少女

愛なんていう得体の知れない言葉は理解できない。

戀は孤悲である。 「人、土地、植物、季節などを思い慕うこと。めでいつくしむこと。」 目の前にない対象を求め慕う心情をいうが、その気持の裏側には、求める対象と共にいないことの悲しさや一人でいることの寂しさがある。その点、「万葉」で多用された「孤悲」という表記は漢籍の影響も指摘されてはいるが、当時の解釈をよく表わしている。

黴雨に書く鬱々としたにきにサプリを並べる

とにかくミトコンドリアとからだをできるだけ酸化させないことに気を使っている。 というか、もう習慣かな。 通院を辞めたくて仕方ないが、輸入できない薬もあるので、月に1回は通院する羽目になる。飽きた。 サプリも体に色々な影響を与えることは知っている。 しかし、知識にはもう飽きているのだ。

雨、春に降る、音もなく降る

「10秒で判断と行動を済ませることが出来る課題があるとする。 そんな課題には20秒、いや、1分以上時間をかける方がいい。半日かけてもいい。 そうすれば、自神が介在することも出来るし、もしかしたら、妖精まで舞い降りてくるかも知れない。 あらゆることに、適切な「間」は必要なのだ。」

宮沢賢治とトシ

宮沢賢治とトシとG線上のアリア

昭和8年9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていた。政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」と語った。

わたしたち同胞は、男性も女性も、 何代生まれ変わろうとも、 小さな石が大きな岩となるがごとくに、結束し、助け合おう。 その大きな岩に苔がむすまで、永遠に。

我が君は
千代に八千代に
さゞれ石の巌となりて
苔のむすまで

-古今和歌集 読み人知らず-
歌人は藤原朝臣石位左衛門というのは、とってつけた嘘だと思う。

「絆」とは、自由に動けないように人の手足にかける鎖や枠なのだ。

言葉というものは、広く人々が使うことによって、集合意識に影響を与える。集合意識は社会を変える力を持っている。言霊である。「絆」とは、自由に動けないように人の手足にかける鎖や枠なのだ。 私たちが広く「絆」と言う言葉を安易に使い始めると、私たちの心や行動の自由は束縛される。そういう可能性は高い。

神様だけがご存じの『なぜ?』

世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻(まぼろし)じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見(びゅうけん)じゃ。世界が消えても、正体の判(わか)らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。