神様だけがご存じの『なぜ?』

沙悟浄 by いらすとや

ラジオがつまらないので、WALKMANに中島敦の小説の朗読を入れて聞いている。

 
 
中島敦は「悟浄出世」に語る。

医者でもあり・占星師(せんせいし)でもあり・祈祷者(きとうしゃ)でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果(いんが)な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨(みじ)めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋(く)うようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘(しょうしんしょうめい)の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いをもつことじゃ。なぜ俺(おれ)は俺を俺と思うのか? 他(ほか)の者を俺と思うてもさしつかえなかろうに。俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候(ちょうこう)じゃ。どうじゃ。当たりましたろうがの。お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治(なお)すよりほかはないのじゃ。よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」

中略

悟浄は控えめに口を挾(はさ)んだ。自分の聞きたいと望むのは、個人の幸福とか、不動心(ふどうしん)の確立とかいうことではなくて、自己、および世界の究極の意味についてである、と。隠士は目脂(めやに)の溜(たま)った眼をしょぼつかせながら答えた。
「自己だと? 世界だと? 自己を外(ほか)にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻(まぼろし)じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見(びゅうけん)じゃ。世界が消えても、正体の判(わか)らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」
 悟浄が仕えてからちょうど九十日めの朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢(げり)ののちに、この老隠者(いんじゃ)は、ついに斃(たお)れた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によって抹殺(まっさつ)できることを喜びながら……。
 悟浄は懇(ねんご)ろにあとをとぶらい、涙とともに、また、新しい旅に上った。

また「悟浄歎異」に語る。

悟空(ごくう)の身体の部分部分は――目も耳も口も脚も手も――みんないつも嬉(うれ)しくて堪(たま)らないらしい。生き生きとし、ピチピチしている。ことに戦う段になると、それらの各部分は歓喜のあまり、花にむらがる夏の蜂(はち)のようにいっせいにワァーッと歓声を挙げるのだ。悟空の戦いぶりが、その真剣な気魄(きはく)にもかかわらず、どこか遊戯(ゆうげ)の趣を備えているのは、このためであろうか。人はよく「死ぬ覚悟で」などというが、悟空という男はけっして死ぬ覚悟なんかしない。どんな危険に陥った場合でも、彼はただ、今自分のしている仕事(妖怪(ようかい)を退治するなり、三蔵法師(さんぞうほうし)を救い出すなり)の成否を憂えるだけで、自分の生命のことなどは、てんで考えの中に浮かんでこないのである。太上老君(たいじょうろうくん)の八卦炉(はっけろ)中に焼殺されかかったときも、銀角大王の泰山(たいざん)圧頂の法に遭(お)うて、泰山・須弥山(しゅみせん)・峨眉山(がびさん)の三山の下に圧(お)し潰(つぶ)されそうになったときも、彼はけっして自己の生命のために悲鳴を上げはしなかった。

中略

悟空(ごくう)の今一つの特色は、けっして過去を語らぬことである。というより、彼は、過去(すぎさ)ったことは一切忘れてしまうらしい。少なくとも個々の出来事は忘れてしまうのだ。その代わり、一つ一つの経験の与えた教訓はその都度(つど)、彼の血液の中に吸収され、ただちに彼の精神および肉体の一部と化してしまう。いまさら、個々の出来事を一つ一つ記憶している必要はなくなるのである。彼が戦略上の同じ誤りをけっして二度と繰返さないのを見ても、これは判(わか)る。しかも彼はその教訓を、いつ、どんな苦い経験によって得たのかは、すっかり忘れ果てている。無意識のうちに体験を完全に吸収する不思議な力をこの猴(さる)は有(も)っているのだ。

 

 

中島敦は天才である。

“(1942年)11月には第二創作集『南島譚』が出版されるも、同月に持病の気管支喘息悪化と服薬の影響で心臓もかなり衰弱し、世田谷の岡田医院に入院。12月4日の午前6時に同院で死去した。33歳没。涙をためながら「書きたい、書きたい」「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい」と言ったのが最期の言葉だったと伝えられている。” Weblio辞書

中島敦「悟浄出世」
青空文庫-http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=2521

中島敦「悟浄歎異」
青空文庫-http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=617

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