プラトンは語る。

「人間は、地下にある洞窟で生活しているようなものである。」

「そこに住む人々は、子どものころから足と首を縛られ固定されており、正面しか見ることがきない。」

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引用する。

プラトンが考案した洞窟の比喩は、彼の現実に対する考え方を説明する。プラトンにとって現実とはより高次の現実の影に過ぎなかった。すなわちこうだ。

 あなたは洞窟の中で鎖につながれていたとしよう。見えるのは目の前の壁だけだ。そばに同じく鎖につながれた人々がいるようであるが、姿を見ることまではできない。背後には炎があるらしく、壁を照らしている。炎と壁の間を人が通るたびに、壁に影が映り、音がこだまする。あなたが知ることができるのは、そこにある影だけである。

 あるとき自由になり、後ろを振り向いた。するとそこには炎とそれに照らされ影を伸ばす物があった。また洞窟からも抜け出すことができた。太陽の光で目がくらむが、現実をついに知ることになる。だが、鎖につながれている他の人々に現実の真の姿を伝えても頭がおかしいと思われるだけだ。
http://karapaia.com/archives/52223738.html


このプラトンの言う洞窟の比喩。その影の本体が真実であるというが、これに哲学的思考を加えていくと、滝つぼにのまれて息も出来なくなる。

だから、わたしは思考しない。

ただ、上記引用文での、
「プラトンにとって現実とはより高次の現実の影に過ぎなかった。」

この部分が肝だ。

これは、

1.高次の現実がこの世に存在するということ。
2.高次の現実を変えれば、わたしが見ている世界も変わるということ。


このふたつを示唆している。

よく考えて欲しい。




さて、プラトンはアトランティス大陸なるものを説いた。そしてその大きさは「リビュアとアジアを合わせたよりもずっと大きい」と語った。これもあくまでも比喩である。

ここからはわたしの夢想。

アトランティス大陸とは地球のこと、すなはち、この世全てのことであるとわたしは思っている。

3つの堀で囲まれた中心の島。これがわたし達が住んでいる第一天蓋内である。
(小高い山の上で発酵するエンキの憂鬱 )


そして、地球の平面はどこまでも続いている。わたしたちの意識が及ぶ距離よりも少しだけ遠いところまで。それは造物主の意図であり、わたしたちの意識体は造物主の一雫であるからである。

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