暖かくなってきたが、春は、いつもと違う春。
桜の木の下ですれ違う人が、みんなマスクをしている。

大衆はいつの時代も洗脳され続けている。


明治維新はまだ終わっていないのだ。
今、仕上げにかかろうとしている。


大内氏は百済の王子の後裔。王子が周防国多々良浜に着岸し、「多々良」と名乗り、後に大内村に居住したので大内を名字とした。16世紀大内氏は毛利氏に滅ぼされたが、幕末の周防には大内=百済の残党が大量に残っていた。この残党のクーデターは米国の支配の元、今も続いている。田布施は周防。

長州藩には、「ウラ毛利」という忍者組織があり、毒殺技術に長けていた。1836年、斉熙、斉元、斉広と3人の藩主が相次いで死亡。後を継いだ敬親は、暗殺されるのを怖れ、家臣に何を訊かれても、「そうせい」と言ったことから「そうせい侯」と呼ばれた。伊藤博文は下忍。下忍は実行部隊である。

毛利敬親
伊藤博文

尊皇攘夷の名のもとに、下級武士が各地で立ち上がったとされるが、果たしてそれは真実だろうか。少なくとも、攘夷を決行した者などいない。

長州の後ろ、いや大内の後ろには、英国がいた。そして、徳川慶喜の後ろには仏国がいたのである。ロスチャイルドである。薩摩の島津斉彬は水戸の徳川慶喜を将軍にしようとした。そして養女の篤姫を徳川家定に嫁がせた。島津は琉球王国を介して仏国と深いつながりがあったのだ。

天璋院篤姫

家定は35歳で暗殺されたが天璋院篤姫は大奥に居座った、家定を継いだ家茂も20歳で暗殺された。そして、ついに徳川慶喜が将軍の座につくことになる。これで、尊皇派も幕府もロスチャイルドの傘下になってしまう。

鳥羽伏見の戦いは茶番である。大阪城にいた徳川慶喜は戦いの指揮をすることもなく、会津の松平容保らを連れて大阪城を抜け出し、仏国の公使ロッシュの仲介で、米国の戦艦に逃げ込み、その後開陽丸で江戸へと帰った。これで幕府軍が勝てるわけがない。

さらに薩摩は、大久保利通と岩倉具視によって、偽造されたとも言われる錦旗を掲げ、官軍という座を手に入れる。岩倉具視は孝明天皇のお稚児さんとも言われ、下級の公家であったが、朝廷の混乱に乗じて権力を手にしていった。

そして、長州と薩摩が、東進をはじめ、慶喜は戦う気はなく、官軍と名乗る者たちは会津から東北へと、原日本人を殺戮していくのである。

つまり、今風に言えば、薩摩も長州を名乗る大内も、徳川慶喜も、DSの手先であったということになる。(ちなみに、周防に田布施という土地があるが、薩摩にも同じ地名がある)



DSたちは、日本人と容姿の似た半島人を完全に操った。それは今も同じなのである。

経済界も榊原定征(実名:崔定征)が経団連会長になった時点でDSの手先だった。
政界も然り。特に晋三は忠実なDSの手先であった。


報道も同様に電通に牛耳られている。電通とは、広告代理店という仮面を被り、 日本のメディア全体を統制するユダヤ・アメリカの諜報機関なのだ。 https://t.co/2RHKHyNDlF
芸能界もまた然り。芸能人と呼ばれる人たちはほとんどが半島人で占められている。今、テレビを見ている子どもたちは、日本人と半島人の区別がつかないだろう。

フランスメディアが報じた「メディアを支配する電通のヤバイ12の真実」 http://goo.gl/fqu3eE

電通の床らしい。

このことを語りだすと終わりが見えなくなる。
そして、今、改憲の審議が着々と進められている。
この改憲は、完全に日本人を奴隷化するための改憲なのである。
明治維新の目的の第一段階の実現を目指すものである。

あぁ、渋沢栄一がお札になるらしい。彼は徳川慶喜の腹心だった人物だからね。徳川慶喜はフランスに操られていた将軍。それを何より望んだのは島津・・・。



一気に記憶だけで書き連ねたので、事実とずれたところがあるかもしれないが、今日のブログはわたしの戯言日記であるとご理解いただきたい。判断は各々でお願いします。

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