今こそ 別れめ いざさらば

「仰げば尊し」

仰げば 尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば


互に睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば


朝夕 馴れにし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば


なんと美しい歌であろうか。
これを誰が作曲して作詞したのかはもはや問題ではない。

一部では、「身を立て 名をあげ」の部分が民主主義にそぐわないという意見もあったようだが、似非文化人の戯言に過ぎない。

また、もともとこの一節は儒学の経典「孝経」の「身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕かにするは孝の終わりなり」に基づいているらしい。という説もある。

Youtubeにこんなコメントがあった。
「身を立て 名をあげ」というのは、必ずしも有名人や著名人になることではなく、自立した人間になって社会に貢献しなさい、という意味ととらえることもできると私は思います。

私はこの意見に深く同意する。


さて、映画「二十四の瞳」では、この歌がオープニング・エンディングで使われた。

松竹大船撮影所製作
木下惠介監督・脚本
高峰秀子主演
壺井栄の小説『二十四の瞳』が原作。

1928年(昭和3年)、大石先生は新任の女教師として小豆島の岬の分教場に赴任する。一年生12人の子供たちの受け持ちとなり、田舎の古い慣習に苦労しながらも、良い先生になろうとする大石先生。

ある日、大石先生は子供のいたずらによる落とし穴に落ちてアキレス腱を断裂、長期間学校を休んでしまうが、先生に会いたい一心の子供たちは遠い道のりを泣きながら見舞いに来てくれる。


しばらくして、大石先生は本校に転勤する。その頃から、軍国主義の色濃くなり、不況も厳しくなって、登校を続けられない子供も出てくる。やがて、結婚した先生は軍国教育はいやだと退職してしまう。

戦争が始まり、男の子の半数は戦死し、大石先生の夫も戦死してしまう。また、母親と末娘も相次いで世を去る。

長かった苦しい戦争も終わり、大石先生はまた分教場に戻り教鞭を取ることになる。教え子の中にはかつての教え子の子供もいた。その名前を読み上げるだけで泣いてしまう先生に、子供たちは「泣きミソ先生」とあだ名をつけた。

そんな時、かつての教え子たちの同窓会が開かれる。その席で、戦争で失明した磯吉は一年生のときの記念写真を指差しながら(オリジナル版では指差す位置がずれ、涙を誘う)全員の位置を示す。真新しい自転車を贈られ、大石先生は胸が一杯になり、涙が溢れてきた。その自転車に乗って大石先生は分教場に向かう。
(Wiki)

この映画について、絶望名言の頭木弘樹さんはこう言う。

木下惠介監督の『二十四の瞳』という映画があります。その中で先生が、悲惨な境遇の貧しい子どもたちに泣きながら語りかけるんです。「先生にも、どうしていいか分からないけど」「その代わり、泣きたいときは、いつでも先生のところにいらっしゃい。先生も一緒に泣いたげる」。

戦後、この映画を見たアメリカ人は笑ったらしいです。一緒に泣くだけで何になるんだ。なんて無力なんだ。問題を解決しようとしないでどうするんだ、と。

今の日本人にもそう思う人は多いかもしれません。でも、泣くしかどうしようもないときってあるんです。泣くしかどうしようもないときに一緒に泣いてくれる人がいるかどうかは、とてつもなく大きいです。

一緒に泣いても問題は何も解決しませんが、自分の絶望のために心から泣いてくれる人がいたらどれほど心が救われるかしれません。そういう人がいるかいないかは、天と地の差と言ってもいいほどだと思います。

-「読むらじる」より –https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/CHRY4g0z_M.html

(予告編から音声を消しました。)




わたしは「仰げば尊し」が大好きである。
そしてJade Yinの歌声には心が震えてしまう。
これほど喜怒哀楽を超えて心に染み込む「仰げば尊し」があっただろうか。

Jade Yin公式サイト http://www.jadeyin.com/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です