近年、わたしたちの言葉が失われようとしている。言葉は文化を象徴するものである。言葉を失うことは、国を、さらには、民族を失うことである。ら抜き言葉云々が指摘され始めた頃以降、その誤った主張を訂正する国語学者が現れないことは慚愧に堪えない。

さらば。

[1] 〘接続〙① 先行の事柄を受けて、後続の事柄が起こることを示す(順態の仮定条件)。それならば。それでは。しからば。※竹取(9C末‐10C初)「さらばいかがはせん。難き物なり共仰せごとに従ひて求めにまからん」② (後に打消の語句を伴って) 先行の事柄に対し、後続の事柄が反対・対立の関係にあることを示す(逆態の確定条件)。しかし。だからといって。そのくせ。※平家(13C前)八「白衣なる法師どもに具しておはしけるが、さらばいそぎもあゆみ給はで」

[2] 〘感動〙 別れの挨拶(あいさつ)に用いる語。さようなら。※後撰(951‐953頃)離別・一三四一「さらばよと別れし時にいはませば我も涙におぼほれなまし〈伊勢〉」※御伽草子・蛤の草紙(室町末)「『さらば』といひて、しじらが宿を立ち出でて」[語誌](1)中古では(一)①の用法が中心で、中世以降(一)②の用法や(二)の感動詞的用法が多くなる。
(2)中世後期では「さらばさらば」と重ねた言い方が多く見え、さらに近世中期には「さらばの鳥」のような名詞的用法が生じ、打ち解けた間柄で用いる町人言葉「おさらば」もあらわれた。近世後期になると「さようならば」から生じた「さようなら」が一般化したが、近代以降は文語的な表現として「さらば」が用いられている。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 



わたしは、
「さらば」は根本的に「さ・あらば」の意であると思う。「さようなら」の意が含まれるようになったのは後のこと。例えば、「さ・あらば」と言い、席を立つ行動は、離別を示すが、「この場を辞す」と言わないところが、日本語の特性であると思うのだ。

みなまで言わずとも、意は通ずる。それが日本人の言葉だ。



先日、わたしは、昭和47年の小学館日本国語大辞典を買った。
全10巻。1巻の重さは2.5kgを超える。

その発刊の辞として以下のように書かれている。

 国語辞典は一国の文化を象徴する。真の国語辞典の有無、あるいはその辞典の性格に、その国の文化の水準が反映するといってよい。文化とことばとの深いかかわりを考えるとき、一国の文化を継承しこれを将来に伝達するために果たす国語辞典の役割は、きわめて大きい。

 近来、外国語、あるいは外国の文化に接する人々の層が広がるにつれて、わが民族の歴史、民族のことばを振り返って考えようとする気運が高まりつつつある。一方、国際社会に活躍する日本を、また日本民族を知ろうとする外国人も急速に増大した。今や、本格的な国語辞典の出現は、時代の要請するところである。

 ゆれ動く表記の規範を求め、あるいは国語教育の必要に対応せんがための辞書の企ては多いが、膨大な資料に立ち返って、日本語をくまなく記録しようとする試みは見られなかった。日本文化の歴史をとらえ、日本民族のこころを伝える国語辞典の編纂は、限られた分野で進められるものでもなく、短い期間で成しうるものでもない。そして、その成果を盛り込むには、とうてい一巻や二巻で足りるものでもない。まさに十巻二十巻に及ぶ国語大辞典でなければならない。

 国語大辞典の生命は、まずその引例文にある。上代から現代に至る実際の用例を集め、その上に立って意義用法を記述すべきである。そのために、国語大辞典の編纂は、さまざまな分野の資料を渉猟して、その中からことばの生きた使用例を集めることから出発する。電子計算機の発達した今日にあっても、日本語の複雑な表記を、とりわけ、文献に見られるおびただしい漢字を機械的に処理するまでには至っていない。そこで、文献からことばを拾いあげ、用例を記録し、執筆のための資料を作るという作業には、まさに膨大な頭脳と労力とが結集されなければならない。

 また、国語大辞典は、今日の日本を正しく反映するものでなければならない。従来の国語辞典にとらわれてきた語彙の範囲を広げ、固有名詞・専門用語、あるいは、方言・俗語などをも収め、広く日本語をとらえる必要がある。そして、そのためには、ひとり国語文学界のみならず、さまざまな学問分野からの幅広い協力を仰がなければならない。

 『日本国語大辞典』は、右のような判断と構想の上に立って、日本語の歴史を振り返り、一語一語の経歴を明らかにし、さらに未開拓であった現代日本についても、その背景を明確に把握しようとするものである。

 幸い、この企ての趣旨は大方の賛同を得、編集顧問・編集委員をはじめ多くの方々の参画を仰ぐとこができた。小学館の堅い決意のもとに、語彙用法の収集等基礎的作業に着手した時から、それを継承して日本大辞典刊行会が編集の任に当たって今日まで十数年、『日本国語大辞典』は、あまたの協力者の熱意と努力によって創造されたものである。また、万余の文献の恩恵に浴しつつ、直接的には、「大日本国語辞典」をはじめ先行する辞典類に教えられるところの多かったことを銘記したい。そして、これら協力者や先人の労に報いる道はただ一つ、この企てを確実に全うすることであると信ずる。

 この一大事業の意義を考えるとき、その責任の大きさと遂行の困難とを痛感するとともに、この事業に携わる誇りと喜びとを禁じえない。『日本国語大辞典』が読者諸賢によって十分活用され、かつ日本における国語辞典の礎石となることを期するものである。

昭和四十七年十一月
 
小学館
日本大辞典刊行会



わたしは、小説を読まなくなって久しい。
今後は、この国語辞典を読むことにする。


いざ。

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