何代生まれ変わろうとも、
小さな石が大きな岩となるがごとくに、結束し、助け合おう。
その大きな岩に苔がむすまで、永遠に。」

こうなるのではないか。

まぁ、結論を出す気はないが、センチメンタルなわたしは恋歌説に流れる。

君が代

これはわたしが聞いた中で最も打ち震えた演奏である。