瓢箪から駒が出たのかも知れない-うがい説

瓢箪から駒が出たのかも知れない。

コロナウイルス騒擾を作り出しているのはテレビである。コロナウイルスは存在しない可能性が高い。そもそも、ウイルスが何なのかも、医学では分かっていない。

上記はアンドリューカウフマン博士の説である。

「エクソソームというものは、有害物質、ストレス(怖れ)、癌、電離放射線、感染、けが、免疫反応、喘息、病気など様々な要因によって自然に体内に生み出され、情報を全身に伝える役割をしています。

同様のことは、
島学説とスペイン風邪と5G
でも説明した。

人間は、環境の変化によって、体内にエクソソソームを産出する。それは、RNAの形で、大きさは100nm。今までウイルスと呼ばれていたものと同じである。covid-19に関しては、その正体はエクソソームで間違いないと思われる。

では、そのエクソソームは情報伝達のためにどのような動きをするのか。全ての細胞に入り込むのは当然だが、常在菌の中にも侵入する。そして環境の変化を体中に伝達し、いわば警戒警報を出す。



ここからは、全くの推論になる。

健康な体内では善玉菌と悪玉菌、そして日和見菌と言われるものが均衡を保っている。エクソソームは常在菌に侵入した時、その活性化を発生させるのではないか?そして、特に日和見菌や悪玉菌が活性化した時に問題が起きる。

常在菌というのは体中に存在する。

たとえば、黄色ブドウ球菌は、人間や動物の皮膚・毛孔、消化管内などに常在するグラム陽性球菌です。通常は無害だが、もしも、エクソソームによって活性化されると、肺炎、腹膜炎、敗血症、髄膜炎など様々な重症感染症を発症する。

コロナウイルス論者はこの状態を見て、コロナは怖いというのだろう。

さて、常在菌が多いのは、腸内、口腔内、鼻腔内とされている。コロナウイルスの初期症状として、味覚や嗅覚の異常を訴える方が多い。これは、エクソソームが常在菌に何らかの変化を起こしている証拠ではないのか。

さらに口腔内の細菌は、血管内を通って、心臓などの内臓器官に影響を与える。口腔内の日和見菌は肺炎菌、ブドウ球菌、大腸菌など。悪玉菌はプロフィロモナス・ジンジバーリス、トレポネーマ・デンティコーラ、タンネレラ・フォーサイセンシス、ミュータンスレンサ球菌など。口腔内の日和見菌や悪玉菌が、脳卒中や心筋梗塞、糖代謝異常などを起こすことはよく知られています。

環境の急激な変化は、エクソソームを産出し、エクソソームは細菌を含む体中の細胞に情報伝達し、その情報伝達に対して、異常に反応した常在菌が体内の色々な場所に炎症等を起こしてしまう。

これが、人が病気になる原因ではないのか。
その状態を見て、コロナウイルスが感染したと喧伝しているのだろう。

大阪の知事が、口走った「うがい」
これが、瓢箪から駒、であった可能性はある。

日本経済新聞 電子版

ただし、うがいの効用はウイルスの消毒ではなく、

1.口腔内で活性化した日和見菌を消毒し、臓器に入れない。
2.口腔内で活性化した日和見菌を消毒し、他人に移さない。

高濃度のヨードの使用は副作用を生じることもあるのでご注意ください。
(食塩水ではダメなのかな?)



もともとウイルスなど存在しないのではないかとわたしは思っている。
冬になれば、気温の変化により、エクソソームが発生し、風邪症状が出る。夏も同様で、夏風邪をひく。

人が炎症反応を起こす原因は、環境の変化によって引き起こされる、エクソソームの産出に伴う常在菌のアンバランスなのではないか。

5Gという新たな周波数の電磁波が世界に広がろうとしている環境では、エクソソームは必ず産出される。スペイン風邪の時は、ラジオ波だったし、ww2の時は、レーダー波で、結核が大幅に増えた。(この時はストレスも多大に影響があったと思われる)結核は不治の病とされていて、転地療法が勧められた。「場」を変えるのだ。環境を変えるのだ。

5Gによる環境の変化に対して、体調を整えておくためには、

1.アーシング(陽電子を身体から逃がす)
2.腸内フローラの改善。
 プロバイオティクス、EM菌、乳酸菌。グルテンを避ける。
3.口内及び鼻腔内の洗浄。
 わたしは、時々0.9%の食塩水で鼻洗いをする。

などが有効だと思われる。

あと、殺菌作用のあるものとしては、煙である。囲炉裏のある家に住むのもいいし、お香を焚くのもいい。たばこもいいだろう。別に吸い込まなくてもいい。葉巻きをふかしているだけでも効果はあるだろう。たばこの吸いすぎは毛細血管に影響を与えてしまうので逆効果。


近年、政府が禁止してきたことを考えると、たき火の禁止であり、たばこの値上げであり、喫茶店等での喫煙の禁止である。これは、煙に殺菌効果のある証でもある。薫製にした魚は長期間保存出来るではないか。雑菌がいないからであろう。


風邪を引いた時に、医師は咳止めとか、解熱剤とか、対症療法の薬しか出せない。風邪の原因が分かっていないからだ。風邪症候群による身体異常の直接の原因は炎症であり、常在菌のアンバランスがそれをもたらす。お勧めはしたくないけれど、緊急の際は抗生物質の投与が必要な時もあるだろう。ただし、抗生物質は善玉菌も殺すので、倦怠感や吐き気、下痢など、副作用が生じることもある。

以上、この記事はわたしの推論であり、判断は各自でお願いします。西洋医学を信じている方は、医師と相談すればよろしいかと思います。

コロナ嘘流布の目的は、国民の分断です

コロナについては色々と書いてきた。

コロナウイルスは存在しない、もしくは弱毒性であり、
PCR検査については、その注意事項に、

“Detection of viral RNA may not indicate the presence of infectious virus or that 2019-nCoV is the causative agent for clinical symptoms.”

「ウイルスRNAの検出は、感染性ウイルスの存在、または2019-nCoVが臨床症状の原因物質であることを示していない場合があります。」

さらに、

新型コロナウイルス(SARS-COV-2)の測定用のPCRキット(SARS-CoV-2 Coronavirus Multiplex RT-qPCR Kit)の説明書には、

” it should not be used as the only evidence for clinical diagnosis and treatment“
“The detection results should not be directly used as the evidence for clinical diagnosis”

「それは臨床診断と治療の唯一の証拠として使用されるべきではない」
「検出結果を臨床診断の証拠として直接使用しないでください」

https://www.creative-diagnostics.com/sars-cov-2-coronavirus-multiplex-rt-qpcr-kit-277854-457.htm

と書かれている。


つまり、「PCR検査陽性をもって、コロナに感染していると判断しないでくれ」、と言っているのです。


これで、分かって欲しい。
テレビも政府も大嘘をついているのです。

PCR検査陽性数をコロナ感染者数として報道している。
コロナ報道は流説の流布でしかない。
テレビ局は放送法違反を堂々と行っているのです。



しかしながら、「アフターコロナ」という言葉が常識化しつつあることに懸念を覚える。

Stay Home → 人と会うな
マスクをしろ → 喋るな
ソーシャルディスタンス → ひそひそ話をするな
○千人以上のイベントを行うな → 団結するな
リモートワーク → 国民の交わす情報は全て国が収集する

そして、接触確認アプリは感染者の情報を国民に報せるためのものではなく、あなた自身の行動履歴を政府が収集するためのものだと思います。

これは江戸時代に、幕府が農民の一揆を怖れて、集会の禁止をしたようなものです。日本国憲法第21条には、「集会の自由」が明記されている。

この自由を、コロナという嘘をテレビ局に流布させることによって、政府は制限しているわけです。国民を分断して管理することが目的でしょう。


政府は何を怖れているのでしょうかね。
真実が広まってしまうことでしょうか?
それとも、国民の団結でしょうか?

政府が怖れているのは、やはり国民の覚醒でしょう。

米国や英国では、人種差別に反対するデモが行われています。しかし、こうした騒擾状態を作り出したのは誰なのでしょう。やはりCIAでしょうか。CIAは人類の分断を計画し続けています。そして、世界中のテレビがCIAの指示で動いているといっても過言ではないと感じます。

CIAは既に米国の諜報機関ではなく、独自の組織なのでしょう。


もう、目を覚ましましょう。いつまでも羊のままではいられません。

Meat & Livestock Australia http://aussielamb.jp/lambassador/190318.html からお借りしました。



下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep の意味がこれでようやくはっきりした。

夏目漱石「三四郎」より

バイデン氏×オバマ氏 二人は対談していないのではないか

7/24のネットニュース。

全文引用する。

11月のアメリカ大統領選で野党・民主党の候補に内定しているバイデン前副大統領がオバマ前大統領との対談を公開し、新型コロナウイルスをめぐるトランプ大統領の対応を批判しました。 動画では、バイデン氏がマスク姿で現れるとオバマ氏もマスク姿で会場入り。オバマ氏はかつて自分を副大統領として支えたバイデン氏を今回は支援する立場です。 オバマ前大統領「あなたと私は公衆衛生の危機に対応した経験がある」「あなたは専門家の意見に耳を傾ける人物だ」 バイデン前副大統領「もちろんだ」 また、バイデン氏は、トランプ大統領について、「今人々に何が起きているのか理解する能力がない」などと痛烈に批判し、自らの対応能力をアピールしました。 「社会的距離を保った対話」との動画のタイトルどおり、2人は建物の中でも接触することなく常に一定の距離を保っていて、公の場でマスクを着用することがほとんどないトランプ大統領との違いを強調した形です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d63c955981250eb945117214c66616f2e58958fb

違和感を覚える。


まず、

画角から見て、これはスタジオに作られたセットでの対談である。こんなに距離を開けた二人を同時に撮影するには、カメラもかなり距離を開けなければ撮影出来ない。

そしてこの画像を拡大する。

赤で囲んだ部分の真ん中。あきらかに、あとから、貼り付けられた長方形の部分がある。雑な加工である。

ということは、この背景そのものが、後から貼り付けられたものである可能性も出てくる。



そして次は退室する場面。同じスタジオで対談したはずなのに、バイデンは右側のドアから出てくる。

オバマは左側のドアから出てくる。

違和感だらけである。

最近オバマが逮捕されたとか言う噂が広まっているが、この報道はそれを否定するために作られたものではないか。なぜなら、対談するような内容はほとんど何もないのだ。

DSというのは、しつこい。とにかく、大衆をだますことで喜んでいる。冥府に堕ちる意識体である。

ら抜き言葉など存在しない

これは2014年に私が書いた文章である。


1.ら抜き言葉の仕組み
最近、「ら抜き言葉」は間違っていると世間は言っているが、疑義だらけである。もともと「ら抜き言葉」など存在しないとわたしは考える。

志の輔落語の枕にも出てきたことがあるが、ライオンを見て「食べられる」といった場合、ライオンが私を食べるのか、私がライオンを食べるのか、判然としないことになる。ライオンが私を食べる場合は受け身の「食べられる」であり、私がライオンを食べる場合は可能の「食べれる」でいいのである。


さて、考えてみよう。

今の文法の大前提がある。
“「れる」・「られる」は助動詞としては受け身・可能・尊敬・自発の意味を持つ。動詞が五段活用・サ行変格活用のときは「れる」、それ以外では「られる」を使う。「~れる・られる」の形は、古語の「~る・らる」の形から変化したもの。”

この大前提が大誤解を生んでいる。



実例を考えてみよう。

現在の動詞の活用形は、未然・連用・終止・連体・仮定・命令と変化するが、「れる」・「られる」は助動詞であり、未然形に接続する。(未然形は「-ない」を後に付けると考えやすい。飛ば-ない、走ら-ない)。なお連用形は動詞型の助動詞に接続するが、今は「れる」・「られる」の話であるので触れない。

「死ぬ」という言葉の場合、五段活用の動詞の可能を表すには「れる」を使うので、未然形の「な」に「れる」「死な-れる」となるのであるが、これでは尊敬と受け身の意味はなすかも知れないが、可能の意味をなさない。彼女に告白するときに「君のためなら死なれる」とは誰も言わないのである。

しかし、これが古語になると「死なる」となり、見事に可能の意を表す。

「見る」を考えてみようか。これは上一段活用の動詞。だから、可能を表すには「られる」を使う。「見られる」である。これは受け身・可能・尊敬全てに解釈できる。だから、誤解が生じるのだ。

これも、古語で表すと下二段活用の動詞だから「見らる」である。たおやかに可能の意味を表している。すばらしい。

古語の言葉の定義を安易に現代国語に取り入れた弊害が、大前提の中に潜んでいるのだ。

さて、大前提が怪しいと気づいたのか、可能動詞なるものができた。”可能動詞にすることができる のは五段活用動詞だけで、可能動詞にすると、すべて下一段活用になる”という説。

多分、これが「ら抜き言葉」は間違っているという説の根拠になっているのだと思う。可能動詞の考え方では、「話す」という五段活用の動詞を可能動詞にすると、まず助動詞の「れる」を付けて「話される」となる。「話される」が転じて「話せる」という動詞になったというのである。これを可能動詞と名付けたらしい。

付け加えるに”可能動詞の活用は、すべて下一段活用となり、命令形はない”と説明されている。開いた口がふさがらないとはこのことだ。

命令形のない動詞は、動詞ではない。



転じて」とはなんだろう?
何の説明もなく論理は一気に飛躍している。命令形のない動詞まで作り出して辻褄を合わせようとしている。これぞ苦肉の策でなくてなんであろう。

辻褄合わせは「ら抜き言葉」という説を流布させた。つまり上記の条件(“可能動詞にすることができるのは五段活用動詞だけで、可能動詞にすると、すべて下一段活用になる”)では、可能動詞は作れないとされている下一段活用の動詞「やせる」は可能動詞にできないことになる。

したがって、「やせる」は下一段活用であるから「やせ」という未然形に「られる」を付けて「やせられる」が正規の表現とされてしまう。だから「やせれる」は「ら抜き言葉」であり、間違っているという結論が導き出される。


目を覆いたくなる。この考え方は間違っている。
実は、「れる」という助動詞は仮定形にも接続する。このことによって一切の疑義が消滅するのだ。

言葉とは辻褄合わせで決められるものではない。生活そして文化の中で育っていくものである。


2.私論の展開
わたしが声高々に言いたいのは、可能をあらわす場合には、動詞の仮定形に助動詞の「れる」が付くということだ。そしてそれが日常語として成り立っている。このことに気づいたのは、わたしの生まれた土地に古語が残っていたことが、重要な恩恵となっている。

動詞の仮定形・・(「-ば」をつけると想像しやすい) 五段活用の動詞で言えば、飛べ-ば 走れ-ば、書け-ば、である。この仮定形に「れる」が接続し、その「れる」中の「れ」だけが時代の中で省略されていった。省略は時間経過が言葉に与える変化の常だ。そして現在の形である「飛べる」「走れる」「書ける」となる。変化途中の形は「飛べれる」「走れれる」「書けれる」だ。

こうした変化は間違いないものと推察する。なぜなら、実際にわたしがまだ子どもだった頃、「飛べれる」「走れれる」「書けれる」を使っていたからだ。

可能を表す場合にはこうして動詞の仮定形に助動詞の「れる」を付けていた。(今でも使うときもある)前述の例でいえば「死ねれる」「見れれる」 である。

これは五段活用だけでなく、下一段活用の動詞でも同様だ。「混ぜる」の仮定形「混ぜれ」に「れる」をつけて「混ぜれれる」、「れる」の「れ」が省略されて、「混ぜれる」となる。

前述の「やせる」は「やせれれる」が「やせれる」となる。

この説はわたしが初めて提唱するものだろうか?

わたしは国語学者ではないので、よくわからない。ちなみに、「混ぜれる」「やせれる」「飛べれる」「走れる」「書けれる」これらの言葉は、私の生まれた地方では、未だに日常で使う言葉である。(考えれば無数にあるだろう)

可能を表すとき、助動詞の「れる」は動詞の仮定形に接続する

このことによって、未然形にしか接続しないと定義することによって生じる「ら抜き言葉」という概念は消失する。

誰も「ら」を抜いたりしていないのだから。

それと同時に可能動詞という品詞もなくなるのだ。日本語として、この解釈は間
違っていないはずだ。



「食べる」の可能を表す言葉として、
「食べられる」という言葉を使うことは間違っているのだ。


それにしても、誰かが「ら抜き言葉」は間違っていると言った途端、マスコミは深い考察もせずにそれを受け入れてしまう。なんと、安易に流れすぎることか。パソコンの入力ソフトで日本語入力していると、「ら抜き言葉です」と注意される始末だ。当用漢字・常用漢字も同様だ。

新聞から昔の漢字がどんどん無くなっていく。これは日本文化をないがしろにしていると言われても仕方がないだろう。


志の輔落語の枕の話だが、

ライオンが私を食べる場合は、「食べる」は下一段活用であるので、動詞の未然形に受け身の助動詞の「られる」をつけて、「食べられる」であり、

私がライオンを食べる場合は動詞の仮定形に、可能の助動詞の「れる」をつけて「食べれれる」となり、重なった「れ」が省略されて「食べれる」として可能を表すのである。

https://www.irasutoya.com/



ちなみに、「日本」は「にほん」と読む。「にっぽん」ではない。

お後がよろしいようで。


©2014 南海之獏

月は南から近づいて北へ遠ざかっている

2020/07/04の月。やけに南の空の低いところにある。
補助線右側が南方向。左側が東方向。
撮影した場所は高台などではない。海抜5mくらいかな。

2020/07/04 20:01

16分後、少し近づいてきた。

いずれにしても、月はとても南側から近づいている。
東からは出ていない。

2020/07/04 20:17




2020/06/24の三日月。ガラケーではうまく撮れない。

東西に走る道に向かってシャッターを切ってみた。
月は随分北にある。三日月。ガラケーではうまく撮れない。
時刻は不明だけれど、私の散歩の途中だから、20:30〜21:00の間だと思う。

2020/06/24 20:30〜21:00



今の月は随分南側から近づいてきて、随分北側に遠ざかっている。



何かが起きている。地球規模で。
私は地磁気と天蓋を疑っている。




ここからは、わたしの勝手な妄想だが、

太陽というのは、上空30Km位にあり、電磁波で地球を暖めている。
月というのは、その電磁波を地球から吸い上げて、発光している。

月は地球に溜まった電磁波を吸収することによって、地球の温度を下げるとともに、植物などから電磁波の影響を取り除く。

だから「凍月」と言う言葉がある。

だから、植物の蔓が伸びるのは夜である。

だから、蝉が羽化するのも夜である。

電磁波と光
https://www.ushio.co.jp/jp/technology/glossary/material/attached_material_01.html




ところで、太陽について言うと、太陽光は電磁波である限り、身体に何らかの影響を与えるものだ。太陽光に暴露すると体内でビタミンDが合成される。ビタミンDは免疫反応などへの関与も示唆されている。だから、日光浴をする人がいる。これはこれで理解できるのだが、太陽光に長時間当たると日焼けをする。これは火傷である。強い太陽光は避けた方がいい。

ではなぜ、

太陽光に暴露すると体内にビタミンDが生成されるのか。それは、電磁波の影響から細胞を守るために、人間に備わる機能ではないのか。

農家の人は長袖に長ズボン、そして帽子をかぶる。昔の人は、太陽光に当たりすぎると、身体が熱っぽくなり、その熱はなかなか引かないことを知っていた。このことを「ひが入る」と言った。この「ひ」は日なのか、陽なのか、火なのか・・。

太陽は電磁波であろう。
電子レンジにいれた鶏肉は中から外側へと温まっていく。

こうした電磁波である太陽光の影響から身を守るために、人体はビタミンDを作り出しているのではないか。



事実として、ビタミンDの含有量が多い人ほど、感染症にかかりにくいという結果も出ている。ということは、ウィルスというのは電磁波の影響で体内に発生するものであり、その電磁波の影響を抑えるものがビタミンDであるという推論も成立する。





電磁波を吸収する月の軌道にあきらかに異常が出ている。
このことが、わたしたちに影響を与えないはずがない。

空を見て、考えてみて欲しい。