緊縛というものが成立されるためには、わたしと他者が波動を重なり合わせていなくてはならない。

「一番猥褻なものはなにか。それは縛られた女の体だ」そして三島はこう続ける。
「他者とは意思を持った主体であり、相手が意思を封鎖されている、相手が主体的な動作を起こせない、そういう状況が最もエロチシズムに訴える。」この三島の言葉は浅い。