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シュレディンガーの猫と博打

量子力学を語るときに真っ先に持ち出されるのが「シュレーディンガーの猫」だ。
" まず、蓋のある箱を用意して、この中に猫を一匹入れる。箱の中には猫の他に、放射性物質のラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生 装置を1台入れておく。もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作 動し、青酸ガスを吸った猫は死ぬ。しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生き残る。一定時間経過後、果たし て猫は生きているか死んでいるか。
この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定する。そして、アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊にともなって放出される。このとき、例えば箱に入れた ラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率は50%だとする。この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が 生きている確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなけ ればならない。" wikipediaより抜粋。
 
つまり、箱の中の猫の生死は箱を開けて。観測者が観測するまで決定されないということだ。私はこれを信じている。観測者が存在して初めて宇宙が決定されると思っている。
 
カジノでバカラをしているとしよう。プレイヤーにベットしたあなたは「9」を配られた。そして、ディーラーが次のカードを無表情であなたの前に投げ出す。しかし、そのカードは裏返しになっているので思惑通りの絵札なのか、残念なことにクラブの2なのか、誰にも分からない。観測するのはあなただ。あなたがそのカードを確認するまで勝負は決定しない。シボリは儀式ではない。宇宙を成立させるための乾坤一擲なのだ。
 
これには反論も多いだろうと思う。2枚目のカードが配られた瞬間に勝負は決まっているという人もいるだろうし、そもそも、ディーラーの配るカードがシューにセットされた瞬間に未来の勝負は決定しているという人までいるかも知れない。
 
でも、わたしは経験則でこれを信じている。"生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっている"という状態を支持する。精神状況が乱れに乱れた状態で私の周りに出現する世界と、普段から節制を重ね安定した心持ちで見渡す世界とは全く違うことを私はいつも感じている。この時の観測者は私だ。観測者の 私の状況によって空の色まで違うものになってしまうのだ。さらに、私が観測する世界と、あなたが観測する世界には微妙なズレがあるとも思っている。
 
博徒たちと麻雀卓を囲んでいるとしよう。親から順番に1牌ずつ自莫っていく。誰も他人の代わりに自莫ったりはしない。自分の牌は自分が自莫る。そして、リー チをかけたあなたが和了したとすると、裏ドラを観測するのはあなただ。こういう一種の鉄火場では、卓を囲んだ4人がそれぞれに観測者が世界を作り出すことを知っているように思える。したがって、他の観測者の障害になることは避ける。それがマナーだ。間違っても、あなたの裏ドラを他人が裏返してみせることなどあり得ない。博徒は観測者が現実を決定するということに尊厳さえ抱いているかのようだ。もしも、あなた以外の誰かが和了したのに、あなたが山に手を伸ばして裏ドラを開示したりすると、昔ならその場で刺されるかも知れない。和了した者にのみ権利が与えられる裏ドラを観測するという行為に対して、あなたは、所謂、「アヤをつけた」のである。
 
「シュレーディンガーの猫」について考えていると、思いは果てしなく広がり、言葉では説明できなくなってしまう。
シボリが好きなら、エンパイアカジノのライブで韓国に行けばいい。
 
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