エディット・ピアフ HYMNE A L’AMOURとLa Marseillaise

わたしはこうした歌を聴く時に「あなた」という言葉は、内なる自分のことであると思って聴く。そうして聴くと、いい歌というのは一変するのだ。

20世紀最大のシャンソン歌手と言われたエディット・ピアフは1915年軽業師の父と路上の歌手を母に、パリの下町で生まれる。

幼時から父に連れられて、場末の町から町を歌って歩いた。
18歳のとき、ルイ・ルプレに見いだされて、モーム・ピアフの名でデビュー。たちまち大スターとなった。

その後、華やかな男性遍歴、殺人容疑や交通事故、麻薬と酒に溺れた日々―
「二人分の人生を生きたわ」と自らを回想したほど。波乱に満ちた人生を送った。

生涯に280ものレコーディング曲を残し、とりわけ「バラ色の人生」と「愛の讃歌」は世界的なヒットとなった。

1963年10月10日、リビエラで死去。享年47。

参照 https://wmg.jp/edith-piaf/profile/




わたしは彼女の死に僅かな疑いを持っている。

薬依存に苦しんだ「愛の讃歌」エディット・ピアフの心の中




「HYMNE A L’AMOUR」

  Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer,
  Et la terre peut bien s’ecrouler,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Je me fous du monde entier.

  Tant qu’ l’amour innondera mes matins,
  Tant qu’mon corps fremira sous tes mains,
  Peu m’importent les problemes,
  Mon amour, puisque tu m’aimes.

  J’irais jusqu’au bout du monde,
  Je me ferais teindre en blonde,
  Si tu me le demandais.
  J’irais decrocher la lune,
  J’irais voler la fortune,
  Si tu me le demandais.

  Je renierais ma patrie,
  Je renierais mes amis,
  Si tu me le demandais.
  On peut bien rire de moi,
  Je ferais n’importe quoi,
  Si tu me le demandais.

  Si un jour, la vie t’arrache a moi,
  Si tu meurs, que tu sois loin de moi,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Car moi je mourrais aussi.

  Nous aurons pour nous l’eternite,
  Dans le bleu de toute l’immensite,
  Dans le ciel, plus de probleme,
  Mon amour, crois-tu qu’on s’aime?
  Dieu reunit ceux qui s’aiment.

日本語字幕付きの動画を見て欲しい。

わたしはこうした歌を聴く時に「あなた」という言葉は、内なる自分のことであると思って聴く。そうして聴くと、いい歌というのは一変するのだ。



ところで、日本で歌われている歌詞はこうである。

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて
ただ二人だけで 生きていたいの 
ただ命の限り あたしは愛したい命の限りに あなたを愛するの 
頬と頬寄せ 燃える口づけを交わす喜び
あなたと二人で 暮らせるものなら何にも要らない
何にも要らない あなたと二人生きていくのよ
あたしの願いはただそれだけよ
あなたと二人
固く抱き合い 燃える指に髪を絡ませながら 
愛しみながら口づけを交わすの 
愛こそ燃える火よあたしを燃やす火 
心溶かす恋よ
(岩谷時子訳)

これは意訳ではなく、異訳だと思う。



わたしにとって、ピアフといえば、La Marseillaise。
フランス革命の際の革命歌で、今は国歌である。

行こう 祖国の子供たちよ
栄光の日が来た!
私たちに対して 暴政の
血まみれの旗が上がった
血まみれの旗が上がった

聞こえるか 戦場の
残酷な軍人のうなりが?
彼らは私たちの腕の中まで来て
私たちの息子や妻の 喉を掻き切って殺す!

武器をもて 市民よ
軍隊を組め
向かおう 向かおう!
けがれた血が
私たちの田畑をうるおすまで!


特攻隊員の愛唱歌は「森の小径」

第二次大戦は忌まわしいやらせである。
書き始めるときりがない。


ほろほろこぼれる
白い花を
受けて泣いて居た
愛らしい 貴女よ

おぼえて居るかい
森の小径
僕も哀しくて
青い空 仰いだ

何にも言わずに
いつか寄せた
小さな肩だった
白い花 夢かよ

作詞:佐伯孝夫 作曲:灰田有紀彦



灰田勝彦の「森の小径」である。
この唄、実は第二次大戦の特攻隊の方々の愛唱歌だった。

彼らは軍歌を歌いながら敵艦に突っ込んだのではない。
少なくとも、出撃までは、青い空を眺めながら、恋人のことを想い、この優しい唄を口ずさんでいたのである。

私は、戦争を赦せない。
戦争を仕組んだ奴らを赦さない。


哀しきゲイシャ・ワルツ

私は一人暮らしの芸者さんの部屋を訪ねたことがある。彼女の部屋は散らかっていて、昨日脱いだと思われる襦袢は畳の上で丸まったままだった。

作詞:西条八十 
作曲:古賀政男
歌:神楽坂はん子

あなたのリードで 島田もゆれる
チークダンスの なやましさ
みだれる裾も はずかしうれし
芸者ワルツは 思い出ワルツ

空には三日月 お座敷帰り
恋に重たい 舞扇
逢わなきゃよかった 今夜のあなた
これが苦労の はじめでしょうか

あなたのお顔を 見たうれしさに
呑んだら酔ったわ 踊ったわ
今夜はせめて 介抱してね
どうせ一緒にゃ くらせぬ身体

気強くあきらめ 帰した夜は
更けて涙の 通り雨
遠く泣いてる 新内流し
恋の辛さが 身にしみるのよ



神楽坂で芸者をしていたはん子を古賀政男が気に入り、コロムビアへスカウトされた。「ゲイシャ・ワルツ」は昭和27年の歌。「テネシーワルツ」に対抗して作られたというが、真偽は判らない。

その後、身請け(結婚か?)や別れを経て昭和43年に歌手活動に復帰。

しかし、なぜか昭和50年代以降姿を消す。

平成7年6月10日。埼玉県川口市の武南病院で一人ひっそりと肝臓癌のため亡くなった。享年64。

神楽坂はん子



私は一人暮らしの芸者さんの部屋を訪ねたことがある。彼女の部屋は散らかっていて、昨日脱いだと思われる襦袢は畳の上で丸まったままだった。

しかし、夕方になって、仕事に出かける前に、鏡台に向かい、化粧をして、新しい襦袢と和箪笥から取り出した着物を一人で着付けると、見事に芸者に変身する。正座したその後ろ姿に、彼女の気概のようなものを感じた。

はん子さんについていろいろと書こうかと思っていたが、一人で死んでいったはん子さんのことを考えると、書けなくなった。人生儚い蜉蝣のごとし。

ゲイシャ・ワルツ 神楽坂はん子

君は誰なんだ?

夜中に目が覚める。
毎日だ。


目が覚めた時、ここがどこなのかが分からない。
一生懸命、今まで住んできたいくつもの場所のことを思い出す。
その作業をしないと、いつまでたっても、今いる場所が分からない。



ここしばらく、傘を差したことがない。
ほとんど毎日、買い物に出かけたり散歩したりするのだけれど。

雨音を聞きながら夕飯を食べる。
今日は散歩しよう、と思う。
そう思って、食事を済ませて外に出ると雨は止んでいる。

帰ってきて、お茶を飲む。
雨が降り始める。

もう、これが普通だと思っている。



綺麗なものが見たい。
ひたすら見たい。

わたしが見るものは、わたし。



冷蔵庫から卵を3つとり出して、割る。
こうなる。




もう、月がどこからでるのか分からなくなっている。
ただ、直感的に、月は2つあると信じている。




幼い頃、誰かに言われた。
「ごめんなさい」より「ありがとう」でしょ。と。

誰に言われたのか分からない。



独りが好きだが、さみしがり屋である。
デスクで仕事している時に、背後で女性の声が聞こえた。

「独りにしないからね」
と。

これも、誰に言われたのか分からない。



実は、自分が何者なのか判然としない。
わたしには名前もあり、親も兄弟もいるが、しっくりとこない。
自分の名前を紙片に書いてみる。
これも自分の意識とぴったりと噛み合わない。

見続けていると、ゲシュタルト崩壊を起こす。
そして、文字が雲散霧消する。



女性の美しさとは、その所作に宿る。

https://pin.it/1R6kEiH


以前にも書いたが、わたしの中には幼い男の子と、三十代くらいの女性が住んでいる。男の子が、前に出てくると、寂しくなる、駄々をこねる。閉じこもる。そんな傾向がある。



支離滅裂な自分に、飽いている時。
鬱々とする時。
空を見上げて、このツイートを思い出す。



歌でも聴こうか。9月。

遠い世界に/五つの赤い風船