夢を見続けて疲れる日々

ここ2週間ほど、眠った気がしない。夢をやたらと見るからだ。

昨晩は、次元を超える箱に乗る夢を見た。箱の内部はまるで家のようで、キッチンもあった。ただ、窓から外を眺めると、外は大量の水。水の上を半ば潜水艦のように箱は進んでいるのだ。お弁当が配られた。私はそれを美味しくいただいたけれど、窓から見える水の勢いは緩まなかった。


私は、エア神の仰せのとおりに町の長老や職人を丸め込んで方舟を造らせた。
そしてすべての銀を、すべての金を、すべての生き物の種を方舟に積み込んだ。
最後にわが家族、わが親族、すべての技術者を乗せた。
シャマシュ神は言った。
「朝にはクック(パンの一種)を、夕には小麦を雨と降らせよう。さあ、方舟に入り、戸を閉じよ」
シャマシュ神はそのとおりにした。私はそれから方舟の戸を閉じた。

その時がやってきた。
暁が輝き始めたとき、天の基から黒雲が立ち上った。
アダド神は雲の中から吼え、シャラト神とハニシュ神がその先駆けとなった。
エルラガル神が方舟の留め柱を引き抜き、ニヌルタ神が堰を切った。アヌンナキは松明を掲げ大地を燃やそうとした。
アダドの沈黙により全地が暗くなると、続く雄叫びで全地は壺のように破壊された。終日暴風が吹き荒れ、、大洪水が大地を覆った。
戦争のように、人々の上に破滅が走った。彼らは互いに見分けもつかなかった。
神々も大洪水を恐れ、アヌ神の天に昇ってしまった。神々はうずくまった。イシュタルは絶叫し、嘆いた。
「いにしえの日が、粘土と化してしまったとは!私が神々の集いで禍事を口にしたからか!どうして禍事を口にしてしまったのか!
人間を滅ぼすために戦争を命じてしまったのか!私が生んだ、わが人間たちが、稚魚のように海面を満たす・・・」
アヌンナキも彼女とともに泣いた。神々は嘆き、食物さえとらなかった。

(ギルガメシュ叙事詩)


何かが変わる時が近づいているのだと、つくづく感じる。

夢で目を覚ますのが、だいたい3時頃。昨晩は起きた時にめまいがした。だから1時間ほどベッドに座ったまま起きていた。そして、また夢を見る。起きたら、疲れている。そんな風だから、疲れが抜けない日々が積み重なっていく。

ロバと旅する夢は見ない。

知らない女性とゆっくりと語らう夢も見ない。

DEEN 『夢で逢えたら feat.原田知世』

世界中が嘘をついているcovid-19

下の動画の冒頭の数秒。米国では入院患者は靴を履いたままらしい。
New York TimesはHollywoodである。

下の動画はネットで話題になった。私には肯定も否定もできない。私はEden Mediaに懐疑的な感情を少し持っている。

しかし、Tweetされた下の動画では死者も生き返る。

やはり、コロナウイルスというのは、人々の不安を掻き立てるための嘘であり、その原因は新しい電磁波にあるのだろうと思われる。そして、今回の騒動はあくまでもテストだと感じられる。ワクチンという名で人々の身体にチップを入れるという噂も荒唐無稽なことではないだろう。人々の情報を猛烈なスピードでかき集め、データ保存する。さらに、個人に対するピンポイント攻撃も可能な技術なのではないか。
 
これは人間の家畜化である。

下のような情報もあるが、まだ腑に落ちない点も多い。



私は、


コロナウィルスの夢想

2/28追記
唐突だが、私はコロナウィルスを終焉させることとする。
3ヶ月以内、本当はもっと瞬時に。
日本のコロナウィルスを消してしまうことに決めた。
「それくらいのことができなくてどうする」と彼が私に語りかける。

と書いた。今日緊急事態宣言が解除され、一応の終結を見たが、奴らの考えていることは、この先に起きることだ。

それにしても、悪も極まってきた感がある。悪は常に権力と嘘を伴っている。
遠くない将来、人類は滅びるよ。

しかし、怯えることはない。二元論を捨て、自然を愛でる気持ちを持ち続けていれば、なるようになる。それさえ忘れなければ、肉体の死など怖れることはないのだ。

神様だけがご存じの『なぜ?』

沙悟浄 by いらすとや

ラジオがつまらないので、WALKMANに中島敦の小説の朗読を入れて聞いている。

 
 
中島敦は「悟浄出世」に語る。

医者でもあり・占星師(せんせいし)でもあり・祈祷者(きとうしゃ)でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果(いんが)な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨(みじ)めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋(く)うようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘(しょうしんしょうめい)の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いをもつことじゃ。なぜ俺(おれ)は俺を俺と思うのか? 他(ほか)の者を俺と思うてもさしつかえなかろうに。俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候(ちょうこう)じゃ。どうじゃ。当たりましたろうがの。お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治(なお)すよりほかはないのじゃ。よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」

中略

悟浄は控えめに口を挾(はさ)んだ。自分の聞きたいと望むのは、個人の幸福とか、不動心(ふどうしん)の確立とかいうことではなくて、自己、および世界の究極の意味についてである、と。隠士は目脂(めやに)の溜(たま)った眼をしょぼつかせながら答えた。
「自己だと? 世界だと? 自己を外(ほか)にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻(まぼろし)じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見(びゅうけん)じゃ。世界が消えても、正体の判(わか)らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」
 悟浄が仕えてからちょうど九十日めの朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢(げり)ののちに、この老隠者(いんじゃ)は、ついに斃(たお)れた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によって抹殺(まっさつ)できることを喜びながら……。
 悟浄は懇(ねんご)ろにあとをとぶらい、涙とともに、また、新しい旅に上った。

また「悟浄歎異」に語る。

悟空(ごくう)の身体の部分部分は――目も耳も口も脚も手も――みんないつも嬉(うれ)しくて堪(たま)らないらしい。生き生きとし、ピチピチしている。ことに戦う段になると、それらの各部分は歓喜のあまり、花にむらがる夏の蜂(はち)のようにいっせいにワァーッと歓声を挙げるのだ。悟空の戦いぶりが、その真剣な気魄(きはく)にもかかわらず、どこか遊戯(ゆうげ)の趣を備えているのは、このためであろうか。人はよく「死ぬ覚悟で」などというが、悟空という男はけっして死ぬ覚悟なんかしない。どんな危険に陥った場合でも、彼はただ、今自分のしている仕事(妖怪(ようかい)を退治するなり、三蔵法師(さんぞうほうし)を救い出すなり)の成否を憂えるだけで、自分の生命のことなどは、てんで考えの中に浮かんでこないのである。太上老君(たいじょうろうくん)の八卦炉(はっけろ)中に焼殺されかかったときも、銀角大王の泰山(たいざん)圧頂の法に遭(お)うて、泰山・須弥山(しゅみせん)・峨眉山(がびさん)の三山の下に圧(お)し潰(つぶ)されそうになったときも、彼はけっして自己の生命のために悲鳴を上げはしなかった。

中略

悟空(ごくう)の今一つの特色は、けっして過去を語らぬことである。というより、彼は、過去(すぎさ)ったことは一切忘れてしまうらしい。少なくとも個々の出来事は忘れてしまうのだ。その代わり、一つ一つの経験の与えた教訓はその都度(つど)、彼の血液の中に吸収され、ただちに彼の精神および肉体の一部と化してしまう。いまさら、個々の出来事を一つ一つ記憶している必要はなくなるのである。彼が戦略上の同じ誤りをけっして二度と繰返さないのを見ても、これは判(わか)る。しかも彼はその教訓を、いつ、どんな苦い経験によって得たのかは、すっかり忘れ果てている。無意識のうちに体験を完全に吸収する不思議な力をこの猴(さる)は有(も)っているのだ。

 

 

中島敦は天才である。

“(1942年)11月には第二創作集『南島譚』が出版されるも、同月に持病の気管支喘息悪化と服薬の影響で心臓もかなり衰弱し、世田谷の岡田医院に入院。12月4日の午前6時に同院で死去した。33歳没。涙をためながら「書きたい、書きたい」「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい」と言ったのが最期の言葉だったと伝えられている。” Weblio辞書

中島敦「悟浄出世」
青空文庫-http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=2521

中島敦「悟浄歎異」
青空文庫-http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=617

地球がフラットであるということに気付くと、精神的ダメージを受けるだろう

太陽系が公転するシミュレーション画像である。
これを信じろと言う方がおかしい。

地動説
“1543年コペルニクスによって唱えられた宇宙構造説。アレクサンドリア文明以来,天文学界を支配していたのは,地球を宇宙の中心とするプトレマイオス体系であった。ピタゴラスの弟子フィラリオスが観念的な地動説を唱えた先駆的な例もあるが,多くの観測家によってたくわえられたデータを説明するには,地球が太陽の周囲を公転すると考えるのが便利であることを論理的に説いたのは,コペルニクスが最初である。この説は,公転軌道として円を考えていたので,同時代の T.ブラーエらの精密な観測結果を細部まで裏づけることができず,説得力はなお不足であったが,ガリレイ望遠鏡による観測などによって実証的に裏づけられ,J.ケプラーが師ブラーエの観測値より楕円軌道説を採用するに及んで,あらゆる反論の根は断ち切られ,プトレマイオス天動説に代って受入れられることとなった。”
ブリタニカ国際大百科事典より

まぁ、私はそんな戯言は信じていない。

よくもまあ、500年近くも人々をだまし続けてきたものだと思う。

地軸
地軸(ちじく)とは、地球自転する際の軸(自転軸)であり、北極点南極点とを結ぶ運動しない直線を指す。地球以外の惑星及び衛星についてもそれぞれの自転の軸を地軸と呼ぶ。 以降、特に断らない限り本項では、地球の自転軸について述べる。 地球の自転軸は、公転軸に対して約23.4度傾いており、公転面に対する角度は約66.6度である”
wikipediaより

公転面に対する傾きが66.6度。この時点でこの話は眉唾である。太陽の質量は地球の約33.3万倍であるという。もうアウトである。

まず、地球はフラット。平面であるということを自分で確かめてもらいたい。私たちがいかに洗脳され続けてきたかが実感できる。そして、フラットだと分かった時、精神的なダメージを受ける。洗脳がとかれた時、人は落ち込んでしまう。いっそ、洗脳されたままの方が幸せだったと思うことだろう。

フラットアースだろ
月は雲より低いところにあった
極成層圏雲の中の太陽

8年間止まらない父親の腕時計

父親が亡くなってから、8年が経とうとしている。

病院に入院している時に、私の兄が父親のために買った腕時計。これが形見となった。

父親の腕時計、安価だけれど、なぜか、今も電池交換なしに動いている。


8年間、止まらない。