わたしが大根だったとする。
土から引き抜かれたばかりの大根と、それを数週間干した大根、この二つの重さを比べると、干し大根の方が軽い。水分が著しく減少しているからだ。この二つの大根から1ccの水分を抜き取り、その1ccあたりに含まれる糖質量を量ると、干し大根の方が多いに決まっている。
先日1ヶ月ほど入院している間、そして今もわたしは利尿剤を使用している。(これは理由があるので詳細に触れない)体重は10Kg落ちた。すると血糖値は100位上がった。当たり前だ。利尿剤は1日に3,000ccほどの尿を排出する。わたしは干し大根なのだ。体水分量も減った。しかし、糖質量は減っていない。1cc当たりの糖質量は増えて当たり前だ。
しかし、医師は、インスリンを射とうとする。しかし、わたしは拒否する。インスリンが細胞を傷つけることは身を以て知っているからだ。
このことを詳しく説明する知力をわたしは持ち合わせていない。
少し残念だ。
糖尿病という言葉がある。変な言葉だ。尿に糖が含まれるのはある場面では当然のことである。
日本酒を大量に飲んで、血糖値が上がりすぎれば、体は余分な糖分を尿とともに体外へ排出する。これは体の正常な働きである。そして、歩いて家まで帰るときに血糖値は急に下がり、道沿いにある馴染みのおにぎり屋で梅干しのおにぎりを食べ、熱いほうじ茶を飲み、鼻歌を歌いながら帰宅する。
これは高血糖を避け、低血糖を再び避けて、無事に自宅の布団までたどり着くための體のシグナルに沿った行動だった。
高血糖が続く状態は、體が作り出している。わたしたちの環境や食べ物や精神的な動揺によって、體が反応している正常な現象なのかもしれない。わたしは若い頃から低血糖になるが(正確に言うと血糖値が2〜3時間の間に150位下がる)、不埒な奴に喧嘩を売りに行って、束の間の間でも交感神経が亢進する状態になると、その後なかなか血糖値は下がらない。血糖値は自律神経を含め、體全体が調整している。
インスリンは飢餓に備えて過剰な糖質を脂肪や筋肉に蓄える。
グルカゴンやコルチゾールは、飢餓の状態に置かれたときに、糖新生によって血糖値を上げて體を維持する。血糖値がゼロになれば死んでしまうから、とても大事な役割を担っている。ある実験では、インスリンが出ない人でも、グルカゴンさえ抑制されていれば、糖尿病にはならないという。
医師は言う。
「何を食べてもいいですよ」
「5年くらいすればインスリン注射をすることになる」
「インスリン注射をしていれば5年くらいで透析になる」
「透析でも5年くらいは生きられます。10年生きる人もいます」
わたしが実際に聞いた言葉だ。
医師は患者を治す心づもりはない。教科書に書かれていて厚労省が保険診療と認めている方法を選択し、患者に訴えられないように我が身を守るのみである。
わたしたちは、もっと體を信じ、真摯に體の声を聞くべきだと思う。
わたしはまだリハビリ中で、ブログを書くのもすぐ疲れてしまう。
少しずつ少しずつ。