小椋佳の「彷徨」を聞いていると、やたら昔のことが思い出される。
いったい何人の女との別れを繰り返したことか。
いったい何人の女の乳房を口に含んだことか。
数え切れない。
覚えていない女もいるだろう。
博打三昧だった高校の頃。
毎日、パチンコ屋に通い、毎日、雀荘で夜を過ごした。
いろんな人と卓を囲んだ。
競輪選手、漁師、スナックのママ、電電公社の職員、ホモセクシュアル、役人・・・。
美輪明宏の付き人だったいう人には、よく股間を触られた。
ヤクザのおっちゃんとはよく将棋を指したが勝った記憶がない。
将棋を指している最中、そのおっちゃんに因縁をつけた男がいた。
おっちゃんは少し離れたところにいた自分の女に「チャカ持ってこい」と言った。
深夜に友達と二人で狭い道を歩いていると、向こうから長髪の薄汚れた男が歩いてきた。
右手を背中の後ろに隠すようにして、こちらの様子を上目遣いに見ている。
殺気というのは分かるものだ。
隣の友人もその男が包丁を背中に隠していることを直観した。
そして、
「おまえ、そんな光り物持たんと、喧嘩もできんか!!」
と一喝した。
いろんな事があった。懐かしいが、まだ、これからだと思う。
「この空の青さは」
帰るときめた夜が明ける
一人よがりの 冬が終わる
ああ それにしても この空の青さはどうだ
この雲の白さはどうだ
僕はもう逃げない
君が待ってる
-小椋佳-
およそ歌詞というものに出てくる「君」「きみ」と言う単語はもう一人の自分のことを指していると考えた方がいい。
すごい経験をされていますね。
私も相場で生きていきたい。そう思いながらも踏み出せずに時だけが過ぎてしまいました。
そういう意味では私も「彷徨」しています。
迷い、後悔ばかり…そして、大きな博打を打てずに来博奕を繰り返して一喜一憂…そんなことに嫌気をさしているのに抜け出ることが出来ない。
自分を生きることが出来ない。不甲斐ないばかりです。
でも、諦めず相場の界隈でこれからも足掻いていこうとと思います。
その気持、すごくわかります。小さな勝ちを積み重ねるのに疲れ、自分の求めていたものはこんなものではないと感じ、やめようと思うけれど、気がつけば今日も博打を打っている・・。
でもリスクとリターンを考えて戦略を立てれば、博打は地味なものかもしれません。そこに喜びを求めてはいけない、そんなふうにも思います。
私の遍歴は波乱万丈で、書き始めるときりがないです。でも、少しずついろいろな話も書いてみたいと思っています。