思考に自由を取り戻そう

わたしたちは、強固にわたしたちの思考の自由を束縛している教育や、常識と呼ばれる思考放棄を表現する言葉から離れなければならない。自分で見て、自分で感じ、自分で自由に妄想する。判断を他者に委ねず、疑問は自分で温める。そうすれば、時が来たときに、腑に落ちる答えが帰ってくることだろ

早く抱いてという詩を読んで聞いて思うこと

さて、冒頭の詩。「早く抱いて」は自我が語る言葉だと感じる。自我が真我に囁くなめらかで繊細な誘惑であり、自我の消え去るときの静寂で終わる一篇の詩であろう。ただし、これは、わたしの感じ方であって、作詞された下田逸郎さんがそういう意図で紡がれたものではないかも知れない。しかし、芸術とはそうしたものである。作者の意図しない見方を大勢の人がしてしまう。そこに一つの普遍性が生まれ、時代を超えて、人々の心に何億種もの振動を与えるのだろうと思う。

能登半島地震

令和6年1月1日に起きた能登半島地震に思うこと

つまり、この報道は、予めカメラを大きく揺らした映像を準備していたものと思われる。ということは、NHKは地震が発生することを知っていた可能性があるということにもつながっていく。
気象庁のフライングがあったのか、地震を発生させるタイミングが合わなかったのか、そういうことは分からない。ただ、ニュース報道現場は慌てただろうなと想像する。

それにしても16時10分か・・。

そして輪島で火災が起きた。
わたしは、これも人為的なものだろうと思っている。

360°というのは誰が決めたことなのだろう?

嘘は嘘でもいい。
ただ、こうした円の角度や、太陽の質量の「設定」は誰が作成したのか。
それが不思議でならない。
高度な文明が昔に存在したのか、それとも、AIが都合の良い数字を見つけているのか・・。
もしかしたら、わたしが「設定」したということまで選択肢に入れなければならないのかもしれない。

ジェミニ

わたしが乗っている車はもう21年を越えたが、新しい車に乗る気にならない

もう、車の運転を楽しむ時代ではなく、車の指示通りに運転席に座っていろと言わんばかりである。Youtubeを見てみると、色々な装置が付いている車の人気が高いらしいが、その内容はメーカーへの忖度だらけであり、見て参考になる動画はとても少ない。YoutubeはどんどんTV化している。

Kさんへの手紙-LEDが殺した散歩道

街灯がLEDに変わってから、小さな虫がめっきりいなくなりました。だから、庭に女郎蜘蛛もいなくなったし、ヤモリも見かけません。雀さえ来なくなりました。そして、散歩する夜の道は、LEDだけが明るく照らす死んだ散歩道のようになってしまいました。

Kさんへの手紙-兄の癌のことなどについて

兄の癌については、なんというか、あまり心配していません。
わたしはワクチン接種の影響だと思っているので、癌はワクチンの中の異物を解毒するためにできたと思っています。森下先生が、癌は浄化装置、と言われていたような記憶があります。また、風邪をこじらせたりして、亡くなった高齢の方を解剖すると、たいてい2〜3個のがん細胞が見つかるとも言います。

よさこいニュース

よさこい祭りはもうとっくに見直すべき時が来ている

当初、よさこい祭りとは、商店街の活性化を目指し、各商店街が踊り子隊を結成して、市内何カ所かの商店街と追手筋で踊りを披露するところから始まった。そして、四国電力や各銀行、市役所などが参加して、大きくなっていった。昭和の頃は、高知城を中心とした各商店街を、踊り子さんたちが徒歩で移動し、各商店街は踊り子さんたちに冷たい飲み物などを無償提供していた。言わば、商店街と踊り子さんたちの距離がとても近かったという印象がある。

コミナティ

だれがインターホンを押したのだろうか?

しかし、わたしは目の前の男性の周波数を捉えられない。
「霊魂だけが来たのか?」
何度もそう思った。
平行世界があれば、そこで、彼は肉体の滅びを体験しているのではないか。
何度もそう感じた。
この感覚は、あながち間違ってはいないと思う。