虎

人にとって自尊心ほど厄介なものはない

人にとって自尊心ほど厄介なものはない。李徴は、才ある若者だった。潔くないことを恥とした。しかし、心に猛獣を飼っていた。臆病な自尊心と、尊大な羞恥心。 そして李徴は自ら虎と化した。 虎と化すことを潔しとしたのか、それしか道はなかったのか・・。わたしは虎と化した李徴と会ってみたい。 そう思うのだ。

緊縛というものが成立されるためには、わたしと他者が波動を重なり合わせていなくてはならない。

「一番猥褻なものはなにか。それは縛られた女の体だ」そして三島はこう続ける。
「他者とは意思を持った主体であり、相手が意思を封鎖されている、相手が主体的な動作を起こせない、そういう状況が最もエロチシズムに訴える。」この三島の言葉は浅い。

雨、春に降る、音もなく降る

「10秒で判断と行動を済ませることが出来る課題があるとする。 そんな課題には20秒、いや、1分以上時間をかける方がいい。半日かけてもいい。 そうすれば、自神が介在することも出来るし、もしかしたら、妖精まで舞い降りてくるかも知れない。 あらゆることに、適切な「間」は必要なのだ。」

この世はわたしを映し出している

昨年秋まで、障害を持った男性が、杖をつきながら2頭の犬を散歩させていた。
明らかに保健所に持ち込まれたれた年老いた犬である。この2頭の犬は、男性の横をゆっくりと歩きながら、時折男性の表情を見上げていた。そして、決して男性の前を歩くことはなかった。

ベッドに入ってきた女性に囁かれた丑三つの夜

1月8日未明。気がつくと、ラジオのタイマーが切れている。習慣でラジオの電源を入れると、5秒くらいで切れる。再び電源を入れる。また、5秒くらいで電源が切れる。電池は2日前に交換したばかりだ。

エンパスもヘヨカも知らないけれど、わたしのことを語っている

エンパスの最も顕著な特徴は、他の人に対して共感する力が高いということです。
で、その中でも最も強力な少数の人たちがヘヨカと呼ばれます。

インディアンの間でヘヨカは神聖な道化師ピエロを意味します。そして、周りの人々を映し出す鏡とも考えられています。彼らは自分の周りのネガティブなエネルギーを吸収して取り除くことができます

電話のベルが鳴る。電話のベルが鳴る。

夏の夜の風をいっぱいに受けながら、わたしは車を走らせていた。 彼女は外泊はおろか、外出さえも許されていなかった。 上着の内ポケットに入れた彼女の写真。 終わることのない道。 頭の中で電話のベルが鳴る。 そして、電話のベルが鳴る。