よかったね 春高バレー 東九州龍谷高校

春高バレーは毎年見る。
今年は東九州龍谷(大分)の優勝でした。

このチームは本当にいいチームでした。チームの一体感がひしひしと伝わってきた。

このチームの芯になったのは、2年生の室岡莉乃さん。そして、リベロの吉田鈴奈さん(3年生)だったと思います。この二人は一喜一憂しない。一つのプレーが終われば、既に次に備えている。

室岡さんを見ていると安心感があるし、ジャンプ力としなやかさはとても美しい。身長162cm。小学校の時に空手を習っていたとか。

http://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/200112/spo20011218130090-n1.html
https://admailmg.com/archives/950





吉田さんは常にポジショニングを怠らず、2段トスの精度が素晴らしい。私は、この選手がいたから、チーム全員がその能力をだすことができたと確信している。身長158cm。

https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2020/01/08/JD0058848878

吉田さんは、準々決勝か準決勝で、足でボールを蹴って相手コートに返したことがありました。会場はどよめきましたね。



今年の春高バレーは、この東九州龍谷の選手達のおかげでとても愉しかった。

選手の皆さん全員に、

心から、

「おめでとう」

そして、

「ありがとう」

公益財団法人日本バレーボール協会(JVA) https://twitter.com/JVA_Volleyball

神様だけがご存じの『なぜ?』

沙悟浄 by いらすとや

ラジオがつまらないので、WALKMANに中島敦の小説の朗読を入れて聞いている。

 
 
中島敦は「悟浄出世」に語る。

医者でもあり・占星師(せんせいし)でもあり・祈祷者(きとうしゃ)でもある・一人の老いたる魚怪が、あるとき悟浄を見てこう言うた。「やれ、いたわしや。因果(いんが)な病にかかったものじゃ。この病にかかったが最後、百人のうち九十九人までは惨(みじ)めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中にはなかった病気じゃが、我々が人間を咋(く)うようになってから、我々の間にもごくまれに、これに侵される者が出てきたのじゃ。この病に侵された者はな、すべての物事を素直に受取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『なぜ?』とすぐに考える。究極の・正真正銘(しょうしんしょうめい)の・神様だけがご存じの『なぜ?』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生き物は生きていけぬものじゃ。そんなことは考えぬというのが、この世の生き物の間の約束ではないか。ことに始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いをもつことじゃ。なぜ俺(おれ)は俺を俺と思うのか? 他(ほか)の者を俺と思うてもさしつかえなかろうに。俺とはいったいなんだ? こう考えはじめるのが、この病のいちばん悪い徴候(ちょうこう)じゃ。どうじゃ。当たりましたろうがの。お気の毒じゃが、この病には、薬もなければ、医者もない。自分で治(なお)すよりほかはないのじゃ。よほどの機縁に恵まれぬかぎり、まず、あんたの顔色のはれる時はありますまいて。」

中略

悟浄は控えめに口を挾(はさ)んだ。自分の聞きたいと望むのは、個人の幸福とか、不動心(ふどうしん)の確立とかいうことではなくて、自己、および世界の究極の意味についてである、と。隠士は目脂(めやに)の溜(たま)った眼をしょぼつかせながら答えた。
「自己だと? 世界だと? 自己を外(ほか)にして客観世界など、在ると思うのか。世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻(まぼろし)じゃ。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、はなはだしい謬見(びゅうけん)じゃ。世界が消えても、正体の判(わか)らぬ・この不思議な自己というやつこそ、依然として続くじゃろうよ。」
 悟浄が仕えてからちょうど九十日めの朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢(げり)ののちに、この老隠者(いんじゃ)は、ついに斃(たお)れた。かかる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与えるような客観世界を、自分の死によって抹殺(まっさつ)できることを喜びながら……。
 悟浄は懇(ねんご)ろにあとをとぶらい、涙とともに、また、新しい旅に上った。

また「悟浄歎異」に語る。

悟空(ごくう)の身体の部分部分は――目も耳も口も脚も手も――みんないつも嬉(うれ)しくて堪(たま)らないらしい。生き生きとし、ピチピチしている。ことに戦う段になると、それらの各部分は歓喜のあまり、花にむらがる夏の蜂(はち)のようにいっせいにワァーッと歓声を挙げるのだ。悟空の戦いぶりが、その真剣な気魄(きはく)にもかかわらず、どこか遊戯(ゆうげ)の趣を備えているのは、このためであろうか。人はよく「死ぬ覚悟で」などというが、悟空という男はけっして死ぬ覚悟なんかしない。どんな危険に陥った場合でも、彼はただ、今自分のしている仕事(妖怪(ようかい)を退治するなり、三蔵法師(さんぞうほうし)を救い出すなり)の成否を憂えるだけで、自分の生命のことなどは、てんで考えの中に浮かんでこないのである。太上老君(たいじょうろうくん)の八卦炉(はっけろ)中に焼殺されかかったときも、銀角大王の泰山(たいざん)圧頂の法に遭(お)うて、泰山・須弥山(しゅみせん)・峨眉山(がびさん)の三山の下に圧(お)し潰(つぶ)されそうになったときも、彼はけっして自己の生命のために悲鳴を上げはしなかった。

中略

悟空(ごくう)の今一つの特色は、けっして過去を語らぬことである。というより、彼は、過去(すぎさ)ったことは一切忘れてしまうらしい。少なくとも個々の出来事は忘れてしまうのだ。その代わり、一つ一つの経験の与えた教訓はその都度(つど)、彼の血液の中に吸収され、ただちに彼の精神および肉体の一部と化してしまう。いまさら、個々の出来事を一つ一つ記憶している必要はなくなるのである。彼が戦略上の同じ誤りをけっして二度と繰返さないのを見ても、これは判(わか)る。しかも彼はその教訓を、いつ、どんな苦い経験によって得たのかは、すっかり忘れ果てている。無意識のうちに体験を完全に吸収する不思議な力をこの猴(さる)は有(も)っているのだ。

 

 

中島敦は天才である。

“(1942年)11月には第二創作集『南島譚』が出版されるも、同月に持病の気管支喘息悪化と服薬の影響で心臓もかなり衰弱し、世田谷の岡田医院に入院。12月4日の午前6時に同院で死去した。33歳没。涙をためながら「書きたい、書きたい」「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい」と言ったのが最期の言葉だったと伝えられている。” Weblio辞書

中島敦「悟浄出世」
青空文庫-http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=2521

中島敦「悟浄歎異」
青空文庫-http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=617

ミケランジェロは何を描いたのか

ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ

(伊: Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、1475年3月6日 – 1564年2月18日)

は、イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家である。

ミケランジェロ自身が本業と考えていた彫刻分野以外の作品は決して多くはないにもかかわらず、様々な分野で優れた芸術作品を残したその多才さから、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じく、ルネサンス期の典型的な「万能(の)人」と呼ばれる。

wikipedia引用

ミケランジェロはこんな絵を書いている。

「原罪と楽園追放」

(システィーナ礼拝堂天井画)

現在と楽園追放

創世記第3章

1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。

2 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、

3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。

4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。

5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

8 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。

9 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。

10 彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。

11 神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。

12 人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。

13 そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。

14 主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。

15 わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。

16 つぎに女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」。

17 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。

18 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

19 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

20 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。

21 主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。

22 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。

23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

24 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

wikipedia http://bit.ly/2NWlQ7v

アダムとイブが楽園を追放されるときの絵だが、これは蛇を擬人化して描いたものと解するのが常識というものだろうが、真実はわからない。

問題は次の絵。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある「マンチェスターの聖母」だ。

この絵の原題は”The Virgin And Child With Saint John And Angels”

googleで翻訳すると「聖ヨハネと天使と聖母子」となっている。

マンチェスターの聖母

ミケランジェロ。彼は何を描いたのか。

中央の女性が聖母マリアだとすれば、右にいる二人の女性は天使か・・。

そして、左側の幼児がイエスで、右側がヨハネだろう。

ところで、これは違和感だらけの絵である。

1.聖母の顔が二人の天使と比較して黒すぎる。

2.右端の天使の背中には鱗があり、左足の甲は異様に盛り上がっている。

3.二人の天使が見ているのは羊皮紙なのか?それとも別の生物の皮なのか・・。

4.女性三人は背の高さもほぼ同様であることから聖母は立っているものと思われるが、ならば、イエスの左手がしがみついている布の下には何があるのだ?

何度も言うが、私は神というものを否定も肯定もしない。

ただ、古代の人々が、人類よりも科学文明が進んだ生物の存在を見たとしたら、彼らを「神」と呼んだ可能性はあるだろう。

しかし、わたしは彼らを神とは呼ばない。

自分で考えない人間たち

義務教育は洗脳である。

 

教科書には真実が書かれていない。たとえば、地球というもの、赤道では時速1700Kmで動いているという。馬鹿こくでねぇ。わたしは決して1700Km/hなどで動いてはいない。そんなもの感覚でわかることだ。地面は丸くもないし、自転もしていない。反論はいらない。個人で考え実験してみるべきことだ。数日前、13時頃晴れた南の空に三日月が出ていた。これは太陽が大きくもなく、加えて遥か彼方にはないことだと勝手に思っている。人類は何かを隠し続けている。隠し続けるために作られ続けてきたものを科学という。オラは狂った頭でそう思っている。思考を固定してはいけない。何事にも遊びは必要だ。あなたの即断は洗脳された脳細胞から生まれている。

 

日本でなぜ神という?「神→KAMI→MAKI→魔鬼」という可能性はゼロなのかい。「主は呪」という思考の余裕は断罪されるのかい。偶像を崇拝すると、そこに魔が宿り鬼が住む。その可能性も捨てきれないだろ?数少ない神社には真の神が存在するかもしれない。しかし、神主は注連縄で神を封じ込め、鳥居で結界を張る。神は外に出られない。まぁ、これも推論の範疇を出ないけれどね。

 

ところで、法隆寺五重塔にある馬頭形、鼠頭形、鳥頭形は何なんだい。

馬頭形

画像はお借りしたものです。

https://ameblo.jp/lavinia21/entry-12524082972.html

 

人間が万物の霊長であるなどというのは大嘘だ。氷河期や恐竜の時代以前から生き抜いてきた高等生物がいたとしてもおかしくはない。人はそれを宇宙人ということもある。神ということもある。GODは逆さまに読むだけでDOG。破壊神ビルスは犬だぜ。関係ないか・・。

 

人肉は昔から食べられていた。カニバリズムだ。誰が食べたんだ。古代人が神と呼んだ爬虫類人は食べただろうな。戊辰戦争では兵士が人肉を食べたというし、信長公記にも人肉を食べた記録がある。人間も人間を食べていたのだ。昔は土葬が一般的であったことも頷ける。爬虫類人の中には人間を捉えて家畜のように食べていたものもいるだろう。いや、彼らが捉えずとも、彼らを神と崇めた人間たちが捧げていたのかもしれない。保存していた古代遺跡はこれだ。よく見るといい。

 

古代遺跡三宝

この形は今でも使われている。神に供物を捧げる三宝だ。

三宝

今でも人間は食べられているだろう。行方不明の子どもの数が多すぎる。米国で毎年80万人、ドイツで毎年10万人、英国では毎年23万人、という話もある。俄には信じがたいが、世界中で800万人という説もあるくらいだ。元来、子どもは「子供」であった。供え物なのだと解釈する余地はある。子供が全て食べられているとは思わないが、この数を見ると、人間は家畜であってもおかしくはない。可能性の話だぜ。

 

科学が隠し続けてきたものは、太古から地球に住んでいる高等生物の存在なのかもしれない。私達が教科書や書物を読むときに注意するべきは「ほんまかいな」という心を持ち続けることだ。そして、疑問があれば自分で調べて自分で考える。事実を観察し自分で考える。いろいろなことを体験し、体で考える。世の中「ほんまかいな」だらけなのだから。

 

ふと思う、では、太古から地球に住んでいる高等生物を創ったのは誰だ?

私は、それは私ではないかと思っている。いいだろ。思考にそれくらいの飛躍があっても。

 

人間は愚かだ。自分が他人より大きな金を稼ぎ、自分が他人より上に立つことだけを良しとする。そして彼の愛情は自分の家族を越えることはない。しかし、それで幸せになったかい?産業革命以来、生活は便利にはなったかもしれないが、幸せになったのかい?

 

私は、幸せになる方法は一つしか無いと思っている。それは世界中の人々の幸せを願うことだ、また、その努力を続けることだ。さらに、あらゆる生命を大切にすることだ。と、まあ、理解してくれる人は少ないだろうが、私は勝手にそう思っている。

 

 

走り高跳びの選手にコーチングする

昔、八木たまみという走り高跳びの選手がいた。私は彼女の競技を見るのが好きだった。

私が高校2年生のとき、体育の授業で走り高跳びをした。はじめてのことである。

みんなで順番に跳んていき、一度でもバーを落としたらそこでおしまいというルール。

160センチをクリアした生徒は3人だった。いずれも170cmの私より背が高い。

私は考えた。どうすれば一番効率的なのかを。

そして、165cm、170cmとクリアして、時間切れ。最後まで他の二人もバーを落とさなかった。

これが、私が走り高跳びをした最初で最後の経験である。

だから私は生まれてからバーを落とした経験が一度もないということになるw。

細かいことはわからないが、私の跳び方はルール違反ではないと思う。ベリーロールの改良版だ。

Youtubeで競技の様子を見ると、今はみんな背面跳びである。私には背面跳びはロスが多いと思えて仕方ない。

走り高跳びの選手に言いたい。

私の跳び方をコーチングする。特別なことではない。30分も話しすれば済むことだと思う。

教える前にコーチング料をいただく。100万円。

練習の様子を他の選手になるべく見せないことが条件だ。

コーチング料とは別に成功報酬をいただく。

高校生なら、インターハイに出場できたら、成功報酬で100万円。

オリンピックを目指すような選手なら、日本新記録を達成すれば、成功報酬で100万円。

私の跳び方が、考え方が、背面跳びに洗脳された選手の洗脳を覆すことを願う。

やってみる気のある方は、メルアド入りでコメント欄に一言入れてくれればいい。

私のPROFILE欄にメルアドを書いてあるから、直接メールをくれてもいい。

男子選手、女子選手、それぞれ1人にしか教えない。

走り高跳びのコーチを職業としている方でもいい。

その場合は地域の違うところで指導している2人の方にしか教えない。

東京羽田から飛行機とバスを乗り継いで3時間位かかるところに私は住んでいる。

私のもとまで会いに来てくれる方でないと教えられない。

夢見るのは、私が、あの高校生の時に考えた方法が、世界に通用し、

今までの跳び方だけを信じ切る選手の固定観念を崩し去ること。

その時は、跳び方に私の名前をつけてもらう。

死ぬ前にすることはしておかないといけない。

そう思う歳になった。

ハビエル・ソトマイヨール

cubanews@blog