わたしはもう永い間、日本ハムと雪印の商品を買ったことがない

以下、Wikipediaより引用。

日本ハムのコンプライアンス違反・企業犯罪

牛肉産地偽装事件

  • 2002年7月30日、BSE関連の補助金詐欺事件である「牛肉産地偽装事件」が発覚した。事件の責任を取り、創業者一族である大社啓二社長が専務に降格となった。結果的に日本ハムは同族経営に終止符を打つ。大社社長は、その後2005年に北海道日本ハムファイターズのオーナーを経て、2019年日本ハム取締役を退任し相談役に就任。

排水データの改竄

  • 兵庫工場(加古川市平岡町)は2006年11月27日、工場排水の化学的酸素要求量 (COD) が水質汚濁防止法の排出基準を超えて排水をしており公害を発生させていたこと、さらにその排水分析記録の一部を低く見せかけ、あたかも公害を発生させていないように改竄する偽装工作をしていたことが判明した。これら合計2つの法令違反していたことにより、兵庫県と加古川市は同工場を口頭注意処分とした。

所得税の申告漏れ

  • 2007年に、大阪国税局が行った税務調査で、所得税の申告漏れがあったことが判明している。
  • 2011年にも、同国税局による税務調査で、約2億円の申告漏れを指摘され、7,900万円の追徴課税を受けた。
  • 2014年にも、同国税局から日本国内の工場建設を巡り、工事が未終了の段階で経理処理していたことが、所得の仮装・隠蔽を図るための所得圧縮にあたるとして、5億7,600万円の申告漏れ(うち900万円は意図的な所得隠し)を指摘されていたことが判明している。

贈答品の商品のすり替え

  • 同社の日本国内の出荷拠点のうち、西宮(兵庫県)・広島・仙台・玉戸(茨城県)の4拠点に於いて、2009年の歳暮と2010年の中元について、計1万6,551の商品で別の商品にすり替えられていたことが2010年10月に判明した。出荷の遅れを防ぐため、注文商品に在庫が無くても、担当者が独断で、別商品に詰め替えていた模様である。

贈答品における虚偽表示

  • 同社の主力の中元商品において、内包されるウインナーソーセージ商品計9,254パックについて、自社農場製でないにもかかわらず「自社農場」と虚偽表示していたことが2014年に明らかとなり、同社は同年7月以降、該当する中元商品を自主回収した。

加熱不足の冷蔵加工食品を出荷

  • 同社が販売する冷蔵加工食品のうち約3万3,000パックについて、十分な加熱が行われないままになっていたとして、同社は2015年2月から自主回収を行った。

執行役員の不適切発言

  • 2017年10月上旬に、同社の当時の執行役員の一人が、海外出張中に空港のラウンジに於いて、航空会社の女性従業員に対し不適切な発言をしたと、女性の勤務する航空会社から同社に連絡。その場には末澤壽一社長も同席しており、末澤社長はは翌2018年2月に辞任し、不適切発言をした執行役員も退職した。



○雪印の不祥事

雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件

詳細は「雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件」を参照

1955年(昭和30年)に、東京都で学校給食に使用された脱脂粉乳による集団食中毒事件が発生した。前年、北海道八雲町の工場内で、たまたま停電と機械故障が重なる日があった際、原料乳の管理が徹底されず、長時間にわたり原料乳が加温状態にさらされたことから、溶血性ブドウ球菌が大量に増殖したと考えられている。また、前日の原料乳が使い回されるといった杜撰な製品管理も重なり、被害が拡大したとされる。

雪印集団食中毒事件

詳細は「雪印集団食中毒事件」を参照

2000年(平成12年)の6月から7月にかけて、雪印乳業大阪工場で製造された乳飲料によって、近畿地方で集団食中毒が発生した。食中毒の原因は北海道広尾郡大樹町にある大樹工場で製造された低脂肪乳の主原料だった脱脂粉乳製造時の停電事故による毒素(エンテロトキシン)の発生にあった。

雪印牛肉偽装事件

詳細は「雪印牛肉偽装事件」を参照

2002年(平成14年)には、ハム・ソーセージなどの肉製品の製造・販売を行っていた子会社雪印食品による雪印牛肉偽装事件(BSE対策として、農林水産省が疑いのある牛肉を買い上げる補助金制度を悪用)が発覚した。

雪印グループ全体が会社存続の危機に立たされ、事業全体の再編成を余儀無くされる結果となった。さらに、雪印食品から発生した問題は、日本の農畜産業に内在する不正隠匿体質を暴露する結果となったり、グループ創業の地である北海道の農畜産業までもが存亡の危機にまで追い込まれるなどしたため、単なる食品メーカー1社の不祥事では済まされなかった。

支援企業については国内外から候補が上がったが、所轄官庁である農林水産省の意向で国内企業を主体とすることとなり、主に農協系(メインバンクの農林中央金庫及び全農)が主体となって経営再建の支援をすることとなった。

引用終わり。



世の人は、大企業の不祥事をいとも簡単に忘れ去る。食品販売という業種は人の命に関わる職種であるにも関わらず・・・。
今日も「シャウェッセン」を買って帰る人がいる。
「牛乳屋さんのおいしい牛乳」をカゴにいれる人がいる。


健康被害を直接受けた人々は同社の製品を買うことはないだろうと思うが、大衆は忘れてしまう。そして、テレビジョンで宣伝されるものを無意識に手に取る。しかし、わたしは日本ハムと雪印の製品は決して買わない。森永も買わない。

テレビジョンは明らかな洗脳装置である。わたしは、地上波と呼ばれるテレビ局をなくしたい。よってテレビ局に広告費を費やしている企業の商品を極力買わないようにしている。

日本ハムと雪印。この2社は、商品を見ただけでわだかまりを感じるのである。よって、今更ながらではあるが、本日から勝手に不買を宣言する。

#雪印買わない
#日本ハム買わない

宮沢賢治とトシとG線上のアリア

G線上のアリア」(ゲーせんじょうのアリア、ジーせんじょうのアリア。独: Air auf der G-Saite,英: Air on the G String)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した『管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068』の第2曲「アリア(エール)」を、ヴァイオリニストのアウグスト・ウィルヘルミがピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏のために編曲したものの通称。
この通称は、ニ長調からハ長調に移調されているため、ヴァイオリンの4本ある弦のうち最低音の弦、G線のみで演奏できることに由来する。
(Wiki)

宮沢賢治はこのG線上のアリアを好んでいたという。そして、彼の代表作とも言える「永訣の朝」は、このG線上のアリアにあわせて書いた詩であるという説もある。

それも、チェロの神様ともいわれるパブロ・カザルスのチェロがメロディーを奏でるアリアにあわせて。

パブロ・カザルス




「妹トシの死」
1922年(大正11年)11月27日、結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号泣、亡骸の乱れた髪を火箸で梳いた。『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を書く。29日の葬儀は真宗大谷派の寺で行われたため賢治は出席せず、出棺の時に現れて棺を担ぎ、持参した丸い缶にトシの遺骨半分を入れた。この遺骨は後に国柱会本部に納めた。それから半年間、賢治は詩作をしなかった。(Wiki)



「永訣の朝」朗読。

2020 11 23 絶望名言【 宮沢 賢治 】/頭木 弘樹・文学紹介者 NHK ラジオ深夜便より抜粋させていただきました。

「永訣の朝」

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨いんざんな雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜じゆんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀たうわん
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮沢賢治とトシ




「賢治の死」
昭和8年9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていた。政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語った。政次郎が「おまえもなかなかえらい」と答えて階下に降りると、賢治は清六に「おれもとうとうおとうさんにほめられたものな」と言った。病室に残ったイチが賢治に水を飲ませ、体を拭いてやると「ああいい気持ちだ」と繰り返し、午後1時半、呼吸が変わり潮がひくように息を引き取った。没時年齢は満37歳。(Wiki)



「雨ニモマケズ」

朗読 宮沢りえ https://www.youtube.com/watch?v=WZ0vSyS_AI4より




雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ




南無妙法蓮華経。合掌。

過剰なインスリンが臓器に悪影響を与える

わたしが胃と十二指腸を切除したのは随分昔の話。

胃の幽門部を切除すると、食べたものが直接腸に入り、食後の血糖値スパイクを起こす。結果、食後2〜3時間で低血糖症状を起こすことがある。機能性低血糖である。そして、糖質を再び摂取することになる、そしてスパイク、この繰り返しである。

自律神経は激しく揺さぶられ、インスリンは疲弊し、HbA1cは上がる。すると、医師は血糖降下薬を処方する。血糖降下薬は膵臓を刺激しインスリンを出させる。糖尿病の合併症というものはこのインスリンの過剰分泌が問題なのだと思われる。

長年、血糖降下薬(DDP4阻害薬)を飲みつづけていたわたしは、2019年の夏に目の異常を感じた。眼科に行くと両眼共に眼底出血を起こしていた。そして初期の緑内障も指摘された。眼底出血は何度かのレーザー治療でよくなるものの、また別の場所が出血していたりする。

そんな時に新井圭輔先生の動画に出会った。先生は「糖尿病の合併症は血糖降下薬の薬害である」と言う。そして、血糖値の高値と合併症の発生に因果関係がないことを教えてくれた。わたしはこの説を信じた。そして、DDP4阻害薬を飲むのをやめた。食事における糖質も少なくした。

その後、眼底出血はなくなり、緑内障も治癒、視力も0.4位だったものが1.2と1.5に回復した。信号機の矢印が見えなかったのが、見えるようになった。白内障は全くない。新井先生の説は正しかったのだ。

血糖値の高い人が気をつけるべきは、血糖値ではなく、インスリン分泌量なのだと思う。

痛ましいブログを見つけた。
「落下星の部屋」という。このブログを書かれていた方は50代で亡くなったらしい。
あえてリンクは貼らない。

しかしながら、血糖値が高くて病院に行くと、血糖降下薬を処方され、あるいはインスリン注射をされる。そして、活性酸素が血管にダメージを与え、様々な合併症を生む。上記のブログ主の方は、片目を失明し、足を切断され、人工透析を受けることになった・・・。

わたしが不整脈で入院していた時、隣のベッドにいた高齢の男性は、抗がん剤治療をしていた。医師は、「抗がん剤の影響で血糖値が上がっているので、インスリンを射ちましょう」と言う。しかし、食事は普通食であり、カロリーの半分以上は米である。どんぶりにご飯が入ってくる。この男性はそれを全部食べ、インスリンを射っている。栄養師は糖質など考えていない。あくまでカロリーなのだ。

わたしには分からない。

わたしは入院すると、おかずを半分食べ、ご飯はほんの一口しか食べない。そして、お膳を下げさせずに、2時間後に、残ったおかずを食べ、少しだけご飯を口に入れて、お膳を下げてもらう。急激な血糖値スパイクをなるだけ避けるためである。栄養士は2時間以上経過したものを患者に食べさせない。また、栄養士はカロリーでものを考えているので、患者が食事を半分以上食べないと、医師がブドウ糖点滴をすることになっている。

これが西洋医学なのだ。
西洋医学とは、戦場の医療である。とりあえず兵士が闘えるようになればいいのだ。

わたしは、糖尿病で長期入院している間に両腕両脚を切断された女性を知っている。お見舞いに行くたびに足が切断されたり、腕が無くなっていたり・・。それでも、医師は同じ治療を続けたのだろう。彼女は程なくして亡くなった。

これは医療ではない。

医師とは、強固に洗脳された者の集まりである。検査技師に検査をさせ、データを見て、病気を判断する。バイタルは看護婦に測らせ、患者の脈など取ろうともしない。患者を一人の人格を持った人間としては見ない。彼らの目標は検査の数値を正常とされる範囲内に収めることである。

たまに、医学の常識に疑問を抱く先生もいるが、大きな病院はそんな医師を煙たがる。

新井先生の説が全て正しいとは、現時点では言いきれないと思うが、西洋医学を鵜呑みにしては大変なことになると思われるのだ。

嘆にして支離滅裂になり忘却してしまう日記

この世はわたしが作り出している。
わたしに内在するものが、色々な姿と現象として、わたしの五感を震わせる。

交通事故に遭ったとする。
それは、わたしが自分を否定する心の証であるかも知れないし、
わたしの中に他人を攻撃する心が存在することの証かもしれない。

いずれにせよ、原因はわたしの中にある。
原因というより、物事が起きる要因といった方がいいのかな。

わたしが飛行機というものを全く知らなかったとすると、
仮に上空を飛行機が飛んでも、わたしには飛行機が見えないだろう。

誰かを憎んでいれば、それは色々な形でわたしの世界をつくり出す。
誰かに刺されるかも知れないし、健康に害を為すかも知れない。

事は簡単ではない。
私の持つ知識や感情や経験などが複雑に絡み合って、私の世界がつくられている。
しかし、その世界に私は納得していない。


目に留まるツイートがあったので、了解を得て転載する。

「自己愛がなければ隣人愛を育めない。
自己愛が強すぎると反発して自分を嫌いな人をとことん叩く。
自己愛があまりにもないと自分を愛してくれる人を突き放してしまう。 」
<NewType架純>

これは目から鱗だった。
鱗の詳細はカタラナイ。


わたしは自分を愛してなどいない。
そもそも愛とは何であるかも分からない。
分からなくていいと思うし、愛などという言葉が無くなっても困らない。
しかし、弱者が困っているのは見過ごせない。

愛情をタテにして行動するのも嫌いだ。
それを見るのも嫌だ。
ガキの言う「愛してる」は「やらせてくれ」と同義語だ。

こう言うと、カウンセラーは
「あなたは十分な愛情の元で幼少期を過ごしていない」
と言うだろう。

私は答える。
「それがどうした?」




支離滅裂になってきた。

わたしは、忘却する方法を知りたい。
忘却力が欲しい。
忘却は何物にも勝る力であると感じる。




悟浄歎異に曰く、

変化へんげの術が人間にできずして狐狸こりにできるのは、つまり、人間には関心すべき種々の事柄があまりに多いがゆえに精神統一が至難であるに反し、野獣は心を労すべき多くの瑣事さじたず、したがってこの統一が容易だからである、云々うんぬん

また、

我々にはなんの奇異もなく見える事柄も、悟空の眼から見ると、ことごとくすばらしい冒険の端緒だったり、彼の壮烈な活動をうながす機縁だったりする。もともと意味をったそとの世界が彼の注意をくというよりは、むしろ、彼のほうで外の世界に一つ一つ意味を与えていくように思われる。彼の内なる火が、外の世界にむなしく冷えたまま眠っている火薬に、いちいち点火していくのである。探偵の眼をもってそれらを探し出すのではなく、詩人の心をもって(恐ろしく荒っぽい詩人だが)彼に触れるすべてをあたため、(ときにがすおそれもないではない。)そこから種々な思いがけない芽を出させ、実を結ばせるのだ。だから、かれ悟空ごくうの眼にとって平凡陳腐ちんぷなものは何一つない。毎日早朝に起きると決まって彼は日の出を拝み、そして、はじめてそれを見る者のような驚嘆をもってその美に感じ入っている。心の底から、溜息ためいきをついて、讃嘆さんたんするのである。これがほとんど毎朝のことだ。松の種子から松の芽の出かかっているのを見て、なんたる不思議さよと眼をみはるのも、この男である。

さらに、

悟空ごくうの今一つの特色は、けっして過去を語らぬことである。というより、彼は、過去すぎさったことは一切忘れてしまうらしい。少なくとも個々の出来事は忘れてしまうのだ。その代わり、一つ一つの経験の与えた教訓はその都度つど、彼の血液の中に吸収され、ただちに彼の精神および肉体の一部と化してしまう。いまさら、個々の出来事を一つ一つ記憶している必要はなくなるのである。彼が戦略上の同じ誤りをけっして二度と繰返さないのを見ても、これはわかる。しかも彼はその教訓を、いつ、どんな苦い経験によって得たのかは、すっかり忘れ果てている。無意識のうちに体験を完全に吸収する不思議な力をこのさるっているのだ。



これが忘却力だと感じる。
若かりし頃、私はこの力を持っていた。
これは私の得意技だった。
わたしは確かに忘却力を持っていた。

しかし、今、それを取り戻す術を日々考えている有り様なのだ。
ひとつだけ、気付いたことがある。
それは、過去に一切責任を持たないということだ。


*** 悟浄歎異は青空文庫から抜粋させていただきました。

日々のTweetで気になったものをいくつか並べてみました

最近Tweetを見ることが多くなって、どうも自分の書きたいことがまとまらない。
コロナウイルスはない
JFKのこと
明治からのこと
ケルブランのこと
云々

最近、目に留まったTweetを並べてみた。

最後にカウフマン博士のビデオ。

ワクチン射つと危ないです。