永い夢を見続けてきたけれど

思えば、永い夢を見続けてきた。
知らないことは何でも体験してみよう、それが幼い頃に決めた思いだったが、その道は思った以上に苦しいものだった。承認欲求など持ち合わせていないが、わたしが必要でない世界ができあがるのならば、わたしは夢をとじるつもりだ。

夢でも現実でもいい。なんとでも名前を付けるがいい。ただし、それらはすべてわたしなのです。

現実など存在しないのではないか。すべてはわたしの世界であり、わたしの体験であり、わたしの魂なのだ。
いろいろな女性と巡り合ってきたが、今思う。「また会おうね」と。

月曜日に気づいた背中のひっかき傷

わたしは、見ている。
それ以上でもそれ以下でもない。
見ているというのは一種の体験だろうと思う。
何もしないという意味ではない。
知らないことは何でも試してみる。
言いたいことがあれば、何処であろうが、相手が誰であろうが、言う。
そんな「氣」は伝わるのだろう。
わたしに男友達はいない。
でも、わたしは見ている存在だ。

寒い冬の明け方に、黒い影を消滅させる夢をみた

わたしの前に立った二人は少しずつ黒い影になっていく。わたしは両手のひらで二人を挟み込むようにして、氣を放出した。今まで消してきた黒い影とは比べ物にならないほどの氣力が必要だったが、二人は影となり黒体化を続け、遂には炭化して形を失った。

夢を見続けて疲れる日々

昨晩は、次元を超える箱に乗る夢を見た。箱の内部はまるで家のようで、キッチンもあった。ただ、窓から外を眺めると、外は大量の水。水の上を半ば潜水艦のように箱は進んでいるのだ。お弁当が配られた。私はそれを美味しくいただいたけれど、窓から見える水の勢いは緩まなかった。