エンパスもヘヨカも知らないけれど

ある方のブログから、下の動画を見た。
https://note.com/4giveness/n/n2ecb0d858481

エンパスもヘヨカも知らない。

でも、わたしのことを語っている。
この動画と会話してみた。

わたしの言葉は青色にしてある。

エンパスはとても繊細で時には神秘的ともとらえる人たちのことです。普通の人たちよりはるかに外部からの影響を受けやすく、周りの人たちがどのように感じ、何を経験しているのかを見分ける力があります。

これはその通りです。外部の人たちの思念がわたしを時に煩らわせます。だから、大勢の場所には行きたくない。結婚式などに行けば、多分気が触れてしまうことでしょう。結婚披露宴には「ねたみ」や「そねみ」や「嘘」が渦巻いています。

自分が感じていることと周りの人が感じていることを分けるのが難しくて、自分の周りの状況や環境にどっぷり浸かってしまう傾向があります。

これは、ある年齢を超えた頃からありません。



エンパスの最も顕著な特徴は、他の人に対して共感する力が高いということです。
で、その中でも最も強力な少数の人たちがヘヨカと呼ばれます。

インディアンの間でヘヨカは神聖な道化師ピエロを意味します。そして、周りの人々を映し出す鏡とも考えられています。彼らは自分の周りのネガティブなエネルギーを吸収して取り除くことができます。

これは、女性からよく言われます。安心感という言葉を以て。

会社に勤めていた頃は、歓送迎会と忘年会の司会はわたしがやりました。その場を完全に仕切ります。そして、みんなが酔ってきた頃に、信頼出来る女性に後を任せて、先に会場を去ります。わたしはアルコールを飲みません。


また、他の人たちとは逆の異なる行動をとる人たちとも思われています。それは他の人たちとは異なるパラダイムで物事を見ているからです。

見てきたように私のことを言い当てますね。大勢の人と同じ行動は決して取りません。多数の歩く道は愉しくないことがほとんどだと知っていますから。


1:他の人の感情が分かる。
これはエンパスの基本的な特徴。本能的に他の人の機嫌や感情を読み解くことが出来ます。ヘヨカは他の人の悪いところに気付くだけではなくて、どのように問題解決ができるのか、具体的な解決策を示すことができます。

はい。他人の感情はひどく伝わってきます。怒りの感情が大嫌いです。怒りを発している人とは一緒にいたくありません。距離をとります。それでも相手が離れないと、相手を攻撃してしまうことがあります。

女性と道を歩いていて、向こうから攻撃的な感情を抱えている男がやってくると、わたしがその男の側に立ち、その攻撃的な感情に気付かないふりをして通り過ぎます。わたしが気付いている感情を持つと、相手に伝わりますから。


2:いつも他の人の話をさえぎる。
わざとではないんですが、人の話を遮ってしまいます。自分の番が待てないんです。ただし、これはプライド とか、会話のプロトコルに従いたくないからとかそういうことではなくて、まずは先天的なもの。そして思いついたことをその場で実行したいと思うからです。エンパスは同時にたくさんのことを思いついて考えていて、思いついたらすぐに言ってしまわないと忘れてしまう傾向にあります。

遮ることはありますね。ただ、それは、相手の言おうとしていることを最後まで聞かなくても分かってしまうからです。分かっていることを説明されるのはしんどい。

それでも、ある年齢を超えてからは人の話を聞くことが少しは上手になったと思います。特に悩んでいる人の話は、聞いてあげることが癒やしになりますから。

同時にたくさんのことを考えているのはいつものことです。本を読むときも2冊以上の本を平行して読むことが多いです。1冊の本を少しずつ読むのは大の苦手です。


3:睡眠中に解決する。
ヘヨカは未解決の問題があるととても居心地が悪くなってしまうので寝ている間も考え続けて、そして寝ている間に答えが見つかることがあります。

何故、知ってるんだろう?
寝る前は少し憂鬱です。
「嫌な夜が来たなぁ。今日は何を考えながら寝ようかな」
と呟いていることさえあります。


4:なんでもできる、という空想にふける。
彼は自分に特別な力、輝き、美しさがあると信じていますが、自分が持っていると思っている資質のレベルが時として現実的ではなくて、失敗することによって、自分はただの人間なんだと自覚することがあります。

なんでもできる。これは普通のことだと思っています。でも、失敗することも愉しいですよ。経験という宝物は手に入れることができます。


5:他人にとってのミューズであることが多い。
ヘヨカと話をしていると人生が変わるような深い話が出来ることがあります。ヘヨカは深い話をするときに、健康的なインスピレーションを相手に与えることができます。これは彼に洞察力があって、その人が今経験しているどのような状況であっても通り抜けられるようなアドバイスが出来るからです。ヘヨカは他の人たちが不幸だったりとか機嫌が悪かったりするのは見たくないので、自分の問題よりも他人の問題を真剣にとらえて、自分ができる限りの方法で周りの人を励まそうとします。

励まそうとはしていないですね。自分の問題よりも他人の問題を先に解決してしまいたいという思いは常に出てきます。一緒に悩んであげる。それで、自分が寝込んでしまうこともあります。


6:通常で考えられることの逆、または異なる方向に行く。
彼はまるで自分は他の世界にいてパラダイムも方向性も他の人とは違うように振る舞うので、とても個性的に見えたり、他の人たちと歩調を合わせるのが難しくなったりします。他の人の視点や心情を理解しようと努めますが、時として相手に対してかなり手厳しくなってしまいます。そして攻撃的な議論に多くの時間を費やしてしまい、安全な結論にたどり着かないことがあります。

通常で考えられることの逆。これは、絶対に必要な事だと思っています。思考にせよ、行動にせよ。

議論をすることは滅多にありません。議論をするのは稀なことで、そんなときは、安全な結論など最初から求めていません。社会的地位を自分の価値だと思い違いしている方に、浅はかなことを指示されたりすると、議論になってしまいますが、そんな方はわたしから去っていきます。


7:クリエイティブである。
クリエイティブであるヘヨカは、改革変革を行ったり、現状維持とは異なる方向に進んでいきます。自分がたとえば何かに関与する前に既にあったこととは違うことをしたいと思っているので、同じ場所、すでにあったことでじっとしていることができないのです。そして脚光を浴びるような考えとか提案をしていきます。
組織の中にヘヨカがいて、その組織内で変革や独創性が必要な場合には、彼らヘヨカが最前列で活躍して、雇用主も彼らをサポートしますが、もしもヘヨカが仕事なり自分が携わっているプロジェクトを辞めようと思ったときには、もう誰にも止めることはできません。なぜならばヘヨカたちのやる気というのは外部からの物理的なものではなくて、自分の中から来るものだからです。

現状維持は嫌ですね。引っ越し回数は20回近くになるかと思います。
バロメーターは「倦む」ですかね。「倦む」は「膿む」に通じると思っています。




エンパスについて少し調べてみた。
エンパスとは共感力という意味らしい。
https://media.ululaau.com/what-is-empathy/

概ね共感出来たのは下の部分。共感出来ない部分は傍線で消す。

他人やその場の空気感をダイレクトに受け取りやすいエンパスにとって、一人の時間は絶対に欠かせません。
エンパスの共感力をコントロールできていない時とは、例えるなら、自分の半径何十メートルに「共感オーラ」のようなものを張っていて、そのオーラの中にいる人・物・環境すべての感情が察知されてしまう状態です。
自分の軸があちこちにあるような感覚に陥り、先ほどお話した通り、心が落ち着かなかったり混乱してしまいます。

これを避けるために、エンパスは一人の時間を大切にしています。
居心地が良い場所で一人になることで、良い刺激も悪い刺激も受け取ることなく、自身の共感スイッチをOFFにする時間を作っているのです。

一人になる時間は必要ですが、決して孤独が好きとは限りません。
誰もが自分の長所を活かしたいと思うように、エンパスにとっても、人との関わりは自分の能力を発揮できる最高の瞬間でもあります。
そのため、本当は人が好きなのに、「人嫌い」や「ガードが堅い人物」と思われることもあります。

色々なことに出会うネットの社会。
ゴミの方が多いけれど、ゴミの中だって、素足で歩いてみればいいと思う。
このような気付きをもたらしてくれることもあるのだから。

君は誰なんだ?

夜中に目が覚める。
毎日だ。


目が覚めた時、ここがどこなのかが分からない。
一生懸命、今まで住んできたいくつもの場所のことを思い出す。
その作業をしないと、いつまでたっても、今いる場所が分からない。



ここしばらく、傘を差したことがない。
ほとんど毎日、買い物に出かけたり散歩したりするのだけれど。

雨音を聞きながら夕飯を食べる。
今日は散歩しよう、と思う。
そう思って、食事を済ませて外に出ると雨は止んでいる。

帰ってきて、お茶を飲む。
雨が降り始める。

もう、これが普通だと思っている。



綺麗なものが見たい。
ひたすら見たい。

わたしが見るものは、わたし。



冷蔵庫から卵を3つとり出して、割る。
こうなる。




もう、月がどこからでるのか分からなくなっている。
ただ、直感的に、月は2つあると信じている。




幼い頃、誰かに言われた。
「ごめんなさい」より「ありがとう」でしょ。と。

誰に言われたのか分からない。



独りが好きだが、さみしがり屋である。
デスクで仕事している時に、背後で女性の声が聞こえた。

「独りにしないからね」
と。

これも、誰に言われたのか分からない。



実は、自分が何者なのか判然としない。
わたしには名前もあり、親も兄弟もいるが、しっくりとこない。
自分の名前を紙片に書いてみる。
これも自分の意識とぴったりと噛み合わない。

見続けていると、ゲシュタルト崩壊を起こす。
そして、文字が雲散霧消する。



女性の美しさとは、その所作に宿る。

https://pin.it/1R6kEiH


以前にも書いたが、わたしの中には幼い男の子と、三十代くらいの女性が住んでいる。男の子が、前に出てくると、寂しくなる、駄々をこねる。閉じこもる。そんな傾向がある。



支離滅裂な自分に、飽いている時。
鬱々とする時。
空を見上げて、このツイートを思い出す。



歌でも聴こうか。9月。

遠い世界に/五つの赤い風船


私は男なのか女なのか

随分前から、私は変なことに気付いた。
それは、私の中に女性が存在するということだ。

女性の所作に美しさを感じる自分がいる。そして私は男性を基本的に嫌悪する。嫌悪するわけは、男性は社会に洗脳され迎合することが多いと感じるからだ。自分ではそう思っている。まして男性に抱かれたいなどとは一切思わないし、男と群れるのも嫌いだ。

しかし、少年期の我がヰタ・セクスアリスは、女性として破壊される性を願望していたことを思い出した。やはり、私の中には女性がいる。

子供のころはよく女の子と遊んだ。ゴム飛びや、おはじきなどもした。私の母は内職で色々な縫い物をしていたので、家には輪ゴムがたくさんあった。それを繋いで、女の子の家に遊びに行く。片方を電柱に結び、片方を私が持ち、女の子はスカートをパンツの中にたくしこんでゴムを飛び越えた。

私は女性を綺麗だと思う。だが、綺麗だと思っている私は男なのか女なのか、それは分からない。

千人以上の社員がいる会社で働いたことがある。私は複数の女性社員に誘われて、女性用の休憩室でよくお昼のお弁当を食べていた。私を誘ってくれたのは二回り以上も年下の女性達だった。休憩室は広い和室の部屋で、女性社員の中にはその場で寝転がって身体を休めている人も何人かいた。でも、誰も私の存在を気にしなかった。だれにも咎められなかった。不思議なことだった。

女性が嫌がることはしたくない。レイプなどする男の気持ちが分からない。レイプは殺人に等しいと思っている。

そう、思っているのは、誰なのだろう。
男の私か、女の私か。



そう、私の中には、異様に感受性の強い男の子と、時に崩れ去りたくなる女性が存在している。

ふと思う。

失恋をしてみたいと。

もちろん女性として。

「水鏡」
作詞・作曲 鈴木一平

一生一度きりの別れならばいいものを
人は幾度となく悲しみを繰り返す
手探りの中でふと抱かれるよな
甘い想い出は通り過ぎてゆく
振り返る事無く明日だけを見つめながら
いつか来た道と気付かずに歩いた
そこは幸せと不幸の別れ道
悲しみ覚えた出逢い道
私だけの貴方にはなってくれるはずがない
心の温もりも今は
忘れてみるわ 忘れてみよう
揺れる二人の夢模様

水に浮かぶ枯葉に目を向けると
ちょうど今の私同じように見えた
風に打たれ雨に打たれ辿る道は
苦しみ覚えた迷い道
儚い恋のほろ苦さを知って
強がりはよせよと口ずさんでみます
溢れる涙は止めどなく流れて
戸惑う私は闇の中
私だけの貴方にはなってくれるはずがない
心の温もりも今は
忘れてみるわ 忘れてみよう
揺れる二人の夢模様

フェティシズム

「心理学や精神分析学では、性愛の対象が異性の存在全体ではなく、その身体の一部(毛髪、手、足、指、耳など。通常は性器は含まない)や、関係する物品(相手の持ち物や身に付けたものなど。たとえば、靴や、靴下、下着、ハンカチなど)に対してとくに強く向けられる傾向をフェティシズムとよぶ。通常の性愛においても異性の身体の一部がその対象になる傾向はあるが、フェティシズムの場合は、身体の一部や関係する物品(これらのフェティシズムの対象をフェティッシュとよぶ)がその異性から切り離され、それ自体が性的満足の契機となる。したがって、それ自体にきわめて強い執着を示し、それなしでは性的満足を得られない場合が多い。この概念はA・ビネによって心理学に適用され、その後、S・フロイトによって理論的に発展させられた。フェティシズムの発生要因としては、幼児期の性的興奮と、特定の対象とが偶然の状況で結び付けられたとする説明や、部分によって全体を象徴する人間の普遍的な認識様式に結び付けた説明などがあげられる。フェティシズムは過去には、節片淫乱(いんらん)症などと訳され、異常性欲、性倒錯の例として示されてきたが、近年、性愛の対象が身体の一部や関係する物品に向けられる傾向は普遍的に存在するとされ、これを倒錯や異常性欲として扱う傾向は弱くなってきている。」日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
 

フェティシズムは異常性欲として語られることが多いが、はたしてそうだろうか。神は細部に宿るというが、美もディテールに宿ると思う。

 

谷崎潤一郎は「刺青」から晩年の「瘋癲老人日記」まで、女性の足にこだわり、田山花袋は「布団」で女性が使っていた布団に顔をうずめた。

性別を問わず、たとえば後ろ姿の美しさに魅かれることなど日常的な出来事ではないか。フェティシズムの本質は想像力だろう。そして、ゲシュタルト崩壊がからんでいる。
 

ゲシュタルト崩壊(ゲシュタルトほうかい、独: Gestaltzerfall)とは、知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られているが、聴覚や皮膚感覚においても生じうる。」(wikipedia)

漢字をじっと見つめ続けると、その意味が分からなくなるのもゲシュタルト崩壊だ。
 

女性の耳朶をじっと見つめていると、ゲシュタルト崩壊が起きることがある。耳朶は女性から切り離され、耳朶として存在感を放ち始め、まるで人格をまで持つかのように感じられてくる。フェティシズムはやはりゲシュタルト崩壊及び想像力とともにある。人間ならではの現象なのだろう。

 

次元が変わった夜

これは覚書である。

 

令和元年10月1日午前1時。

私はベッドに腰掛けていた。

その時不思議な感覚に気づいた。

 

「部屋のカーテンの外側には何も存在しない」

 

静かだった。いや、静かだっただけではない。何者の気配もない。

庭には植物がいる。バッタもいる。ミミズもいる。時々猫も通る。

それらの気配が一切ない。

 

次元が変わっている。

他に表現のしようがない。

 

不思議な確信が私に降りてきた夜。