雨、春に降る、音もなく降る

小雨が降る春の日。
スノーフレークも濡れている。



心が動かない。またまた飽いている。
最近何を呟いたかな、と自分のツイートを眺める。


「10秒で判断と行動を済ませることが出来る課題があるとする。 そんな課題には20秒、いや、1分以上時間をかける方がいい。半日かけてもいい。 そうすれば、自神が介在することも出来るし、もしかしたら、妖精まで舞い降りてくるかも知れない。 あらゆることに、適切な「間」は必要なのだ。」

「深夜何時かは判らない。 ベッドで眠っていて、ふと気付くと、わたしの右手の中に誰かの手がある。わたしより小さな手なので女性だろう。とても優しく、どこか懐かしい手。わたしは目を開かなかった。5分ほど考えた。これは誰の手だったかを。思い当たる女性がいる。わたしは、そのまま彼女の手の感触を感じたまま、いつか深い藍色の眠りに堕ちていった。」


毎日、色々なことを考える。
存在しない宇宙のこと、歴史の嘘、異次元の世界、人体のこと、時間のこと・・。
そう言えば最近時間が止まる。
いや、止まっていると感じることがある。
この世がマトリックスでないことを証明出来る人間は存在しないだろう。


飽いている。
本音を言えば、あの頃に戻りたい。

過ぎ去った柔らかな思い出に耽ることなく、
過去の全てに責任を持たず、
今の自分を肯定し続けていた
あの頃に。

忘却は何物にも勝る力であると感じる

この世はわたしが作り出している。
わたしに内在するものが、色々な姿と現象として、わたしの五感を震わせる。

交通事故に遭ったとする。
それは、わたしが自分を否定する心の証であるかも知れないし、
わたしの中に他人を攻撃する心が存在することの証かもしれない。

いずれにせよ、原因はわたしの中にある。
原因というより、物事が起きる要因といった方がいいのかな。

わたしが飛行機というものを全く知らなかったとすると、
仮に上空を飛行機が飛んでも、わたしには飛行機が見えないだろう。

誰かを憎んでいれば、それは色々な形でわたしの世界をつくり出す。
誰かに刺されるかも知れないし、健康に害を為すかも知れない。

事は簡単ではない。
私の持つ知識や感情や経験などが複雑に絡み合って、私の世界がつくられている。
しかし、その世界に私は納得していない。


目に留まるツイートがあったので、了解を得て転載する。

「自己愛がなければ隣人愛を育めない。
自己愛が強すぎると反発して自分を嫌いな人をとことん叩く。
自己愛があまりにもないと自分を愛してくれる人を突き放してしまう。 」
<NewType架純>

これは目から鱗だった。
鱗の詳細はカタラナイ。


わたしは自分を愛してなどいない。
そもそも愛とは何であるかも分からない。
分からなくていいと思うし、愛などという言葉が無くなっても困らない。
しかし、弱者が困っているのは見過ごせない。

愛情をタテにして行動するのも嫌いだ。
それを見るのも嫌だ。
ガキの言う「愛してる」は「やらせてくれ」と同義語だ。

こう言うと、カウンセラーは
「あなたは十分な愛情の元で幼少期を過ごしていない」
と言うだろう。

私は答える。
「それがどうした?」




支離滅裂になってきた。

わたしは、忘却する方法を知りたい。
忘却力が欲しい。
忘却は何物にも勝る力であると感じる。




悟浄歎異に曰く、

変化へんげの術が人間にできずして狐狸こりにできるのは、つまり、人間には関心すべき種々の事柄があまりに多いがゆえに精神統一が至難であるに反し、野獣は心を労すべき多くの瑣事さじたず、したがってこの統一が容易だからである、云々うんぬん

また、

我々にはなんの奇異もなく見える事柄も、悟空の眼から見ると、ことごとくすばらしい冒険の端緒だったり、彼の壮烈な活動をうながす機縁だったりする。もともと意味をったそとの世界が彼の注意をくというよりは、むしろ、彼のほうで外の世界に一つ一つ意味を与えていくように思われる。彼の内なる火が、外の世界にむなしく冷えたまま眠っている火薬に、いちいち点火していくのである。探偵の眼をもってそれらを探し出すのではなく、詩人の心をもって(恐ろしく荒っぽい詩人だが)彼に触れるすべてをあたため、(ときにがすおそれもないではない。)そこから種々な思いがけない芽を出させ、実を結ばせるのだ。だから、かれ悟空ごくうの眼にとって平凡陳腐ちんぷなものは何一つない。毎日早朝に起きると決まって彼は日の出を拝み、そして、はじめてそれを見る者のような驚嘆をもってその美に感じ入っている。心の底から、溜息ためいきをついて、讃嘆さんたんするのである。これがほとんど毎朝のことだ。松の種子から松の芽の出かかっているのを見て、なんたる不思議さよと眼をみはるのも、この男である。

さらに、

悟空ごくうの今一つの特色は、けっして過去を語らぬことである。というより、彼は、過去すぎさったことは一切忘れてしまうらしい。少なくとも個々の出来事は忘れてしまうのだ。その代わり、一つ一つの経験の与えた教訓はその都度つど、彼の血液の中に吸収され、ただちに彼の精神および肉体の一部と化してしまう。いまさら、個々の出来事を一つ一つ記憶している必要はなくなるのである。彼が戦略上の同じ誤りをけっして二度と繰返さないのを見ても、これはわかる。しかも彼はその教訓を、いつ、どんな苦い経験によって得たのかは、すっかり忘れ果てている。無意識のうちに体験を完全に吸収する不思議な力をこのさるっているのだ。



これが忘却力だと感じる。
若かりし頃、私はこの力を持っていた。
これは私の得意技だった。
わたしは確かに忘却力を持っていた。

しかし、今、それを取り戻す術を日々考えている有り様なのだ。
ひとつだけ、気付いたことがある。
それは、過去に一切責任を持たないということだ。


*** 悟浄歎異は青空文庫から抜粋させていただきました。

日々のTweetで気になったものをいくつか並べてみました

最近Tweetを見ることが多くなって、どうも自分の書きたいことがまとまらない。
コロナウイルスはない
JFKのこと
明治からのこと
ケルブランのこと
云々

最近、目に留まったTweetを並べてみた。

https://twitter.com/ooOOmayumiOOoo/status/1306608234044600320?s=20

最後にカウフマン博士のビデオ。

ワクチン射つと危ないです。

この世はわたしを映し出している

昨年秋まで、障害を持った男性が、杖をつきながら2頭の犬を散歩させていた。
明らかに保健所に持ち込まれたれた年老いた犬である。この2頭の犬は、男性の横をゆっくりと歩きながら、時折男性の表情を見上げていた。そして、決して男性の前を歩くことはなかった。

その男性の姿を、秋も深まった頃から見かけなくなった。

心配していたら、この冬から、2人の親子をよく見かけるようになった。
お母さんが前を歩き、中学生くらいの女の子の手を引いている。

女の子は明らかに障害があり、片足を引きずるようにしていて、頭にはベージュ色のヘッドギアを着けている。散歩なのか、バス停から自宅への帰途なのか分からないが、うちの前の道を通っていく。

その女の子の世界にはお母さんしかいないだろう。二人とも言葉を交わすことはないが、女の子の後ろ姿には陰鬱なものを全く感じない。「今」という時だけを考えれば、彼女は幸せなのかも知れない。

見かけなくなった男性と犬。
急に見かけるようになったお母さんと女の子。

この世はわたしが作ったホログラムである。
そういうことを感じざるを得ない。


今日も日が暮れる。


みんな元気で。
みんな幸せで。

ベッドに入ってきた女性に囁かれた丑三つの夜



わたしは普段1時間のタイマーをかけたラジオを聴きながら眠りに入るのだが、眠りが浅いので、1〜2時間で目を覚ます。

他人とひとつのベッドで寝ることはない。
他人の波動を感じてしまうので、一緒には眠れないのだ。

1月8日未明。気がつくと、ラジオのタイマーが切れている。習慣でラジオの電源を入れると、5秒くらいで切れる。再び電源を入れる。また、5秒くらいで電源が切れる。電池は2日前に交換したばかりだ。

10年以上使っている安物のラジオなので、寿命が来たのかと諦めて、眠りに入りかけた。

そのとき、衣擦れのような音がして、誰かがベッドに入ってきた。
わたしはいつも右肩を下にして横寝している。

その背中の方に誰かが入ってきた。

耳元ではっきりと女性に囁かれた。

「いつもと逆やね。ごめんね、音させちゃって。じゃあね」

わたしは寝返りを打ったが誰もいない。
時計を見ると2時10分。
丑三つ時である。
丑三つ時といえば怖いものとしてとらえられる印象が強いが、
諸仏成道の時間であるとも言われる。

この出来事で目が覚めた。
再びラジオの電源を入れると、ラジオは音を出し始めた。
わたしは、いったい、誰が来たのだろうと考えていた。
別れた女性は多すぎる。

「いつもと逆やね」
とはどういう意味だろう。



しかし、思い当たることがある。
3日ほど前に、わたしはある女性が亡くなった夢を見ている。
だが、耳元で鮮明に聞こえた声は彼女の声とは少し違う。

ラジオは鳴り続けていた。
そして、わたしは過去のことを考えつづけていた。

ラジオが語る。
「3時をお報せします」
時報が、プップップッと鳴り、正時のプーを告げずに電源が切れた。



思ってみれば、幸せな出来事だった。
わたしのベッドに入ってきたのが誰なのかは定かではないが、
わたしが別れてきた女性の一人が、わたしのことを想ってくれていた、慕ってくれていた、信頼してくれていた・・。

そのことはとてもありがたいことだ。

また、肉体を離れた魂というのは、幸せそうな声をわたしに聞かせてくれた。

ほんとに、ありがとう。

遠くない将来、誰かの訃報をわたしが知ることになるだろう。

那波多目 功一氏 https://www.umashi-bito.or.jp/artist/76/