先日来、周りで訃報が多い。黒い服を着ることがわたしを疲れさせる。知人がお二人亡くなり、身内が一人鬼籍に入り、兄の三回忌があった。わたしは西へ東へ掌を合わせに走るほどには元気ではない。調子を崩した體のまま、病院の受診日もあり、長時間待たされた。転院を考えた。診察時間は10分とない。医療業界の敷いたレールに乗りたくない。そんなこんなで、わたしの体力はガラスのコップの底で尽きかけたカルピスのように僅かに残るばかりである。
またこれも先日のことだが、わたしより随分若い知人が、病院の薬を服薬し続けた挙げ句、足を切断され、透析を受けている。いくら人柄のいい医師でも、彼らの根本には西洋医学があり、医師免許を取るために記憶した知識に疑いを挟もうとはしない。だから、わたしはどの医師とも討論になる。
そうして、わたしは、病院で受けた検査値と、今飲んでいる薬と、体調の変化を並べてAIに問う。現在の体調をどう捉えればいいのか。AIは深い知識を並べてくれるので、わたしの考察を助けてくれる。そういう意味で医師よりもずっと頼りになる。
しかしながら、わたしの體のバランスを整えるのはわたしである。そこには、ある種の勘のようなものが必ず必要になる。忘れてはいけない。AIに全てを任せるのはおすすめしない。

今年も三月がきた。
リンクさせていただく。

「仰げば尊し」は明治時代(1884年・明治17年)に発表された唱歌で、当時の教科書『小学唱歌集』に掲載されていた歌詞が、いわば“原典”にあたるとされる。

治期の歌詞(原典に近い形)を訪ねてみた

一番
仰げば尊し 我師の恩
教の庭にも 早幾年
思へばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば

二番
互に睦し 日頃の恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば

三番
朝夕馴れにし 学びの窓
蛍のともし火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば

なおこの歌には
四番も歌われることがあるらしい。

四番
志を立てて いざ進まん
世界の広きに 雄々しく立ちて
行く手を照らせよ わが道を
今こそ別れめ いざさらば


我の命を何に捨てるか。それを今頃になって肝に刻んでいる。
わたしは日本語を綴りたい。日本語を残したい。八百万の神と共に存在したい。
そのためには、身命をも投げだそう、そう思う桜の日である。

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