前回に引き続き、山極壽一氏のお話の文字起こしの後編を紹介する。

山極壽一氏。元京都大学総長。
東京都出身の人類学者、霊長類学者にして、ゴリラ研究の第一人者である。京都大学理学研究科教授を経て、京都大学総長に就任し、2020年9月30日をもって、任期を終え、退任した。日本学術会議では「安全保障と学術に関する検討委員会」委員を務めており、会長にも就任した。

「や:」は山極氏。
「あ:」はアナウンサー。


あ:ところで、「やまぎわさんは、ゴリラ語が話せる」という、もっぱらの噂があるんですけども。
や:ゴリラ語って言ってもね、人間の言葉と違っていて、自分の内面の気持ちを現すような声なんですね。たとえば、さっき、挨拶音をやりましたね。これ、ゲップ音といって「んっんーー」ていうものなんだけど。これは、近づいて行く時に、どちらかが声を発して、答える。「近づいてもいいよ」っていうことなんですけど。今度は、ちょっと怒る。これはね、「コフバーク」って言って、咳のような声「オホッオホッオホッオホッ」っていうね。そうすると「ちょっと待て」と。相手を制止するような音声なんですね。ちょっと近づいて、何か食べようとする時に「駄目だよ、それ、俺のものだから」っていう時に「オホッオホッオホッ」って言われる。これ、ちょっと怒ってる。それから、そうね、たとえば「クエスチョンバーク」ってあるんですよね。「クエスチョンバーク」はね、「ウォホッ」ていうね、。「ホッ,ホッ」ていう声なんだけど。これは、ダイアン・フォッシーが「クエスチョンバーク」と名付けたのは、「Who are you?」っていうふうに聞こえるんですね。「お前、誰だい?」って言っているように聞こえるんで。「ホッホッ」って言うからね「Who are you?」って言うように聞こえるんで。それで、名付けたんだけど、これ、相手の姿が見えない時に呼びかける声なんですね。「お前、誰?」って。
マウンテンゴリラが棲んでいる所って、非常に草の丈が高い、長いんですね。で、体が見えなくなっちゃう。ガサゴソガサゴソやってると、誰だか分からないわけです。で、近づいて行くと「誰?」って聞かれるんです。「ンンー」って言うと、「あ、お前か」って言うんで安心する。答えないと、ゴリラじゃないかもしれないわけじゃないですか。だから、向こうは怒るわけですね。あるいは、どーんと飛びかかってくる可能性もある。そういう、相手に問いかけて、相手に「名乗れ」と言っているような音声なんですね、これはね。それから、たとえば「不満」を現す声。「ウォッホッホッホッ」ていう、ちょっと高めの声。これね、必ず、口をとがらすんです。で、私たちは「声」だと思ってるんだけど、実は、おそらく言葉の前に、「顔の表情と声が結びついている時代」があって、文句を言う時に「口をとがらす」って言うじゃないですか。それはね、まさに、そういうことなんです。つまり、我々、対話をする時に、声だけで判断するんじゃなく相手の顔の表情を見ているわけですね。とすると(口をとがらせて何か言ってるわ)と。(あ、これは文句を言っているんだなぁ)と分かるわけですね。声だけじゃなくて。それがね、ゴリラの場合は、まさに同じなんです。
あ:表情があるんですね。
や:そう。だから、人間とゴリラの顔の表情が似ているのは、口をとがらしてないか、文句を言っているか、なんですね。

あ:そうしたゴリラの家族の特徴って、どういうことがありますか。
や:もともとね、日本の霊長類学者、わたしの上の世代の人たちっていうのは、アフリカの類人猿に、「人間の家族の起源」を見つけようと思って、ゴリラやチンパンジーの調査を始めたんですよ。チンパンジーには、最初、ゴリラがあって、その後、コンゴ動乱があって、できなくなって、チンパンジーに調査を移したわけですけども、チンパンジーには、日本の家族に似たようなものが無かった。で、ゴリラにはあるんですね。それはね、父親という存在が、ゴリラにはあるからです。で、わたしは「人間の家族の起源」というのは、父親を作ったことにある。これは、ゴリラと非常に似ていると思うんですね。父親の定義というのは、いろいろあるけれども、「生物学的な父」っていうだけじゃなくて、つまり「遺伝的な父親」というわけじゃなくて、「社会的な役割をする父親」、つまり、子どもの一生をかけて、影響をするような存在のオスですね、特定のオス。これが「父親」です。

あ:チンパンジーは、違うんですか,
や:チンパンジーは、複数のオスが共存していますから、ひとつの群れの中に。特定のオスが、子どもに対して、特別の関係を持つということが無いですね。
あ:えーーっ
や:無いです。
あ:チンパンジーが、人間にいちばん近いと思っていたんですけど。
や:遺伝的にはね。でもね、チンパンジーのほうが、人間よりもずっと進化してしまっている部分があるわけです。たとえばね、チンパンジーのメスというのは、発情期になると、発情期っていうのは、まぁ、1ヶ月の性周期の半分くらいは発情しているわけだけれど、その間、お尻がポコッと膨れるんですね。そうすると、目立ちますから、たくさんのオスがやって来て、代わる代わる交尾をするわけですね。「乱婚」という特徴を持っているわけ。で、その「乱婚」ていうのは、彼らの社会を作るベースラインです。だから、複数のオスが共存できる。でも、人間は、そんな事ないでしょ。ゴリラもそんな事ないんですね。だから、「乱婚」という特徴を、人間とチンパンジーが別れた後、チンパンジーは、より進化させたわけですね。で、人間は、むしろゴリラに近い段階にとどまっていると思いますね。

あ:「父親」という存在ができた、という事が大きいんですね。
や:と思いますね、というのはね、ゴリラの父親もね、まず、赤ちゃんを持っているメスに、自分の赤ちゃんを預ける保護者として認められ、乳離れをするちょっと前に、自分の子どもを預けられるんですね。で、その子どもから、自分の保護者として認められて、初めて、父親としての役割を演じられるようになる。だから、オスは、自分の自覚だけでは「父親」になれないわけですね。人間の場合も、そうです。周囲に認められて、父親という役割ができる。だから、これは、ひとつの「約束事」、みんなの合意ですよね。それは、人間の社会も、ゴリラの社会も、いっしょです。だから、わたしは、これは「最初の文化的な役割」というふうに呼ぼうと思ってるんです。

あ:それは、もう、「家族の基本的な条件」ですね。
や:そうです。何故ならば、家族っていうのはね、2つの全く異なる組み合わせから出来ている。夫婦って、他人でしょ。でも、これは「性関係」で結ばれているわけですね。で、親子っていうのは、血のつながりがあって、これは、性関係を持たないことでつながれているわけなんですね。この2つの組み合わせが無いと、家族って出来ない。ゴリラは、この2つともあるんですね。ゴリラは、群れが、ひとつの家族なんですね。だいたい、平均10頭くらい。で、複数のメスが、1頭のオスといっしょに暮らす。だから、一夫多妻制なわけだよね。それは、いつも、まとまっています。非常に、まとまりのいいグループになっている。でね、これはね、言うならば、人間の「共鳴集団」というものに匹敵する。

「共鳴集団」というのは、言葉を使わなくても、仲間の考えていること、気持ちや性格が分かる。そういう集団ですね。これが、まず家族です。家族以外でも、たとえば、この前、ナデシコジャパンが、ワールドカップで優勝しましたよね。あれ、11人。それから、ラグビーでチームプレーをする、これ15人です。だいたい、15人から10人くらいのマキシムな集団が、その「共鳴集団」にあたる。でね、これは、ゴリラと人間とが別れてから、人間が、それほど広げられなかった集団のサイズだと思いますね。我々も、日常的に、そういう集団で生きているんです。ところが、人間、言葉を持ってからね、共鳴集団の数をいくつも持てるようになったと思うんです。たとえば、家族を持っていると同時に、会社の同僚もいるわけだし、あるいは、学校の仲間もいるわけだし、幼い頃に親しく付き合った仲間たちも同窓会でいる。そういうのが、だいたい10人から15人くらいいて、そういう仲間を遍歴しながら、我々は生きているというわけです。それは、もう、みんな、顔も性格も知っているから、もう何も手続きは必要なく付き合える。でも、それは複数持っているんだよね、我々は。ゴリラは一種類しか持っていない、ひとつしか持っていない、ということが違うと思いますね。

あ:ゴリラは、戦争はするんですか。
や:それがね、19世紀、ドラミングが誤解されて、ゴリラは非常に暴力的な動物である、それをもとに「キングコング」は作られた。で、つい最近まで、ゴリラっていうのは、凶暴な動物だというふうに誤解されてきた。ということはね、つまり、人間の祖先も誤解してた、って事になるよね。ゴリラと共通の祖先から別れたわけだから、人間も、そういう類い稀なる攻撃性を使って、それをゴリラとは違う形で生かしながら、社会を作って生きてきた、というふうに考えられた。それが「戦争」だというわけですね。でも、それは、大きな間違いでね。

人間というのは、今のゴリラの誤解を解いて、新しい進化のシナリオを作ってみると、平和を愛する心をずっと持ち続けてきた。しかし、そのもとになったのは、仲間を思いやる「共感」なんです。でも、人間の場合は、その「共感」を、かなり行き過ぎた形で持つようになった。それはね、言うならば、大きな集団に、それを転化するようになった、って事なんですね。

さっきも言ったように「共鳴集団」ていうのは、まぁ10人から15人くらいです。ところが、それを、いくつも持つようになって、そして、相手の顔が見えないのに、自分が属する集団に尽くすような心を、私たちは発達させた。その、典型的な例が「国家」ですね。「日本」ていう国、「日本」という国民、これをひとつの単位として、会ったことも見たことも無い人に対して、同じ仲間だと感じる心を持つようになったわけでしょ。で、その人を助ける為に、そして、その人の属する国を勝たす為に、我々は命を投げ出すような精神を持った。それが「戦争」なんです。それを作る為には、人間は、どっかで、ゴリラとは違う道を歩まなくちゃいけなかった。その大きな原因になったのは、食糧生産であり、共感性を高めるような、コミュニケーションの仕方であり、そして、最後に、会った事もない人と同じ集団に属するというアイデンティティ、ね、自己認知の方法なんですね。

で、私たちは、一生、何かのアイデンティティを持ち続けるわけなんだよね。たとえば「日本に生まれた。だから、私は日本人である」。それは、たとえば、アメリカで長いこと暮らしてても、アイデンティティ消えないわけでしょ。で、「私は大阪人である」とか、それを持ってますよね。それが、他の動物と、いちばん違う所なのね。ゴリラもチンパンジーも、他の集団に移っちゃうと、もといた集団のアイデンティティを完全に捨ててしまうんです。そうしないと、集団に受け入れてもらえない。だから、入るのも時間かかるし、出るのも大変なんです。出たら、もとの集団に戻れないからね。でも、人間の場合には、集団を行き来するわけです。それは、アイデンティティを持って行き来するから、きちんと受け入れるルールも出来るし、渡り歩けるわけだよね。それが、全然違う所です。ただ、そのアイデンティティが、拡大すると、日本国家とか、アメリカ国家とかいう、国家間の喧騒に巻き込まれてしまう。それに尽くすのが、要するに「共感」の働きであると、考えてしまうわけだよね。それが、戦争を引き起こした、大きな「間違い」じゃないかと思う。で、「愛」というのは、本当は、特定の個人に向けられているものが、より大きな集団に向けられるようになった、という事が、たぶん、人間の戦争が起こった原因でしょうね。それを向けるようにした仕組みが、言葉という時間と空間を超越して、伝達出来るコミュニケーションの仕組みなんですよ。

あ:食糧生産とおっしゃったのは、農耕が始まった、という事ですか。
や:農耕と牧畜ですね。これが、1万年くらい前。で、これによって、集団を大きくする可能性がひらけたわけだよね。それまでは、ずっと狩猟採集で、食糧は、ずっと自然の物に頼っていたわけですから、自ら作りだすことはできないし、なかなか定住生活をする事ができなかったと思うんですね。ある所で、食物を食べ尽くしてしまえば、他の所に移って行かざるを得ない。そういう移動性の生活をするためには、いろんな物を作りだすわけにはいかなかったわけですよね、家具とか、道具とかね。定住して、食糧をストックして、たくさんの人たちが生きられるようになって、いろんな、動かさなくてもいいような物を持てるようになった。家もそうですよね。

でも、定住すると、その土地に対する価値というのは非常に高くなりますよね。しかも、その土地に肥料をやり、労力をつぎ込んで、食糧生産をするわけだから「価値」が生まれてくる。その「価値」を守るために、境界を作る。ここから先は、自分たちの土地だから、他の人間に入ってほしくない。そういう具合に境界ができて、その境界線をめぐって、人々が、集団同士で争うようになる。個人と個人の争いでもありますけどね、土地の所有が集団になるってことでしょ。で、集団間の争いができてきて、それが、言うならば、戦争という大規模な闘いに発展したんだろうと思いますね。ですから、「共感」は、両面性を持っている。「愛」が行き過ぎると、そういう「戦争」という間違いがおこる。

でも、それを、「共感」をうまく使っていけば、まだまだ人間には、いろんな大きな可能性が残されている、と思いますね。だから、今度の「東日本大震災」で、被災された方々のために、たくさんの人たちが、日本中から集まって、そこに、いろんな出逢いが生まれる。で、そこで、今まで、言葉も習慣も違うような人たちが、手を取り合って、新しい生活を作り上げていく。これは、ゴリラや、チンパンジーには、決してあり得ないことですよね。人間だからこそ、それが出来る。それをうまく使っていかなければ。

しかも、その時、非常に重要なのはね、いきなり、集団ではないんだ、ってことなんです。「ひとりひとりの付き合い」というものが大事で、顔と顔とを突き合わせて、お互いの気持ちを通じ合わせることが、まず重要で、それをもとに、集団ていうのができているんだ、だから、大きな社会が、はじめからあったわけじゃなくて、そこには、積み重ね的に出来ていく段階があって、それは、効率良くできたわけじゃないんです。つまり、時間をかけて作らなくちゃいけないことなんです。その「時間の大切さ」っていうのを、うまく組み込んで、「共同体」、人々のつながりを作る事が、僕は、重要じゃないかと思いますね。

もうひとつ重要なのは、「人間というのは、非常に誇り高い動物である」ということですよね。これは、メンツを非常に大事にする。ゴリラほどじゃないにしても、

お互いが、お互いの尊厳というものをきちんと理解し合う事が重要であって、「子どもだから」あるいは「ご老人だから」身体的な脳力がそこに反映されるんじゃなくて、お互いが、平等で対等で、分かり合える存在であるという事を常に意識しながら、関係作りをしていかなくちゃいけない、ということですね。それは、ゴリラに学べる点だと思いますね、わたしは。

https://gardenofeaden.blogspot.com/2012/10/all-about-gorillas.html


お互いが、お互いの尊厳というものをきちんと理解し合う事が重要であって、「子どもだから」あるいは「ご老人だから」身体的な脳力がそこに反映されるんじゃなくて、お互いが、平等で対等で、分かり合える存在であるという事を常に意識しながら、関係作りをしていかなくちゃいけない

これこそ、真の共存と言える形態であり、哲学だろうと思う。
わたしは山極氏の言葉に流涕する。
みんなでゴリラになりませんか?

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