ヒポクラテスとナイチンゲールに関するNOTE

「ヒポクラテス」

(Hippokratēs) 紀元前五世紀から前四世紀の古代ギリシアの医者。経験的知識に基づく医術を主張し、医道の基礎を確立。その言説は、後世の医師たちによって「ヒポクラテス全集」に収められた。生没年不詳。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%83%9D%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9-120782




「ヒポクラテスの誓い」
(wiki直訳)

医の神アポロン、アスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。

  • この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
  • 師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
  • 著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
  • 自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
  • 依頼されても人を殺す薬を与えない。
  • 同様に婦人を流産させる道具を与えない。
  • 生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
  • どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
  • 医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。

この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!
しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。



さて、ヒポクラテスの格言としていろいろな文章が残されている。

特筆すべきは、


「全ての病気は腸から始まる」
「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」


だろう。
紀元前の医者がこのことを知っていたというのは驚きである。


「千島学説の夜明け」
http://bottomx.shibugaki.jp/?p=333




「ナイチンゲール」

フローレンス・ナイチンゲールFlorence Nightingale、1820年5月12日 – 1910年8月13日)は、イギリスの看護婦、社会起業家、統計学者、看護教育学者。近代看護教育の母。「光掲げる貴婦人」、「クリミアの天使」と称されており、病院建築でも非凡な才能を発揮した。クリミア戦争での敵・味方の分け隔てない負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。国際看護師の日(5月12日)は彼女の誕生日である。

ロンドンの聖トーマス病院に付属してナイチンゲール看護学を設立、これは世界初の宗教系でない看護学校であり、現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部となっている。 (wiki転載)



「”実用的看護者誓詞” – ナイチンゲール誓詞の現代版」(日本語は直訳したものを追記した)- wiki転載-

神とここに集う人々の前に、厳かに誓う、

Before God and those assembled here, I solemnly pledge;

看護専門職の倫理規範を遵奉し、

To adhere to the code of ethics of the nursing profession;

忠誠心を持って看護チームの他のメンバーと共に協力し、監督者として指定された医師または看護者の指示に忠実に、そして己の能力に従って最善を尽くし、

To co-operate faithfully with the other members of the nursing team and to carryout [sic] faithfully and to the best of my ability the instructions of the physician or the nurse who may be assigned to supervise my work;

一切の悪行や悪意ある行為をせず、意図しながら害のあるいかなる薬を与えることや不正行為には加担しないと。

I will not do anything evil or malicious and I will not knowingly give any harmful drug or assist in malpractice.

職業上の知りえた秘密についてはこれを秘匿する。

I will not reveal any confidential information that may come to my knowledge in the course of my work.

そして全力を尽くし看護実践の標準と品位を高めることを、自分に誓う。

And I pledge myself to do all in my power to raise the standards and prestige of the practical nursing;

我が人生が看護専門職の仕事とその高邁な理想に捧げられんことを。

May my life be devoted to service and to the high ideals of the nursing profession. — ”Practical Nurse Pledge”, a modern version based on the “Nightingale Pledge”



全ての医師、全ての看護師に、初心に帰ってもらいたい。
そして、常に、疑問を自らに問いかけることを忘れないように、自戒してもらいたいものだ。

我が恋は千代にましませ ざれ石の岩音鳴りて苔のむすまで

わたしは、君が代という歌を好まなかった。
しかし、今は少し認識が変わった。

君が代の元歌は下記であるという話がある。

我が君は
千代に八千代に
さゞれ石の巌となりて
苔のむすまで

-古今和歌集 読み人知らず-
歌人は藤原朝臣石位左衛門というのは、とってつけた嘘だと思う。


そして、これは恋文であるという説がある。
さもありなんと思う。覚悟のこもった恋歌である。

しかし、わたしはわたしの訳をつけたい。

考察。
我が君・・これは気にかかる。改ざんではないか。
「君」は「恋」ではないのか。

さざれ石とは小さな石。細石。しかし、この時代に、字余りの短歌を詠むとは思えない。これは多分「ざれ石」であろう。
千代に八千代に、これも伝本では、千代にましませ、となっている。

巌は大きな岩、大きな岩の塊。これも恋の歌としては無粋であると思う。
「巌となりて」は「岩音鳴りて」であろう。

すると、この歌はこうなる。

「我が恋は
千代にましませ
ざれ石の
岩音鳴りて苔のむすまで」


この恋歌を
わたしなりに解釈する。

「わたしの恋は、永遠に続きます。
川の小さな石がかすかな音を立て続け、
そこに苔が生えるまで。」

これなら
森の奥の小川は静かに流れ続け、時折小石が音を立て、時が流れていく。
そういう風景が浮かび上がってくる。
森の奥であれば、片思いであるということも想起される。
清い歌だと思う。





これが恋歌でなかった場合。

古代語では、「き」は男性「み」は女性を示す。
君とは、相手を親しみ敬う言葉でもある。

「我が君は
千代に八千代にざれ石の
巌となりて苔のむすまで」


「わたしたち同胞(はらから)は、男性も女性も、
何代生まれ変わろうとも、
小さな石が大きな岩となるがごとくに、結束し、助け合おう。
その大きな岩に苔がむすまで、永遠に。」

こうなるのではないか。

まぁ、結論を出す気はないが、センチメンタルなわたしは恋歌説に流れる。

君が代

これはわたしが聞いた中で最も打ち震えた演奏である。

プラトンの洞窟の比喩とアトランティス大陸

プラトンは語る。

「人間は、地下にある洞窟で生活しているようなものである。」

「そこに住む人々は、子どものころから足と首を縛られ固定されており、正面しか見ることがきない。」

Image converted using ifftoany

引用する。

プラトンが考案した洞窟の比喩は、彼の現実に対する考え方を説明する。プラトンにとって現実とはより高次の現実の影に過ぎなかった。すなわちこうだ。

 あなたは洞窟の中で鎖につながれていたとしよう。見えるのは目の前の壁だけだ。そばに同じく鎖につながれた人々がいるようであるが、姿を見ることまではできない。背後には炎があるらしく、壁を照らしている。炎と壁の間を人が通るたびに、壁に影が映り、音がこだまする。あなたが知ることができるのは、そこにある影だけである。

 あるとき自由になり、後ろを振り向いた。するとそこには炎とそれに照らされ影を伸ばす物があった。また洞窟からも抜け出すことができた。太陽の光で目がくらむが、現実をついに知ることになる。だが、鎖につながれている他の人々に現実の真の姿を伝えても頭がおかしいと思われるだけだ。
http://karapaia.com/archives/52223738.html


このプラトンの言う洞窟の比喩。その影の本体が真実であるというが、これに哲学的思考を加えていくと、滝つぼにのまれて息も出来なくなる。

だから、わたしは思考しない。

ただ、上記引用文での、
「プラトンにとって現実とはより高次の現実の影に過ぎなかった。」

この部分が肝だ。

これは、

1.高次の現実がこの世に存在するということ。
2.高次の現実を変えれば、わたしが見ている世界も変わるということ。


このふたつを示唆している。

よく考えて欲しい。




さて、プラトンはアトランティス大陸なるものを説いた。そしてその大きさは「リビュアとアジアを合わせたよりもずっと大きい」と語った。これもあくまでも比喩である。

ここからはわたしの夢想。

アトランティス大陸とは地球のこと、すなはち、この世全てのことであるとわたしは思っている。

3つの堀で囲まれた中心の島。これがわたし達が住んでいる第一天蓋内である。
(小高い山の上で発酵するエンキの憂鬱 )


そして、地球の平面はどこまでも続いている。わたしたちの意識が及ぶ距離よりも少しだけ遠いところまで。それは造物主の意図であり、わたしたちの意識体は造物主の一雫であるからである。

コロナ嘘流布の目的は、国民の分断です

コロナについては色々と書いてきた。

コロナウイルスは存在しない、もしくは弱毒性であり、
PCR検査については、その注意事項に、

“Detection of viral RNA may not indicate the presence of infectious virus or that 2019-nCoV is the causative agent for clinical symptoms.”

「ウイルスRNAの検出は、感染性ウイルスの存在、または2019-nCoVが臨床症状の原因物質であることを示していない場合があります。」

さらに、

新型コロナウイルス(SARS-COV-2)の測定用のPCRキット(SARS-CoV-2 Coronavirus Multiplex RT-qPCR Kit)の説明書には、

” it should not be used as the only evidence for clinical diagnosis and treatment“
“The detection results should not be directly used as the evidence for clinical diagnosis”

「それは臨床診断と治療の唯一の証拠として使用されるべきではない」
「検出結果を臨床診断の証拠として直接使用しないでください」

https://www.creative-diagnostics.com/sars-cov-2-coronavirus-multiplex-rt-qpcr-kit-277854-457.htm

と書かれている。


つまり、「PCR検査陽性をもって、コロナに感染していると判断しないでくれ」、と言っているのです。


これで、分かって欲しい。
テレビも政府も大嘘をついているのです。

PCR検査陽性数をコロナ感染者数として報道している。
コロナ報道は流説の流布でしかない。
テレビ局は放送法違反を堂々と行っているのです。



しかしながら、「アフターコロナ」という言葉が常識化しつつあることに懸念を覚える。

Stay Home → 人と会うな
マスクをしろ → 喋るな
ソーシャルディスタンス → ひそひそ話をするな
○千人以上のイベントを行うな → 団結するな
リモートワーク → 国民の交わす情報は全て国が収集する

そして、接触確認アプリは感染者の情報を国民に報せるためのものではなく、あなた自身の行動履歴を政府が収集するためのものだと思います。

これは江戸時代に、幕府が農民の一揆を怖れて、集会の禁止をしたようなものです。日本国憲法第21条には、「集会の自由」が明記されている。

この自由を、コロナという嘘をテレビ局に流布させることによって、政府は制限しているわけです。国民を分断して管理することが目的でしょう。


政府は何を怖れているのでしょうかね。
真実が広まってしまうことでしょうか?
それとも、国民の団結でしょうか?

政府が怖れているのは、やはり国民の覚醒でしょう。

米国や英国では、人種差別に反対するデモが行われています。しかし、こうした騒擾状態を作り出したのは誰なのでしょう。やはりCIAでしょうか。CIAは人類の分断を計画し続けています。そして、世界中のテレビがCIAの指示で動いているといっても過言ではないと感じます。

CIAは既に米国の諜報機関ではなく、独自の組織なのでしょう。


もう、目を覚ましましょう。いつまでも羊のままではいられません。

Meat & Livestock Australia http://aussielamb.jp/lambassador/190318.html からお借りしました。



下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep の意味がこれでようやくはっきりした。

夏目漱石「三四郎」より

エンキとエンリルと日本

ミトラ教の神事の様子を再び見ていただく。

左側のライオンがエンリルの象徴とされる。
エンリルとはヘブライ語で”אלוהים”=神と”רוח”=風を表す。中空を支配する神でしょう。アヌー神の正当な継承者であるとされる。

右側の△はエンキの象徴。エンキとはヘブライ語で”אלוהים”=神と”אדמה”=地を表す。大地を支配する神でしょう。

二人ともアヌー神の子供とされます。

出典:https://komainu.net

狛犬はエンリル(右)とエンキ(左)である。

京都御所にはこんなものもある。

エンリルとエンキである。


ミトラ神事とはエンリルとエンキの位置が逆である。

日本では左大臣が私たちから見て右側に座る。左大臣と右大臣では、左大臣が位が上だ。
上の二つの画像では、エンリルが右側であるので、エンリルがエンキよりも位が上だったのかもしれない。


話題を変える。

日本古来の将棋。古代インドのチャトランガが起源と考えられているが、定かではない。

《超初心者向け》将棋の駒の並べ方・配置を教えます!

この駒の意味を考えてみる。
金将、銀将は宝物を表すとしてもいいだろう。


玉とは何か。翡翠や碧玉などの美しい石のことを言う。神や霊魂をよらしめるもの,邪悪を払う呪力を持つもの,あるいは生成力,再生力の霊力を持つものと信じられた。これは生命と同様だと思う。

今の将棋は王将と玉将があるが、古くは王将なるものはなかった。


桂馬は桂皮を表すのではないか。

桂皮。
クスノキ科カシア(東京トンキン肉桂)の樹・枝の皮をはいで乾燥させたもの。日本では肉桂の樹皮・根皮をいう。古来、生薬として、健胃・発汗・解熱・鎮痛などに用いる。


香車は香木だろう。

香木。
香料。香木。古くから邪気を払うものとして用いられた




宝物と薬と邪気払い。いずれも古代の人々には大事なものである。


では飛車とは何か。飛には魂などを空にとび去らせる、という意味が含まれている。この飛車、相手陣に入ると、竜王となる。エンリルである。

角とは何か。まぁ角(つの)と見るのが賢明か。この角。相手陣に入ると、龍馬となる。エンキであろう。

将棋とは、エンキとエンリルが互いの生命である玉を取り合うゲームではないのか。




エンキとエンリル。実は日本にいたのではないか。




エンキの流れは、ゾロアスター教、ミトラ教、仏教などに継がれていくが、気になることがある。

それは、真珠湾攻撃成功時の暗号である。
「トラ・トラ・トラ」