ワクチンとウイルスを信じる集団に取り囲まれた土曜日

人々はテレビジョンの報道を信じている。しかし、現実にはワクチンを射った後、高熱が出た友達のことも知っている。なのに、ワクチンを射ちに来る。考えを巡らせるに、コロナウイルスというものを信じているからだろう。PCR検査陽性をコロナ感染者と報道して憚ることのなくなったマスコミに洗脳されている。

虎

人にとって自尊心ほど厄介なものはない

人にとって自尊心ほど厄介なものはない。李徴は、才ある若者だった。潔くないことを恥とした。しかし、心に猛獣を飼っていた。臆病な自尊心と、尊大な羞恥心。 そして李徴は自ら虎と化した。 虎と化すことを潔しとしたのか、それしか道はなかったのか・・。わたしは虎と化した李徴と会ってみたい。 そう思うのだ。

「わたしにできることはなんだろう」などと考えるのは疲れる

色々なサイトや動画を見ていると、マトリックスやスピリチュアル系の情報に出会う。 必ずと言っていいほど出てくるのは、愛であり、善悪であり、光と闇である。わたしはこれがわからない。そして、誰もこれらの言葉を説明しない。

国語辞典

国語辞典は文化を引き継ぎ続けていく使命を持っている

近来、外国語、あるいは外国の文化に接する人々の層が広がるにつれて、わが民族の歴史、民族のことばを振り返って考えようとする気運が高まりつつつある。一方、国際社会に活躍する日本を、また日本民族を知ろうとする外国人も急速に増大した。今や、本格的な国語辞典の出現は、時代の要請するころである。

少女

愛なんていう得体の知れない言葉は理解できない。

戀は孤悲である。 「人、土地、植物、季節などを思い慕うこと。めでいつくしむこと。」 目の前にない対象を求め慕う心情をいうが、その気持の裏側には、求める対象と共にいないことの悲しさや一人でいることの寂しさがある。その点、「万葉」で多用された「孤悲」という表記は漢籍の影響も指摘されてはいるが、当時の解釈をよく表わしている。

旧車を探しているうちに自分の車が旧車になった

小径のある街が好きなので引っ越したのが19年前。その時に3000ccの車を660ccに換えた。未だにその車に乗っている。毎年自動車税が上がる。なんでも、永く乗れば乗るほど税額が上がるそうだ。ものを大事にするなということらしい。これは親から教えられたことと真逆だ。

「今では信じられない昭和の常識」 というtweet

昭和の映画館は自由席。扉の前に長蛇の列で早い者勝ち。音漏れ大。もちろん館内でもタバコ吸えた。 ・テレビで普通におっぱい ・1ドルは360円 ・電車のトイレは線路上に垂れ流し ・駅のホームなどには痰(たん)を吐くための痰壺があった ・病院の待合室でタバコが吸えた ・飛行機でタバコが吸えた

黴雨に書く鬱々としたにきにサプリを並べる

とにかくミトコンドリアとからだをできるだけ酸化させないことに気を使っている。 というか、もう習慣かな。 通院を辞めたくて仕方ないが、輸入できない薬もあるので、月に1回は通院する羽目になる。飽きた。 サプリも体に色々な影響を与えることは知っている。 しかし、知識にはもう飽きているのだ。

SARS-Cov-2は、もう終わったんだよ。

SARS-Cov-2騒ぎも、もう終わった。 わたしの中では終わってしまった。 情報はできる限り集めた。拙い記事も書いた。 永い一年間だったと思う。 情報は情報でしかない。 それらに対して、感情を移入することはない。 わたしのもとに届く情報というのは、所詮、奴らに見せられているものである。