月に一度、クリニックに行く。
検査をして薬をもらうだけだが、気が重い。
 


今日も、その月に一度のクリニック。
自動ドアの中に入った途端に例の甘い異臭が鼻腔に入り込んでくる。
待合は満席だったが、一箇所だけ開いている場所があったのでそこに座り、リュックを膝の上に置く。
受付の前の長椅子の丁度真ん中だ。ノーマスクは私だけ。いつものことだ。

厚労省は、風邪症状のない人はマスクの必要がないと言っていたよな。

左隣の初老の男性が、処置室に呼ばれる。処置室から出てきて、私の左側に座らない。少し離れたところの空席まで歩いていく。

右隣の女性が、処置室に呼ばれる。これまた私の右隣には帰ってこない。
私の両隣には人がひとり座れる空間があるが誰も座らない。
私から異臭でもしているかい? していないよ。

眼の前を人が通り過ぎるたびに、甘い異臭が沸き立つ。
まるで床から舞い上がる。
これにはまいった。
呼吸をしたくない。
ジーパンの中には手作りマスクを一つ忍ばせている。
何度か、マスクをしようかと思ったが、そうこうしているうちに、わたしの名前が呼ばれた。

処置室には勝手口のような裏口があり、そのドアが開放されていたので、甘い異臭はない。
看護婦は全員ワクチン接種済みだが、人によって、射ったロットが違うのだろう。わたしは誰が当たりのロットを引いたかを知っている。幸い、今日の看護婦はフェイクのロットを引いた若い女性だった。看護婦は採血をしながら、水とか浄水器とかについて私に質問を投げかけてくる。

彼女の話を聞くに、最近になって、シャワーの塩素に反応して、躰に湿疹が出るようになったと言う。4月から水道の水質基準が緩和されたのは事実だったようだ。しかし、原因は塩素ではないのかも知れない。残留農薬など、他の物質の影響も考えられる。

医師とは、新しい薬の作用機序などについて一つ二つ会話を交わし、今から行うという彼の講演の資料を見せられた。薬とは不思議なものである。たとえば、高血圧のために開発された薬が、他の症状に効いたりする。偶然なのだ。しかし、自然は化学物質を好まない。

わたしは「目指すのは薬が必要ない躰だから、結局、必要なのは栄養であり、良好な腸内環境であり、生活習慣だよね」と言い残して、診察室を出た。ほとんど患者のいなくなった待合は、甘い異臭を消していたが、かわりに、講演会を主催する製薬会社のMRが二人、医師をお迎えに来ていた。

薬をもらい、お金を払って、タワーパーキングまで戻ると、管理人のおっちゃんが煙草を吸っている。彼はすこし障害があるのか、会話がはっきりしない部分がある。彼の吸っている煙草は、どこか、憶えのある匂いがしたので、尋ねてみると、「わかば」だった。懐かしい。

障害といえば、去年はわたしの家の前を2匹の老犬を連れて散歩していた、下肢に障害のある男性を今年は見ない。そして、先天的な脳炎なのか、頭にヘッドギアをつけてお母さんと手をつないで散歩していた女の子も見ない。ワクでも射ってしまったのか、と、心が揺らぐ、傾く。


みんな、神のひとしずく。自分を信じて、元気になぁれ。

「甘い異臭が立ち込める空間で敬遠されたノーマスクのわたし」への2件のフィードバック

  1. 漠さん

    甘い異臭。

    職場で1人だけ打たない友人が昨年7月、打った人が匂いでわかると言い出した。

    隣の同僚側の腕と頬が痒くてピリピリする、洗面所で洗い流すと治るが1時間もするとまた同じになる、そう友人は訴えた。

    私も昨年10月になって電車を降りるとまぶたや目が、ピリピリし出した。
    月末には喉がピリピリし始め、そのうちに異臭がわかるようになった。

    老若男女。性別、年齢に関係なく同じ匂いがするからだった。独特の刺激のある化学臭。

    これが昨年夏崎谷博征医師がブログで紹介したシェディングなのだと実感した。

    打っても打たなくても大変なのだ。

    害を軽減させたくて、試しにマスクをしてみたが酸欠の方が嫌でいつものように無しでどこにも出かけている。

    幸い今年になって二酸化塩素という強力な助っ人情報が飛び込んで、精神的にも楽になる。

    打った友人に二酸化塩素を教えたが返事がない。朗報でも余計なお世話になるのかもしれない。

    みんな神の一雫。みんな元氣になあれ。
    なかなか言えない、含蓄に富む言葉である。

  2. シェディングの匂いはほんとに嫌な匂いですね。
    その匂いを発している方々が、ノーマスクのわたしを避ける。
    なんとも、ちんぷんかんな世の中であります。

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