自分の心を子細に調べてみたい

わたしは観察者であり、観察者のわたしが現実を創っている。
同時に、あなたは観察者であり、観察者のあなたが現実を創っている。このことだけでも、多重世界は存在することの証明にはならないか?

もしも、わたしを映し出したものがこの世界であるのならば、
わたしの目に映る全ての事象が、わたしに内在されているということになる。

これを是認した上で、この世界を掃除したいのなら、わたしを掃除しなければならないということになる。政治や環境に文句を言っていても何も始まらない。何も変化しない。その可能性はあるのではないか。また、その逆に、わたしが最も強く創り出している自分の部屋。その部屋の掃除をすることで、わたしも掃除される可能性もある。

わたしは地デジを見ない。だから、街に出て、すれ違う人々がマスクをしているのを見ると、異世界に来たかのような錯覚に陥る。わたしの周りでは、そしてわたしの収集する情報では、コロナウイルスは存在しない。

では、ネットで囁かれる様々な考え方はどうなのだろう。ここがわからない。

わたしはレプもドラコもアヌンナキもエンキも存在すると考えている。エンキは世界中の動物を作り出したと思っている。しかし、200年以上前の歴史は一切信じていない。なにしろ、時間そのものを信じていない。時間軸で物事を考えると、思考は無限の迷宮に入る。今もエンキがどこか別の時間軸で遺伝子組み換えを行っていても不思議ではないと思う。

ある日、地球を洪水が襲う。陸上の生き物は全て死に絶える。数日後、多くの生物が現れて、あるは残った家屋に住み、あるいは、新しい建設物を作り、「昔からわたしたちはここに住んでいる」と言い、史跡まで紹介する。

そんなことが今まで何回もあったのかも知れない。否定出来ない。

信じられるものは、わたしが今感じている世界のみだ。雲はわたしだし、風はわたしだし、野に咲く花もわたし。

わたしは観察者であり、観察者のわたしが現実を創っている。
同時に、あなたは観察者であり、観察者のあなたが現実を創っている。
このことだけでも、多重世界は存在することの証明にはならないか?

しかし、こうした量子力学的な考え方にも答えは出ていない。

「二重スリット実験のよくある誤解とその実験の真の意味を解説」https://newphilosophy.net/quantum/double.html

こうなるとわたしにはまだ理解出来ない。

自分の中を子細に眺めてみる。
子どもを誘拐する心はない。
子どもの血を飲む心もない。
しかし、情報では、そのようなことが行われているという。

そして古代から、何者かが人間を食べていたという遺跡のようなものもある・・。
それらは、わたしの世界で起きたことなのか?
情報とはノイズなのか?

もしも、イルミナティが存在するのなら、その儀式を一度見てみたい。
本当にそんなものがあるのなら。
見た時のわたしの心を調べてみたい気がするのだ。
この世をわたしが創っているのかどうかがはっきりするかも知れない。

また支離滅裂な日記になりにけり・・。



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