自分で考えない人間たち

義務教育は洗脳である。

 

教科書には真実が書かれていない。たとえば、地球というもの、赤道では時速1700Kmで動いているという。馬鹿こくでねぇ。わたしは決して1700Km/hなどで動いてはいない。そんなもの感覚でわかることだ。地面は丸くもないし、自転もしていない。反論はいらない。個人で考え実験してみるべきことだ。数日前、13時頃晴れた南の空に三日月が出ていた。これは太陽が大きくもなく、加えて遥か彼方にはないことだと勝手に思っている。人類は何かを隠し続けている。隠し続けるために作られ続けてきたものを科学という。オラは狂った頭でそう思っている。思考を固定してはいけない。何事にも遊びは必要だ。あなたの即断は洗脳された脳細胞から生まれている。

 

日本でなぜ神という?「神→KAMI→MAKI→魔鬼」という可能性はゼロなのかい。「主は呪」という思考の余裕は断罪されるのかい。偶像を崇拝すると、そこに魔が宿り鬼が住む。その可能性も捨てきれないだろ?数少ない神社には真の神が存在するかもしれない。しかし、神主は注連縄で神を封じ込め、鳥居で結界を張る。神は外に出られない。まぁ、これも推論の範疇を出ないけれどね。

 

ところで、法隆寺五重塔にある馬頭形、鼠頭形、鳥頭形は何なんだい。

馬頭形

画像はお借りしたものです。

https://ameblo.jp/lavinia21/entry-12524082972.html

 

人間が万物の霊長であるなどというのは大嘘だ。氷河期や恐竜の時代以前から生き抜いてきた高等生物がいたとしてもおかしくはない。人はそれを宇宙人ということもある。神ということもある。GODは逆さまに読むだけでDOG。破壊神ビルスは犬だぜ。関係ないか・・。

 

人肉は昔から食べられていた。カニバリズムだ。誰が食べたんだ。古代人が神と呼んだ爬虫類人は食べただろうな。戊辰戦争では兵士が人肉を食べたというし、信長公記にも人肉を食べた記録がある。人間も人間を食べていたのだ。昔は土葬が一般的であったことも頷ける。爬虫類人の中には人間を捉えて家畜のように食べていたものもいるだろう。いや、彼らが捉えずとも、彼らを神と崇めた人間たちが捧げていたのかもしれない。保存していた古代遺跡はこれだ。よく見るといい。

 

古代遺跡三宝

この形は今でも使われている。神に供物を捧げる三宝だ。

三宝

今でも人間は食べられているだろう。行方不明の子どもの数が多すぎる。米国で毎年80万人、ドイツで毎年10万人、英国では毎年23万人、という話もある。俄には信じがたいが、世界中で800万人という説もあるくらいだ。元来、子どもは「子供」であった。供え物なのだと解釈する余地はある。子供が全て食べられているとは思わないが、この数を見ると、人間は家畜であってもおかしくはない。可能性の話だぜ。

 

科学が隠し続けてきたものは、太古から地球に住んでいる高等生物の存在なのかもしれない。私達が教科書や書物を読むときに注意するべきは「ほんまかいな」という心を持ち続けることだ。そして、疑問があれば自分で調べて自分で考える。事実を観察し自分で考える。いろいろなことを体験し、体で考える。世の中「ほんまかいな」だらけなのだから。

 

ふと思う、では、太古から地球に住んでいる高等生物を創ったのは誰だ?

私は、それは私ではないかと思っている。いいだろ。思考にそれくらいの飛躍があっても。

 

人間は愚かだ。自分が他人より大きな金を稼ぎ、自分が他人より上に立つことだけを良しとする。そして彼の愛情は自分の家族を越えることはない。しかし、それで幸せになったかい?産業革命以来、生活は便利にはなったかもしれないが、幸せになったのかい?

 

私は、幸せになる方法は一つしか無いと思っている。それは世界中の人々の幸せを願うことだ、また、その努力を続けることだ。さらに、あらゆる生命を大切にすることだ。と、まあ、理解してくれる人は少ないだろうが、私は勝手にそう思っている。

 

 

フラットアースだろ

高知県の桂浜というところに観光に行ってきた。

砂浜は綺麗に清掃されていて、海の大きさに言葉を失う。

砂浜に寝転んで東を見ると、遠くに室戸岬が見える。

・・なぜだ?

Google earthで桂浜と室戸岬の距離を測ってみると62.5km。

桂浜室戸

今度はEarth Curve Calculatorで、地球が球体である場合にどこまで見えるのかを計算してみる。

h0=Eye heightは、寝転んでいるので0.1mとする。

d0=Target distanceは62.5km。

これで室戸岬(h1)が見えるとしたら、室戸岬は海抜295m以上でなければならなくなる。

桂浜室戸2

ところが室戸岬スカイライン山頂展望台(津呂山高岡園地)の標高は258.3m。

地球が丸ければ、見えないはずなのだ。

しかも、私が見たのは、室戸岬の展望台のてっぺんではなく、室戸岬まで続く海岸線も全て見えたのである。

さらに、h0=Eye heightが10cmだと、海岸に寝転んで太平洋を見たときに1.12km先までしか見えないことになる。(d1)

しかし、海の彼方には何隻かの船が航行しているのも見える。

地球は球体ではない。

米国のAnazonではこんなものも売っている。

$14.99

https://amzn.to/2YK8zDh

Ancient HebrewConception of the Universe

(古代ヘブライの宇宙の概念)

Ancient HebrewConception of the Universe

さらに、旧約聖書 〜創世記〜第一章にはこんな事が書かれている。

1 はじめに神は天と地とを創造された。

2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」

7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。

8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。

9 神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。

10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。

11 神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。

12 地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。

13 夕となり、また朝となった。第三日である。

14 神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、

15 天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。

16 神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。

17 神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、

18 昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。

19 夕となり、また朝となった。第四日である。

20 神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。

21 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。

22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海たる水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。

23 夕となり、また朝となった。第五日である。

24 神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。

25 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。

26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。

27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

29 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。

30 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。

31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

私は神というものを否定も肯定もしないが、もしも神が存在するとすれば、私たちの想像もできない姿をしているのかもしれない。

砂浜に寝転んで見る海は大きく、空は何の曇りもない。

服は砂だらけになり、靴の中にもたくさんの砂が入ったが、いい気持ちだった。

だが、フラットアースの勉強を始めなければならない私だった。

原発も原爆もない、という妄想

原子力発電所というのは存在しないのではないかと思うようになった。

では、原発とはなにか。

あれは、マグネシウム発電所なのではないか。

例えばこれ。

マグネシウム空気発電機「MGV」

塩水とマグネシウムで発電する。

はからずもこれが原発のシステムの肝ではないのか。

この写真がマグネシウムと海水であると考えても何の問題もない。

燃料棒

日本の原発はすべて海沿いに建てられている。

塩水が必要だからだ。

原発は事故を起こすと水素爆発するという。

だから建屋にはベントという換気扇のようなものがあり、そこから水素を排出する。

ところで、私の水筒にはマグネシウムが入っている。

水素が発生するから、その水素水を毎日飲んでいる。

妙に符合する。

マグネシウム電池の簡単な說明もある。

こう考えると、原子爆弾など存在しないのではないか。

たとえば、

第二次世界大戦中に民間の日本人を焼き尽くそうとした焼夷弾がある。

いずれもマグネシウムを材料としている。

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○第二次世界大戦に投入されたアメリカ軍の焼夷弾(WIKIより)

M47A2
4ポンド(約 1.8kg)のナパーム弾。外形は六角柱。6発ずつ束ねてT19集束機に搭載された。
M50
4ポンド(約 1.8kg)のテルミットマグネシウム弾。外形は六角柱。110発を束ね、M17集束焼夷弾(公称重量500ポンド)として投下された。
M76
公称重量500ポンド、実重量約480ポンド(約 218kg)の、大型のナパーム・マグネシウム弾。

M69

詳細は「M69焼夷弾」を参照

長岡空襲で使用されたM69子弾。新潟県立歴史博物館の展示。

6ポンド(約 2.7kg)のナパーム弾。外形は六角柱。

木造の日本家屋を効率よく焼き払うため、第二次世界大戦時に米軍が開発した焼夷弾。

M69焼夷弾1発あたりの大きさは、直径8cm・全長50cm・重量2.4kg程度。

M69は単独では用いられず、1基当たり38発のM69を子弾として内蔵するクラスター爆弾(E28・E36・E46・E48集束焼夷弾、いずれも公称重量500ポンド)として投下された。

投下後上空700m程度でこれらが分離し、一斉に地上へ降り注ぐ。

M74

従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾。

M74六角焼夷弾38本を束ねた「E48集束焼夷弾」として投下された。

青森大空襲1945年7月28日)が、その実験場となり83,000本ものM74六角焼夷弾が降り注ぎ東北地方最大の被害を青森市に与えた。

米国戦略爆撃調査団は「M74は青森のような可燃性の都市に使用された場合有効な兵器である」と結論している。

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そこで、考えるのは、原子爆弾である。

原子爆弾は、このマグネシウムの超大型爆弾ではないのか。

マグネシウムの燃焼温度は2000〜3000℃に達する。

大量のマグネシウムを一気に爆発させれば、人体など溶けてしまう。

エノラ・ゲイは爆弾を投下するために日本上空に来たのではなく、放射性物質を撒くために来たのではないか。

こう考えると現在のケム・トレイルと同じである。

下の写真は広島市猿猴橋町の1946年2月の写真。

広島市猿猴橋町194602

被爆後半年で、人々は元気に生活している。

これは何だ?

アメリカのネバダ核実験場では、900回位上も核実験が行われている。

ラスベガスまでの距離はわずか105km。

ラスベガスは砂漠に作られた一大カジノ都市。

900回の核実験の影響など受けていない。

ネバダ核実験場では一体何の実験が行われていたのだろうと勘ぐる。

ラスベガス

ちなみに世界中で行われた核実験は2000回。

それでも、世界は放射能で汚染されていないし、コスモクリーナーをもらいにヤマトが旅立つこともない。

これらの事実から考えられることは、

原爆も原発も存在しないということ、もしくは放射能は人体に影響を与えないということ。

このどちらかだ。

もしも、原発がマグネシウム発電所であるとすれば、

「原子力発電所は絶対に安全です」と言っていた電力会社は嘘をついていたのではないのではないか。

政府が核廃棄物処理場の問題を検討しないのは、核など使われていないからではないか。

そう妄想すると、辻褄は合ってくるのだが。

もしも、日本に原子力を使った原発があるとすれば、それは地下だろう。

いつでも石棺化できる地下以外にないのではないか。