ストレス。

刺激により引起される非特異的な生体反応。生体に加わる力をストレッサー,それによって起る生体の反応をストレスという。 1938年にストレス理論を提示したカナダの生化学者,H.セリエによると,「ストレスとは,どんな質問に対しても答えようとする身体の反応」である。この理論は,寒冷,暑熱,放射線などの物理的刺激,ホルマリン,毒物,酸素不足,栄養障害のような化学的刺激,あるいは身体的拘束や感染のような生物的刺激,怒り,不安,焦燥などの心理的要因その他,どのような刺激に対しても,身体はすべて同質の生体反応を示すというものである。これを汎適応症候群あるいはストレス症候群という。この反応は,下垂体-副腎系が主役を演じ,副腎皮質ホルモンの分泌を伴うことが特徴であるが,そのほか胃,心臓,胸腺に形態学的変化が起る。このような考え方は 19世紀以来主流を占めていた「特定の原因が特定の病気を起す」という病理観に対する反論であるとともに,原因がそのまま結果をもたらすという医学因果律を反省させるものであった。致命的な疾病のうち 75%は非特異的な生体反応としてのストレスが予後を決定するともいわれている。 「ブリタニカ国際大百科事典」

 

 

ストレスがなぜ発生するのか。

心理的要因のみを考えると、それは自分が正しいという思い込み、あるいは信念に似たようなものが核となっているような気がしてならない。H.セリエ風に言うと,「ストレスとは,どんな状況にあっても自分が正しいとする心の反応」である。また逆説的に言うと、「どんな状況にあっても自分が悪いとする心の反応」でもある。自分を善とするために人は様々な理屈をつける。また、現在の状況を長く続けてはいられないときに、自分を悪とし、自分を責めることによって、状況を終わらせようとする。

これらの判断の根本にあるのは、善悪の判断である。そして、判断するのは、洗脳され続けた脳であり、洗脳は教育という名のもとに行われる。真の善、真の悪、そんなものがあるのだろうか。一度考え直して見る価値のある問題だ。人間の歴史を振り返れば、正義の名のもとに戦争を起こし、大量の人命を奪ってきた。そして、勝った者が正義であり、負けた者が悪である。ということは、戦争前には正義も悪も存在しなかったということになる。存在したのは洗脳だけである。

わたしたちは、教育という名の洗脳から脱却しなければならない。自分が正しいという思い込み、自分を責めつづける逃避。これらは大きなストレスを生み続ける。即断する心はすべて洗脳から生まれたものだ。ストレスは交感神経を緊張させ、血流を阻害し、あらゆる身体的障害を発生させる。

ストレスの原因というのは他にもたくさんある。過去、後悔、執着、憎悪、正当化・・そして希望、努力、未来・・までも。

「願いは叶う」こんなことを信じていては、信じることがストレスとなる。

 

話が混乱してきたついでに、もっと混乱させる。

運命は決まっている。

人間には、一秒先のことも予知できないだけだ。

 

もっと混乱させる。

私達は運命を選んで生まれてきている。

だから、明日という日は、なるようにしかならないし、なるようになるさ。明日のことを思い煩っても詮無いことだ。

私達は運命を見ている存在だ。

本当は何もしていない。

観察者が現実を決定するというのは量子力学の基本だが、私達は観察者であり、観察している運命は、自分が選択したものなのだ。

 

もっと混乱させる。

私達が見る青い空や、川のせせらぎは、私達自身である。

分かる人には分かるだろう。

真実は自分で探すものだが、信じたものは一度忘れ去り、あとは観察者として感じるということに身を委ねたほうがいい。そうすれば、ストレスという言葉、ストレスという事実、ストレスという洗脳・・から離れられるかもしれない。これは私が私自身に話しかけていることだが。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

  +  81  =  82